2020.9.18
訪朝歴アリ! 作家・万城目学が観た『愛の不時着』 韓流ドラマにおける最強「壁」理論
このような私のもとに、16年ぶりに現れたのが『愛の不時着』だった。
何か変わったのかなあ、とぼんやりとした気持ちで見始めたが、すぐさま様子が異なることを察知する。
「男子、三日会わざれば刮目して見よ」
と言うが、16年間会っていない韓流ドラマは驚くほどの進化を果たしていた。
何といっても「壁」の設定のうまさである。
日本ではいよいよ構築が難しくなっている「壁」に、いきなり問答無用のカードを切ってきた。
そう、「北朝鮮」である。
『愛の不時着』は主人公の財閥令嬢であり、オリジナルブランドを立ち上げる敏腕経営者でもあるユン・セリが、パラグライダーの飛行中に誤って不時着した結果、うっかり北朝鮮に侵入してしまうところから物語は始まる。そして、第一発見者であり、その後も彼女を庇護する朝鮮人民軍のリ・ジョンヒョク中隊長と恋に落ちるのだ。
当然、二人の間にはとてつもない「壁」が立ち塞がる。
北朝鮮というあまりに巨大な存在が。
第1話から天高くそびえ立つこの「壁」の立派さに、私はうなった。家どころの騒ぎではない。二人の恋路を邪魔する困難に、国家まで持ち出してきたのである。
これまでも、同じ言語を使う同じ民族であるにもかかわらず、互いにまったく相容れぬ社会体制を敷く北朝鮮と韓国――、この二つの国を題材に、数多くのすぐれたストーリーが生み出されてきた。その多くが、国家のエゴに付き合わされた人々がときに憎しみ合い、ときに銃を突きつけ合う、シリアスな対立の物語に帰結しがちだったが、名作『JSA』のように、国境を超えて生まれた男同士の友情を描く物語もあった。しかし、国境を超えて、しかも北朝鮮サイドで恋愛を成就させようという物語はなかった。
そんなの無理だろ。
誰もがそう思ってきたはずだ。
しかし、『愛の不時着』はそんなミッション・インポッシブルに果敢に挑戦した。およそ乗り越えられるとは思えない、北朝鮮という絶望的に強固な「壁」をど真ん中に置き、そこに「家」までからめてきた。片方ではなく、ユン・セリとリ・ジョンヒョク両方の陣営に、かなり深刻かつ複雑な家問題を押しこみ、しかも「過去の因縁」もちゃんと仕込んでいる。さすがに「難病」「記憶喪失」は登場しないが、韓流ドラマ好きの北朝鮮兵士に、
「南韓のドラマでは、主人公がしょっちゅう病気になって記憶喪失になる」
といったことを言わせて、メタ構造からのくすぐりを入れるという、いたれりつくせりのつくりだ。
これまでの韓流ドラマのエッセンスは守りつつ、最強の敵・北朝鮮を「壁」に設定するというストロングスタイルにもほどがあるこの『愛の不時着』の第1話を見終えた瞬間、私は確信した。
このドラマは絶対におもしろい、と。
余談であるが、以下は北朝鮮で私が実際に聞いた話である。
北の人々は自分の国を「北朝鮮」と呼ばれることを嫌うらしい。現在は分断されてはいるが、本来はひとつの国であるという建前があるため、「北朝鮮」という名前の国は存在しないというロジックだ。確かに正式には「朝鮮民主主義人民共和国」であり、そこに「北」という文字はない。
もっとも、『愛の不時着』のなかで、ユン・セリは北朝鮮にいても、「北朝鮮」という呼び方を用い、北朝鮮兵士はそれに怒ることなく、自らも「北朝鮮」という言葉を使っていた。私が現地で聞かされた話は、威勢のよいプロパガンダだったのか、それともそこまでドラマは気にしていなかったのか。
これらの北朝鮮での体験記は、エッセイ集『ザ・万遊記』に「眉間にシワして、北朝鮮」(前編・後編)と題して、たっぷりと収録されているので、ぜひそちらをご覧ください。(注・文庫版にのみ収録 詳細はこちら)
『愛の不時着』レビュー後編はこちらから!