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モデルの名前が失われても残るもの 第11回 カンヴァスをはさんで画家が対話する肖像

 十六世紀ミラノ出身の画家ジュゼッペ・アルチンボルド作〈ウェルトゥムヌスとしてのルドルフ二世〉(一五九一年頃)は、寓意画ぐういがと肖像画が見事な形で交じり合った作品である。モデルとなった神聖ローマ皇帝ルドルフ二世は、学問や芸術の庇護者ひごしゃとして名をはせていた。プラハを首都と定め、数多くの美術品や自然標本、珍奇な物が彼の蒐集室しゅうしゅうしつに集められ、錬金術にも深い関心を示したという。人文主義者や芸術家、学者たちが集まるこの文化の都に、アルチンボルドもまた宮廷画家として招聘しょうへいされ活動するようになる。その状況で制作されたのが、見事な連作寓意画「四季」や「四大元素」であった。植物や生物を巧みに組み合わせて作る横顔プロフィール。この独自のスタイルの集大成が、皇帝の見立て肖像画なのだ。
 黒を背にして、果実と野菜でコラージュされた男性の胸像が描かれている。葡萄や桜桃さくらんぼ無花果いちじく、林檎、柘榴ざくろ、洋梨などの果実は頭部に集中し、麦の穂や栗のいがは髪や髭の触感を強調する。ズッキーニやキャベツ、蕪などの野菜は喉から胸元を主に構成し、右肩から斜め下に連なる花は、おそらくサッシュを表しているのだろう。このみずみずしく描写された野菜や果実が形作るのは、古代ローマ神話の神ウェルトゥムヌスの姿を借りた皇帝の肖像であった。ウェルトゥムヌスは豊穣と創造の神であり、四季とその移ろいをつかさどると同時に変身にも長けている。野菜や果実、花といった豊かな季節の実り、そしてその恩恵をもたらすのがルドルフ二世である、と絵は語る。神聖ローマ帝国の統治者にして文化の庇護者である皇帝は、古代の神のように全ての季節や自然を治め、豊穣を約束しているのだ。

ジュゼッペ・アルチンボルド 〈ウェルトゥムヌスとしてのルドルフ二世〉1591年頃 スウェーデン、スコークロステル[スコークロステル城]
ジュゼッペ・アルチンボルド 〈ウェルトゥムヌスとしてのルドルフ二世〉1591年頃 スウェーデン、スコークロステル[スコークロステル城]

 この作品の素晴らしいところは、奇想的なスタイルをとりながらも、モデルの人間性が写し取られている点だろう。巧みに組み合わされた野菜や果実によって、目鼻立ちや身体の造作のみならず、表情までもが不思議と克明に表されているように思われてならない。アルチンボルドと同じくプラハ宮廷に仕えた画家ハンス・フォン・アーヘンの作品のコピー、〈ハプスブルク家、神聖ローマ帝国皇帝ルドルフ二世の肖像〉(一六〇〇年頃)とはまた異なる形で、モデルの特徴や性質が浮き彫りとなっている。典型的な統治者像を表したフォン・アーヘン作品に対し、アルチンボルドの手になる皇帝の正面像は、どこか諧謔かいぎゃくに満ちた微笑を目や口許くちもとに漂わせていると見えるのだ。果実や野菜に彩られた皇帝は、古代の神の姿の奥で、画家の仕掛けと観る者の驚きの眼差しを楽しんでいるような気もする。

ハンス・フォン・アーヘン作のコピー〈ハプスブルク家、神聖ローマ帝国皇帝ルドルフ二世の肖像〉 1600年頃 スウェーデン、スコークロステル[スコークロステル城]
ハンス・フォン・アーヘン作のコピー〈ハプスブルク家、神聖ローマ帝国皇帝ルドルフ二世の肖像〉 1600年頃 スウェーデン、スコークロステル[スコークロステル城]

