そして、言葉の影に必ずついてくるのはその時代の空気。
かつて当然のように使われていた言葉が古語となり、流行語や略語が定着することも。
言葉の変遷を辿れば、日本人の意識の変遷もおのずと見えてくる。
近代史、古文に精通する酒井順子氏の変化球的日本語分析。
2020.2.13
「卒業」からの卒業
言葉のあとさき 第3回

私は雑誌等に文章を書いて口を糊しているわけですが、雑誌等の連載は、始まることもあれば、終わることもあります。先日、とある雑誌の連載が終了するということを編集者さんから告げられる時、
「この連載を、ご卒業ということにさせていただければと思います」
と言われて、「なるほど、今はそういう言い方をするのね‥‥」と思ったのでした。
連載が終わるということは、すなわち「打ち切り」であるわけです。が、
「酒井さんの連載、打ち切りですんで」
では、いかにも感じが悪い。だからこそ「ご卒業」という言い方になるのでしょう。
長い仕事人生の中で、連載の打ち切りは何回も経験していますが、「卒業」と告げられたのは初めてだったかも。たいてい、
「○月いっぱいで、酒井さんの連載にはいったん区切りをつけていただいて‥‥」
などと、ごにょごにょと煮え切らない言い方をされていたように思います。対して「卒業」という言葉を使用すれば、言いたいことはストレートに伝わるけれど、耳障りは良い。
またある時にテレビのドキュメンタリー番組を見ていたら、リストラされて辞めていく社員が、最後の出社の日に、
「○○くんは、今日で卒業ということになりました。今までありがとう!」
と、上司から送り出されていました。「卒業」とリストラを表現される人はさぞ苦々しい思いを腹に抱えているだろうと思うのですが、とにかく今、「これでおしまい」ということを柔らかく表現したい時に、「卒業」は大活躍しているようです。
「卒業」が、このように学校以外のシーンでも頻用されるようになったのは、女性アイドルグループの影響でしょう。昨今の女性アイドルといえば、坂道グループをはじめとして、大人数で構成され、メンバーがやめたり新しく入ったりと新陳代謝を繰り返すという形式が多い。人気メンバーの「卒業」は、そのグループにとっては大きな刺激となるようです。
新陳代謝系アイドルの嚆矢は、モーニング娘。かと思われます。昭和の末期にも、「夕やけニャンニャン」というテレビ番組から誕生したおニャン子クラブという大人数アイドルが存在し、メンバーの出入りがありました。しかし「夕やけニャンニャン」の終了とともにおニャン子クラブも解散してしまったため、活動期間は3年ほどだったのです。
対して平成9(1997)年に結成されたモーニング娘。は、新陳代謝を繰り返して、現在も存続しています。モーニング娘。におけるメンバーの出入りシステムに初めて接した時、私は衝撃を受けたものでした。それまで、アイドルグループは「解散」によってその命を終えるのが宿命だと思っていたのが、モーニング娘。は、メンバーの入れ替えによって永遠の命を追い求めているように見えたから。
不死は、人間の夢ではあります。が、不死への挑戦とは、すなわち神への挑戦。メンバーの入れ替えを繰り返すことによってグループの生命を永らえるというのはすごいアイデアだ、とは思いましたが、遺伝子をいじってクローン羊が誕生しました、といったニュースを聞いた時と同じような禍々しさをも、私は感じたのです。
しかしアイドルグループが一つの組織だと考えれば、メンバーの入れ替わりは当たり前の行為なのでしょう。大人数のアイドルグループが学校を模したものであるなら、メンバーの「卒業」は必須。組織というものは、組織自体の「永遠」は求めても、構成員個人の「永遠」を求めているわけではありません。
メンバーの入れ替わりによって永遠を目指す昨今の女性アイドルグループに対して、ジャニーズのアイドルグループは、そのシステムをとっていません。たとえばSMAPは森くんが脱退しても他のメンバーを入れることなく活動を続け、皆が中年になってから解散しました。他のグループにおいても、メンバーが抜けてもそのまま続くか、嵐のように「誰かが抜けるくらいならいっそ活動休止」となるようです(芸能情報による推測ですが)。また少年隊はメンバーが50代になった今もまだ解散はしておらず、こちらは別の意味で永遠を追求しているのかも。