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酒井順子「言葉のあとさき」

Jの盛衰

 そうこうしているうちに平成の初期に発足したのが、前述の通りJリーグでした。プロ野球的な軍隊調とヤンキー調、つまりは昭和感を完全に排除したJリーグは、発足当時から華やかなムードに包まれました。
 なぜ「J」の響きがそれほど新鮮だったのかといえば、昭和の末期、「日本」という言葉と存在のダサさが極まっていたからなのでしょう。昭和は、62年余と長く続いた時代です。新興勢力として調子に乗っていたら戦争に負けて落ちるところまで落ち、そこからド根性で先進国と言われるところまで這い上がって、やがてはアメリカをも凌駕りょうがしそうに……というのが、我が国の昭和の歩み。そんな昭和の泥臭さが、「日本」という言葉にはこびりついていました。
 昭和の末期には、私の世代を含めて戦争のことも貧しさも知らない人が多数派となり、世はバブルへと突入します。人々は浮かれていたわけですが、しかしそんな日本の姿がしゃれていたかといえばそうではなかったし、日本人自らもそれを自覚していました。
 そんな時、色々な汚れやら恥ずかしさやらが染みついた「日本」とは違う世界を見せてくれそうな文字が、「J」だったのです。格好いいFMラジオ局を作ろうという時、「FM日本」という名にしていたら、どうでしょう。天皇陛下万歳とか鬼畜米英的香りがそこはかとなく漂って、とてもクリス智子ともこが話すムードにはならなかったはず。サッカーにしても、「J」の文字を冠したからこそ、プロ野球とは異なる自由で爽やかなイメージをつけることができたのです。
 豊かさが当たり前になった日本において、欠けていたのはセンスと軽やかさであり、重荷となっていたのは昭和の長くて暗い歴史でした。それを払拭ふっしょくする働きを持っていたのが、「J」という文字。アルファベットとしての「J」はなぜかニッポンの「N」より格好よくもあったので重宝されたのですが、そういえばバブルの時代は、J TRIP BARというクラブのようなディスコのような店が西麻布にしあざぶやら溜池ためいけやら六本木やらにあり、夜の遊び場として人気だったものでしたっけ。
 J-POPもまた、昭和の歌謡曲のダサさ、演歌の湿り気から解放され、軽くてエアリーな音を若者に提供しました。どこで聴いても恥ずかしくない国産音楽が、作られるようになってきたのです。
 Jのブームは、若者文化の分野に限ったことではありません。日本国有鉄道はJRになり、日本専売公社はJTになり、日本鋼管と川崎製鉄はJFEになり‥‥と、「日本」を捨てて「J」に走る企業が続々と。
 平成は、このように日本のJ化が進んだ時代でありました。重さとダサさがつきまとう「日本」ではなく、軽くてしゃれた国を目指したい、というムードが世には横溢おういつ。平成という時代は、そうして軽いままに進んでいったのです。

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酒井順子

さかい・じゅんこ●1966年東京生まれ。高校在学中から雑誌にコラムを発表。立教大学社会学部観光学科卒業後、広告会社勤務を経て執筆専業となる。
2004年『負け犬の遠吠え』で婦人公論文芸賞、講談社エッセイ賞をダブル受賞。
著書に『下に見る人』『ユーミンの罪』『地震と独身』『裏が、幸せ。』『子の無い人生』『百年の女「婦人公論」が見た大正、昭和、平成』『駄目な世代』『次の人、どうぞ!』『男尊女子』『家族終了』など多数。

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