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 寓意的な要素が盛り込まれていても、趣向の全く異なる作品に、アーニョロ・ブロンズィーノの見立て肖像画がある。イタリアのマニエリスムを代表するこの画家は、メディチ家のフィレンツェ公コジモ一世の宮廷画家として、数多くの優れた肖像画を手掛けた。〈エレオノーラ・ディ・トレドと息子ジョヴァンニの肖像〉(一五四四―四五年頃)をはじめとして、当時の宮廷人や人文主義者など彼の描いた人物は、静謐せいひつな人形めいた表情を湛えつつも硬質な威厳に満ち、衣服や宝飾品など緻密な細部描写で飾られている。人物をモニュメント的に描いたこの画家は、数少ない見立て肖像画も残している。その一つが〈ネプトゥヌスに扮したアンドレア・ドーリア〉(一五三〇―四〇年)である。

アーニョロ・ブロンズィーノ〈エレオノーラ・ディ・トレドと息子ジョヴァンニの肖像〉1544-45年頃 イタリア、フィレンツェ[ウフィッツィ美術館]
アーニョロ・ブロンズィーノ〈エレオノーラ・ディ・トレドと息子ジョヴァンニの肖像〉1544-45年頃 イタリア、フィレンツェ[ウフィッツィ美術館]

 画面右から射し込む光が、壮年の男性の裸体像を照らし出す。男性は光の方に顔を向け、長く波打つ灰色の髭を垂らし、思慮深く威厳のある面立ちをあらわにしていた。描かれているのは、ジェノヴァ共和国出身の軍人にして傭兵隊長アンドレア・ドーリアである。海軍提督の地位にまで上り詰めたこの人物は、肖像画の制作依頼にあたって、自らを古代ローマ神話の海神ネプトゥヌスとして描くよう求めたという。そのために、右手が握る三叉さんさの槍(元はかいだったが、後に別の画家により上書きされた)、背景のロープが巻かれたマスト、陰部を隠す帆布など、海神や船を象徴する事物が画面に組み込まれている。制作当時、ドーリアは六〇歳頃とされるが、絵の中の裸体は老いや弱さなどを全く感じさせず、むしろ力強く活力に満ち溢れてさえ見える。英雄的な海軍提督のイメージを強調するべく、古代彫刻的な身体つきをした海の支配者の姿を画家は借りたのだろう。つまり、この肖像画は、ありのままの姿を留めることより、地位や名声、権力を象徴的に誇示する方に重点が置かれていたのだ。
 君主や宮廷人を描いた肖像画は、名君としての威光を示す政治的道具や、王家や貴族同士の結婚の贈り物として使われていた。そのために、生き生きと写実的でありつつも、その名声や威光、地位、美や徳などを前面に押し出すために寓意が取り込まれることがある。それが全体に及ぶ場合、見立て肖像画や扮装肖像画として描かれることになるのだ。そのために時に肖像画は、プロパガンダ的な性質をより強く帯びることになる。イメージ操作による政治的影響が見過ごせないほど大きいからこそ、モデルは画家の手を借りて、肖像画という舞台で理想的な姿を装おうとする。

アーニョロ・ブロンズィーノ〈ネプトゥヌスに扮したアンドレア・ドーリア〉1530-1540年頃 イタリア、ミラノ[ブレラ美術館]
アーニョロ・ブロンズィーノ〈ネプトゥヌスに扮したアンドレア・ドーリア〉1530-1540年頃 イタリア、ミラノ[ブレラ美術館]

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石沢麻依

1980年、宮城県仙台市生まれ。東北大学文学部で心理学を学び、同大学院文学研究科で西洋美術史を専攻、修士課程を修了。2017年からドイツのハイデルベルク大学の大学院の博士課程においてルネサンス美術を専攻している。
2021年「貝に続く場所にて」で第64回群像新人文学賞、第165回芥川賞を受賞。
著書に『貝に続く場所にて』『月の三相』がある。

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