2023.10.26
モデルの名前が失われても残るもの 第11回 カンヴァスをはさんで画家が対話する肖像
全体の雰囲気、色使い、モチーフ……さまざまなアプローチがありますが、細部の意味や作品世界の背景を知れば、より深く絵画を味わうことができます。
古代ギリシャ・ローマ神話、キリスト教、聖母、聖書の物語世界、寓意、異端、魔女……画家が作中に散りばめたヒントに込められた意味とは。
小説執筆と並行して美術研究を重ねる、芥川賞作家の石沢麻依さんによる西洋絵画案内です。
第11回 カンヴァスをはさんで画家が対話する肖像
冬のウィーンの街の中で、肖像画の女性に出会った。卵形の顔にしっかりと筋の通った鼻、ふっくら結ばれた唇、そして透明感のある茶色の眼。柔らかな毛皮の襟がついた深紅色のコートをまとうその人は、王宮庭園の常緑樹の木立からふいに姿を現したように見えた。樹木が化身したかのように歩いてくるその人は、ジョルジョーネの〈若い女性(ラウラ)の肖像〉(一五〇六年)から抜け出したような面立ちをしている。絵の中で月桂樹を背にしていることから、その植物にちなんだ名前で呼ばれる女性。こちらの不躾な視線を避けるかのように顔を背けた時、彼女は「ラウラ」の肖像画そのものとなった。
肖像画に描かれた顔立ちを目にすることは珍しくない。当然モデル本人ではなく、よく似た別人にすぎないのだが、失われた顔は時間の回廊を通り抜け、思いがけず誰かの中にこだますることもあるのかもしれない。ゴヤの自画像によく似たフランス語の講師、美術史研究室にいた初期ネーデルラントの画家が描く女性。アルバイト先の塾で地理や歴史を教えていた同僚、彼の顔はメムリンクの男性肖像をそっくりなぞっていた。仙台で暮らしていた頃も、ドイツで過ごすようになってからも知り合いに、あるいは街の通りや駅舎、図書館、レストランで見かけた人の中に、古い肖像の顔立ちを見つけることがある。その時、頭の中でカタログのページがめくれ、時間の奥から覗く見知らぬ顔が重なり、奇妙な邂逅に薄甘い懐かしさを覚えたりもする。
ジョルジョーネの描く深く暗い色調は、一月のウィーンの街にしっくりと溶け込んでいた。旅の間に訪れた街は白や灰色、きなりといった静かな石の色を帯び、底冷えする寒さに、通り過ぎる人たちの輪郭までもが寂しく曖昧になる。薄暗く曇るその午後、王宮庭園を「ラウラ」は通り抜け、オペルンリングの通りを横切ると、美術史美術館の方へ遠ざかってゆく。それを見ながら、今日は月曜日、と思い出す。美術館は休館日である。もしかしたら彼女はジョルジョーネの絵画から抜け出して、冬の街歩きを楽しんでいたのだろうか。そして、夜が完全に落ちる前に、深い黒を湛えた絵の内に戻るのかもしれない。
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肖像画は、流れる時間の中で移ろう人たちの姿を切り取り留めている。イタリア・ルネサンス以降、優れた君主や聖職者、政治家や軍人の功績の宣伝や、亡くなった人の記憶のよすがとして、肖像画は一つのジャンルを確立していった。描かれた人物があまりにも本人に生き写しであるために、観る者や動物が騙されるという逸話が、画家の見事な技量を示すものとして数多く残されている。写実性に優れた作品が生み出される一方、肖像画の中には、見立て肖像画もしくは扮装肖像画と呼ばれる種類の作品がある。神話や聖書の人物の装いをし、あるいは場面内の登場人物に擬して描かれるものだが、そこには絵の中で演じる役を重ねることで、モデルと役の性質やイメージを結び付けて同一化しようとする目的がある。
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