2023.10.26
モデルの名前が失われても残るもの 第11回 カンヴァスをはさんで画家が対話する肖像
自身のイメージを戦略的に使った一人に、ハレとマインツの大司教にして枢機卿アルブレヒト・フォン・ブランデンブルクがいる。宗教改革者マルティン・ルターと敵対していた彼の肖像画は幾つも残されているが、そこでは赤い枢機卿のマントと帽子を身に着け、枢機卿や大司教であった高位の聖人、聖ヒエロニムスや聖マルティヌスに見立てられている。その一つに、この聖職者に仕えたグリューネヴァルトの〈聖エラスムスと聖マウリティウスの出会い〉(一五二〇―二四年頃)がある。
画面左側に威儀を正して佇むシリアのアンティオキアの大司教、聖エラスムス。古代ローマのキリスト教迫害のさなか捕らえられ、拷問で腹を裂かれ腸を巻き取られ殉教した。精緻な刺繡が施された司教服、宝石を縫いつけた司教帽、黄金の司教杖に重たげな指輪など聖人は豪奢な装いをしている。その右手が握るのは、彼のアトリビュートである殉教道具、腸が巻き付いた紡錘なのだ。聖エラスムスと相対し挨拶をおくるのは、神聖ローマ帝国の守護聖人、アフリカ人の聖マウリティウスである。古代ローマのテーベ軍団長であった彼は皇帝の命に逆らい、キリスト教徒の弾圧を拒んだために殺されたという。金線入りの銀の鎧をまとい、腰には剣を下げ、頭上に黄金の花冠を戴いている。この二人の聖人の背後にはそれぞれ、茶色の服に身を包む老修道院長と、武装した兵士たちが控えている。
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二人の聖人の邂逅を描いたこの宗教画には、扮装肖像画の要素が取り込まれている。ここでは聖エラスムスの顔が、注文主である枢機卿アルブレヒト・フォン・ブランデンブルクのものとなっているのだ。一般的に注文主の肖像画に聖人が描かれる場合、ヤン・ファン・エイクの〈ファン・デル・パーレの聖母子〉(一四三六年)のように、跪くモデルの背後に守護聖人が見守るように佇んでいることが多い。それに対し、グリューネヴァルトの絵画では、聖人と注文主が同一視されている。ホーエンツォレルン家出身のこの枢機卿にとって、聖エラスムスは守護聖人という特別な意味合いを持つ。しかし、モデルはその聖人に自らの顔をはめ込み、もう一人の聖人と対等な様子を示しているのだ。そこに、ファン・エイク作品にある謙譲と篤い信仰心といったものは見えてこない。ハレの参事会聖堂に設置されたこの作品を通して、聖人姿のイメージを信徒たちに植えつけ、自らの威光を高める意図があったのだ。自らの地位を聖性によって確固たるものにしようと、彼自身の司教服一式や、聖堂内に置かれていた鎧を、絵の中の聖人たちの装いに用いたとされている。
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