よみタイ

酒井順子「言葉のあとさき」

「個人的な意見」という免罪符

 そんな中で活躍しているのが、
「あくまで個人的な意見なのですが」
 というものです。
 意見ってそもそも個人的なものだろうよ、などという突っ込みは言いっこナシ。日本人であれば、「この件に関係する全てのデータを読み込んだわけでもなければ、多くの人々の話を聞いて導き出したわけでもない、あくまで私という卑小な人間の頭の片隅で考えた意見なので、間違っている可能性も高いことをお断りした上で言わせていただければ」という意のフレーズであることを、察してほしいところです。
 すなわち「あくまで個人的な意見なのですが」は、「間違ってるかもしれないんですけどー」の、大人バージョン。大人になっても「断言の恐怖」から解放されるどころか、むしろ恐怖が強まっていく中で、大人達が「断定を回避し、かつ馬鹿みたいにも聞こえない言い方はないものか」と考えた末に編み出された言い回しなのです。
 こちらが便利なのは、最初に言い忘れても、話の最後に挿入することができるところ。何かを言った後で、
「○○は、××だと思うのです。……あくまで個人的な意見ですが」
 と滑り込ませることが可能ということで、汎用性が高いのです。ということは「個人的な意見なのですが」は、「よう知らんけど」の関東バージョンであり、はたまたオフィシャルバージョンと言うことができるのではないか。
「よう知らんけど」はカジュアルな言葉ですので、公の場では口にしづらいものと思われます。が、「個人的な意見」は、その手の場においても使用が可能。真面目な場で発言しなくてはならない方々の間でも、便利に使用されているのでした。
 このような世界で生きていると、
「○○すべきです」
 などという言い方は、ほとんど暴力のように聞こえるものです。ですから「べき」という強い言葉を使用する時は、「○○すべきなのではないか」と、疑問形にすることが当たり前。
「○○しろ」
 という言い方もあからさますぎるので、「○○した方がいい」に。
そうなると今度は「○○すべきではないか」「○○した方がいい」すら刺激的すぎるのでは、という疑念が生じ、
「××すべきではないか、という気がしてくるのです」
 とぼかしたり、
「○○した方がいいと言われています」
 と他人のせいにしたりと、曖昧化表現をどんどん上乗せせずにはいられなくなってくる。日本人たるもの、どれほど上乗せされようと、曖昧化表現を取っ払って本当の内容を理解することには慣れてはいますが、外国語に訳す時は大変なのではないか。

1 2 3 4 5 6

[1日5分で、明日は変わる]よみタイ公式アカウント

  • よみタイ公式Twitterアカウント
  • よみタイ公式Facebookアカウント

関連記事

よみタイ新着記事

新着をもっと見る

酒井順子

さかい・じゅんこ●1966年東京生まれ。高校在学中から雑誌にコラムを発表。立教大学社会学部観光学科卒業後、広告会社勤務を経て執筆専業となる。
2004年『負け犬の遠吠え』で婦人公論文芸賞、講談社エッセイ賞をダブル受賞。
著書に『下に見る人』『ユーミンの罪』『地震と独身』『裏が、幸せ。』『子の無い人生』『百年の女「婦人公論」が見た大正、昭和、平成』『駄目な世代』『次の人、どうぞ!』『男尊女子』『家族終了』『ガラスの50代』『処女の道程』『鉄道無常 内田百閒と宮脇俊三を読む』など多数。

週間ランキング 今読まれているホットな記事