2020.9.24
「桃源郷・北朝鮮」の光と影 ~作家・万城目学が観た『愛の不時着』~
めんどくさい男・万城目学のハッピーエンド考
「愛する二人がいったん別れたのち、さらに強固な恋愛感情を携え再会する」
恋愛ドラマの王道である。
先の『グリーン・カード』なら、男が国外退去になろうと、女が来週フランスに飛べばパリで再会だ。それゆえに別れであっても、ラストに希望をこめられる。つまり、あえて再会シーンを見せないやり方とも言える。
しかし、相手が北朝鮮だと話は違う。通信手段のない二人をどうやって再会させるか? 通常の恋愛ドラマなら、いったん別れたのち、どこか約束の地で二人が再会という筋書きを仕込めても、国境線での捕虜(?)交換シーンで、ユン・セリとリ・ジョンヒョクが具体的地名を挙げ、再会を誓うのは、あまりに非現実的だ。
この点、『愛の不時着』制作者は非常に誠実だった。誠実すぎるくらいだった。ユン・セリとリ・ジョンヒョクがその後どうなるか、最後まで描ききることを決めた。
その結果、それまで浮き世離れしつつも、ぎりぎりの感覚で地表に留まっていた物語の重心が、ラストの湖畔シーンでは完全に雲あたりまで飛んでいってしまった。韓国で拘束歴のあるリ・ジョンヒョクが海外で自由行動できるはずがなく(ましてやそのお相手は、同じく南北の公安にマークされているであろうユン・セリだ)、あの湖畔ピクニックも北と南の公安がともにどこかで監視しているはず、なんて考えてしまう私の心はどうにも曇りがちで、素直にハッピーエンドを楽しむことができなかった。
さらには、傑作『蜜蜂と遠雷』を読み、ピアノ・エリートたちの繊細すぎる日常と、血の滲むような努力の日々を学んでしまったため、北朝鮮に戻り7年もピアノから離れたうえに、あんな無思慮に大事な拳で人を殴る男が(そもそもリ中隊長の人物造形にピアノ・エリートの要素は皆無である)、ピアノに復帰するのは自由でも、35歳を超えて海外公演できるトップレベルに戻るなんてあり得るか? なんていちいち思ってしまう私はそう、めんどくさい男なのである。
ユン・セリとリ・ジョンヒョクは果たして幸福な未来を迎えられるのだろうか。
リ・ジョンヒョクもいつしか北朝鮮国内で若手ピアニストが台頭し、海外に渡航する特権を奪われる日がくるだろう。そもそも、年に数日しか会えない七夕もどきの状態を、二人はいつまで我慢し続けるつもりなのか。
『愛の不時着』の世界では、富を有する女はしあわせになれない。ユン・セリの母は「地獄だった」と人生を呪い、リ・ジョンヒョクの母も夫を憎んでいる。ソ・ダンは新しい価値観を求め旅立った。
ユン・セリのしあわせのかたちはどこにあるのか。
結局、あのドラマのなかで家庭円満、変わらずしあわせな日常を享受するのは、北朝鮮婦人会のみなさんであるということが、何とも象徴的である。
聡明なユン・セリが未来を切りひらくには、どのような手があるのか。私の見立ては総じて悲観的だ。
言うまでもなく、「統一」が成し遂げられたら、すべてが無事に解決する。
しかし、それを言いだしたら何でも可能になってしまうわけで、ひょっとしたら『愛の不時着』が持つ独特の物語の強さとは、この未来を堂々と留保したまま物語を作り上げたところに起因するのかもしれない。
余談であるが、平壌の地下鉄を見学したとき、不思議な若者に出会った。
日常における習慣なのか、それとも外国人観光ツアーを見かけたときの対処法なのか、駅構内でも、地下鉄車内でも、エスカレーターでも、一般の北朝鮮市民は奇妙なほど誰もしゃべらない。
地下鉄構内から地上に出る、長い上りエスカレーターに乗ったときだった。
対面の下りエスカレーターに乗る、前髪をツンツンに立て、派手なライダーズジャケットを着て、我々外国人をまったく意識せずに、ぺちゃくちゃしゃべる若者とすれ違った。
明らかに異質な人間が視界を過ぎったことに、思わず振り返った。
4日間の北朝鮮滞在中、彼のようなファッションの人間を見ることは二度となかった。
「ひょっとして、あれはキープ事業で平壌に隠れている、いわゆるク・スンジュンだったのではないか」
なんて想像を今になって働かせてしまう私である。
ちなみに、ツアーガイド兼通訳の北朝鮮国営旅行会社の男性(つまりは公安)は、今思い返すと「耳野郎」に髪型も、見た目も、人の良さそうな表情もとてもよく似ていた。
これらの北朝鮮での体験記は、エッセイ集『ザ・万遊記』に「眉間にシワして、北朝鮮」(前編・後編)と題して、たっぷりと収録されているので、ぜひそちらをご覧ください。(注・文庫版にのみ収録 詳細はこちら)