2020.9.24
「桃源郷・北朝鮮」の光と影 ~作家・万城目学が観た『愛の不時着』~
宿泊中、社会主義国家のホテルが盗聴三昧であることは百も承知だったゆえに、この鏡がマジックミラーなんだろうか、などと私も興味津々でホテルの部屋を眺め回したが、惜しむらくはスタンドや、ベッドの下などを詳しく調べなかったことだ。
盗聴器を見つけることはなかったが、確実に盗聴はされていただろう。
ちなみに、ホテルの同室は集英社の入社1年目の若き男性編集者だった。毎晩、当時の最先端カルチャーだった「初音ミクの魅力と、ボーカロイドが切り開く今後の未来」について、彼が熱く語るのを聞かされた。きっと私の部屋を担当した「耳野郎」は、ノートに「はつねみく?」「ぼかろきょく?」「みくみくにしてあげる?」などと書きこんでは、首を傾げていたはずである。
韓国語をまったく理解できない私でも、不思議と韓国と北朝鮮で発音や語勢が微妙にちがうことは感じ取れる。ドラマの演者も、北朝鮮なまりを練習したのだという。なまりの機微を正確に理解できたなら、もっと物語のおかしみを深く感じ取れたのだろう。
ひとつ、古い記憶がある。
2002年に釜山で開催されたアジア競技大会。韓国と北朝鮮は、白地に青い朝鮮半島を描いた統一旗を掲げ、合同チームを結成して参加した。(このとき、北朝鮮の応援団としてご存じ「美女軍団」が颯爽とデビューした)
当時、情報番組である映像が紹介された。
それはアジア大会がらみの南北の交流イベントの様子を伝える韓国国内の映像で、屋外ステージに北朝鮮の女性が立ち、あの朝鮮中央テレビに登場するアナウンサーそっくりの口調で話し始めた。
途端、会場から爆笑が起きた。
映像はイベント参加者の手持ちビデオのものだった。北朝鮮女性のしゃべり方が、あまりにもったいぶった、時代錯誤な言葉づかいだったのだろう。カメラに映る韓国の一般市民は大笑いしながら、女性のしゃべり方を口々に真似していた。ステージの北朝鮮の女性は、なぜ会場が笑っているのか理解できず、朗々としゃべればしゃべるほど爆笑が広がっていく。
残酷な絵だった。
この印象が強かっただけに、ユン・セリが、相手が北朝鮮の人間であるという理由だけで笑ったり、馬鹿にしたりすることなく、相手の中身を見てから公平に判断する女性に描かれていたことは、人物の造形としてとても評価できる部分だった。もちろん、互いの文化認識のズレがおかしみを誘い出すのは別の話で、終盤、韓国に降臨したピョ・チス隊が繰り出すスットコ無双は、本当にいちいちが楽しい。