2020.9.24
「桃源郷・北朝鮮」の光と影 ~作家・万城目学が観た『愛の不時着』~
北朝鮮編・韓国編をどう見るか
そろそろ、全体の感想に移りたい。
このドラマは、大きく「北朝鮮編」と「韓国編」に、それこそシーズン1、シーズン2と分けて描いてもいいくらい、がらりと趣を変えて展開されるが、私の率直な印象は「北朝鮮編の非凡さ、韓国編の平凡さ」である。とにかく、北朝鮮編がすばらしかった。ユン・セリも韓国でミニスカート姿でバリバリ張りきる姿よりも、北朝鮮でもっさりファッションで芋を食べているほうが素敵だった。ピョ・チス隊のがんばりはあるが、対する韓国編は北朝鮮編よりも数段落ちる。特に、唯一スットコに染まることを拒絶し、コメディーに反旗を翻し続けたチョ・チョルガン少佐がいなくなってから、急速にドラマの吸引力が薄れてしまった。
その理由は明らかだ。
チョ少佐退場後、ストーリーの目的地がユン・セリとリ・ジョンヒョクをどう平和裏にくっつけるか――、その部分に集約されてしまった。結果、残り時間を、二人が自由に会える環境を整えるための説明に使わざるを得なかった。それが物語の失速を生む。
私の好きな映画に『グリーン・カード』という作品がある。アメリカに滞在したいフランス人男性がNY在住の女性と「グリーンカード(外国人永住権)」目当ての偽装結婚をする。あくまで便宜上の付き合いのはずが、次第に惹かれ合う二人。しかし、偽装がバレ、男性は国外退去を命じられる。現実の厳しさを突きつけられる一方で、別れのシーンの美しさがすばらしく印象に残る作品だ。
この別れを美しく描くことで余韻を伝えるという方法を、『愛の不時着』は採用できなかった。
その理由は北朝鮮を題材に選んでしまったからだ。スマホが自由に使えないお国柄を逆手に取ったおかげで、もはや絶滅しかけの恋愛ドラマの必殺技「すれ違い」を多用できたのはよかったが、最後でツケが回ってきた。