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Jの盛衰

 小学生が興味を持つ職業を見ても、そのルーツは様々なのです。駅長さんやパン屋さんといった仕事は、鉄道やパンといった西洋の文化が入ってきてからできた職業でしょう。美容師さんは髪結かみゆいが祖先と考えれば、江戸時代には存在していたことになる。
 警察官は検非違使けびいしくらいまでさかのぼることができるのかもしれず、かなり古い職業と言えましょう。そして随筆を書くという仕事も、職業ではないにせよ清少納言などは千年前からしていたわけで、検非違使並みに歴史はあるのかもしれません。
 そう考えてみますと、「Jリーガー」などというのは、まだ非常に新しい職種なのです。もちろん私の子供の頃には、そのような職業は存在しませんでした。当時は、スポーツ系男子のほとんどが、
「将来はプロ野球選手になりたい」
 と言っていた時代なのですから。
 Jリーグすなわち日本プロサッカーリーグが発足したのは、1993年のこと。当時は、プロのスポーツと言えば、プロ野球でした。しかしパンチパーマに金のネックレス、みたいなスタイルの人もまだいたプロ野球選手に比べると、サラサラの髪にミサンガ、というプロサッカー選手は格段におしゃれ感があって、爽やか。そのおしゃれ感を、「Jリーガー」という言葉が後押ししたのです。
 当時は、
「○○ちゃんって、Jリーガーと付き合っているんだって」
 といった話を聞くと、かなりイケている印象を受けたものです。知り合いのスチュワーデス(当時)がJリーガーと結婚した、という話を聞いた時は、「トレンディードラマ(当時)みたい!」と、ジェラス混じりの感慨を覚えたものでしたっけ。
 前回の御代替わり、すなわち昭和から平成になった前後というのは、今思うと「J」ブームと言っていい状況でした。その先鞭をつけたのは、昭和の末期にFMラジオの世界に新規参入した「J-WAVE」です。
 それまではラジオと言うと、八百屋さんの店先に流れているような親しみやすいメディアでした。おしゃれ感の漂うラジオ局といったら、せいぜいFEN(米軍向けのラジオ。現在はAFN)くらいだったのです。
 ですからJ-WAVEが登場した時、私達は、
「しゃれてる!」
 と、のけぞったもの。何がしゃれているかといったら、J-WAVEのパーソナリティー(とも言わず、「ナビゲーター」と呼ばれていたのがまたしゃれていた)は皆、クリス・ペプラーやカビラ兄弟といったバイリンガルだったのです。ベテラン局アナとか落語家ではなく、ハーフの美男美女がネイティブな発音の英語混じりで音楽を紹介する様に、「外国みたい」と思ったものです。
 流れる音楽も、おしゃれでした。日本の歌謡曲は決して流れず、ほとんどが洋楽。たまに、恐らくはJ-WAVE側から「しゃれている」と認定された日本の曲が流れるようになったのであり、それが今に続く「J-POP」の源流となっています。
 J-WAVEは、昭和末期の放送業界に姿を現した、黒船のようなものでした。マスメディアと言ったら、大衆向けの放送を流すが故にダサいものだと思っていた中に、突然に西洋風、と言うよりはアメリカ風の放送が流れてきたことによって、若者達のBGM環境は大きく変化。当時の若者達は車の中で(当時の若者は現在と違い、かなりの割合で車を所持していた)J-WAVEもしくはユーミンのアルバムを流していれば何とかなる、と思っていたものです。

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酒井順子

さかい・じゅんこ
1966年東京生まれ。高校在学中から雑誌にコラムを発表。大学卒業後、広告会社勤務を経て執筆専業となる。
2004年『負け犬の遠吠え』で婦人公論文芸賞、講談社エッセイ賞をダブル受賞。
著書に『裏が、幸せ。』『子の無い人生』『百年の女「婦人公論」が見た大正、昭和、平成』『駄目な世代』『男尊女子』『家族終了』『ガラスの50代』『女人京都』『日本エッセイ小史』など多数。

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