よみタイ

同世代の友人を見てわが身の老婆度を思う【第7回】グレイヘアへの決断

一人旅、一人暮らし、ソロ活。縛られず、気兼ねなく過ごせる一人の時間は自由気ままで、得難い魅力があります。
一方で、孤独死、孤食、ぼっちなど、「一人」に対して、否定的なイメージがつきまとうことも否めません。
家族関係も多様となり、ネットやオンラインで会わずにつながる関係性も行きわたった昨今、一人=孤独というわけではないにもかかわらず…。
隣に誰かがいても、たとえ大人数に囲まれていても、孤独は忍び寄ってくるもの。
『負け犬の遠吠え』『家族終了』『男尊女子』『消費される階級』など、数多くの著書で時代を掘り下げ続ける酒井順子さんが、「現代人の孤独」を考察します。

記事が続きます

自分もまたおばあさんである

え・たんふるたん
え・たんふるたん

 同級生の友人が、
「白髪を染めるの、もうやめようかなぁ。しょっちゅう染めなきゃならないのが面倒くさくて」
 と言っていました。いわゆる〝グレイヘア″にしようかと考えている、ということなのです。
 私も白髪を染めていますが、確かに白髪が無いフリをして生きるのは面倒なものです。日本人の髪は黒くて太いので、白髪が一本でもあれば目についてしまうのであり、いったん染めだしたらしょっちゅう染めなくてはならない。
 染める手間をいとい、グレイヘア宣言をした女性芸能人の影響もあり、昔よりグレイヘアの人は増えてきました。
「ありのままの姿で、堂々と生きていきたいと思います」
 などと言うことができる姿は、素晴らしいものです。きっと、白髪染めによる少々の若見えごときでは左右されない、充実した人生を送られているのだと思う。
しかし私は、
「えっ、染めてた方がいいんじゃないの?」
 と、友人に言ったのでした。同い年の友人がグレイヘアに転向したなら、彼女が「あちら側」に行ってしまうような気がしたのです。
「あちら側」とはすなわち、高齢者サイドのこと。我々は今、高齢者と言われる年齢が間近に見えてきた年頃であり、老けて見られないための策を様々、講じています。そんな時にグレイヘアへの転向者が登場したら、彼女と会う度に、その白髪に「あ」と思い、「自分もまた、おばあさんである」という事実を突きつけられる気がしたのです。
 自分の顔を直接見ることはできないので、人は同世代の他人の顔を見て、自分の位置を認識しています。一緒に食事をする友人の老け込みが激しいと、「自分もこんな感じなのか?」とどんよりしてくるし、反対にきれい目の友人の場合は、気分が良くなる。自身の立ち位置の指標となる同い年の友人だからこそ、私はグレイへアになってほしくなかったのです。

黒髪=こちら側、白髪=あちら側

 また、ある年上の女友達は、グレイヘアブームが来る前から、白髪を染めていませんでした。しかし五十代のある時、急に黒髪に変身したのです。
「あれ、染めたんだ。染めないポリシーかと思っていたのに」
 と言うと、
「そうだったんだけど、最近、電車で座席を譲られることがたて続けにあって。いくら白髪まじりでも、五十代で譲られるってどうなのよ、と思ったんだけど、電車の窓にうつる自分の顔を見たら、立派なおばあさんだった。やっぱりまだおばあさんにはなりたくないと思って」
 とのこと。さらには、髪が白いとこの世から半ば足抜けした人のように扱われて、孤独感が募ってくる、とも言うのです。
 頭髪は、人の年齢がもっともわかりやすく表れる部位です。白髪=高齢者、という判断が、我々には染み付いている。
 平安末期の武将である斎藤実盛は源平の戦いの折、敵に老いていると思われて侮られたくないからと、白髪を染めて出陣したと言われています。いつの時代も、白髪と見れば「あ、老人」と、人は思っていたのです。
 件の友人は、白髪を染めるようになってから、
「人生が変わった」
 と言います。
「染めたら、会社の若い子達からも、〝こちら側の人″という感じで扱われるようになった気がする。レストランとかでの扱いにも、白髪の時は敬老感が滲み出ていたけど、一般の人間として見られるようになった」
 ということなのです。
 若者とて、五十代とか六十代の人の黒髪は、染めた結果であることは知っています。けれど、たとえ人工的な黒髪だったとしても、黒髪=こちら側、白髪=あちら側、という判断が下されるのです。
 中身は同じ人間なのに、グレイヘアを黒く染めたら「人間として扱われるようになった」という感覚は、高齢者が置かれている状況をよく示していましょう。高齢者も同じ人間であり、自分もいずれは年をとることをわかっていても、若者は高齢者のことを、自分とは別世界の人として、特別扱いします。
 電車で席を譲ったり、荷物を持ってあげたりといった、好ましい特別扱いもあります。一方で、「高齢の人にこの話をしても、どうせわからないだろう」「高齢者がいると、場が盛り下がってしまう」などと、黒髪族は白髪族を仲間から除外したりもする。いずれにしても低齢者は、高齢者のことを弱く、劣っている存在として見るのであり、その感覚が高齢者を孤独にするのです。

記事が続きます

1 2

[1日5分で、明日は変わる]よみタイ公式アカウント

  • よみタイ公式Facebookアカウント
  • よみタイX公式アカウント
酒井順子

さかい・じゅんこ
1966年東京生まれ。高校在学中から雑誌にコラムを発表。大学卒業後、広告会社勤務を経て執筆専業となる。
2004年『負け犬の遠吠え』で婦人公論文芸賞、講談社エッセイ賞をダブル受賞。
著書に『裏が、幸せ。』『子の無い人生』『百年の女「婦人公論」が見た大正、昭和、平成』『駄目な世代』『男尊女子』『家族終了』『ガラスの50代』『女人京都』『日本エッセイ小史』『老いを読む 老いを書く』『松本清張の女たち』の他、『枕草子』(全訳)など多数。

週間ランキング 今読まれているホットな記事