2025.10.27
「井之頭五郎」のように、一人で焼肉を食べたいけれど【第6回 一人メシ大国、日本】
一人の時に食べる背徳のおいしさ
そもそも私は焼肉に限らず、一人で食事をすることが嫌いではありません。誰かと食卓を共にするのも幸せだけれど、一人で食べている時も深い満足を感じるのであり、「みんなで食べるとおいしいね!」的な、一人の食卓がまるで貧しいもののような言い方には、反発を覚える。
一人で食べるとなぜおいしいかといえば、自分が好きなものを好きなように食べることができるからに他なりません。自分で料理を作るとしたら、好みの材料で好きな味つけをし、好きな分量を食べることができるわけで、そうなるともう、この上なくおいしい。自分の料理に「うまい……」などと言っている自画自賛ぶりに眉をひそめる他人がいない清々しさもまた、良い調味料となるのです。
いつも家族のために料理をしている専業主婦も、一人の食事はおいしいと言います。
「どうしても家族、特に子供が好きなものを作りがちだから、一人の時は、子供は嫌いだけれど自分は好きなレバニラを作って好きなだけ食べたりしてる。あと、家族の前では絶対に食べないペヤングを一人の時に食べるのも、背徳のおいしさ」
ということなのだそう。
とはいえ、家族持ちの一人メシと、そうでない人の一人メシは、意味が異なります。常に家族と一緒にいる人は、一人でいるという状態自体が〝ごちそう″。何を食べてもおいしく感じることでしょう。
対して一人暮らしをしている人は普段から一人なので、一人メシを喜ばないのではないか。……と思いきやそうではないことを示したのは、「孤独のグルメ」です。テレビドラマでは、松重豊さん演じる井之頭五郎が、様々なお店に入って一人で黙々と食事をする姿が、人気となりました。井之頭五郎は独身である上に一人で仕事をする身だというのに、誰かを誘うことなく一人で食事をするのが好きな、まさに「孤独のグルメ」。
静かに咀嚼と嚥下を繰り返し、心の中ではその味に感嘆の声をあげ続ける五郎さんの姿は、まさに一人メシの理想の姿。五郎さんを見て、一人で食べたくなった人も多いことでしょう。
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世界一の一人メシタウン、東京
若者の間では、「ぼっち飯」という言葉が誕生しました。当初は、一人で食事をしなくてはならない惨めさと孤独感がその言葉から滲み出ており、ぼっち飯だと思われたくなくてトイレの個室でランチを取る大学生の話が、同情と共に語られたもの。
しかし次第に「ぼっち飯」は、自虐の笑いと共に語られるようになります。のみならず、一人で食事をする気楽さと自由とを感じさせる言葉ともなってきたのです。ぼっち飯系の人気ユーチューバーもいるし、ぼっち飯がドラマになったりもしているのであり、ぼっち飯は趣味の一つのような感覚になっている模様。
日本は今や、世界に冠たる一人メシ大国となっています。他人とコミュニケーションを取ることが面倒臭い人は、無理に誰かと食事をするのではなく、一人で食事をして、一人でおいしがる。それに文句をつける人もいないし、むしろ一人メシ用の店は増え続けているのであり、一人焼肉もその一つです。
中でも東京は、一人メシができる店に事欠かない、世界一の一人メシタウンです。夜の牛丼店に行けば、仕事帰りに一人で牛丼を食べる男性達で席が埋まっています。同じ時間にスープストックトーキョーのイートインコーナーに行けば、やはり仕事帰りに一人で食事をする女性達でいっぱい。
先日私は、旅先から新幹線で帰ってくる時、突然ムラムラと牛丼が食べたくなって、下車後に八重洲地下街の𠮷野家に向かいました。
お客さんは十割が男性だったので、入るのにはやや躊躇したのですが、一人飯に集中している男性達は、当然のことながら誰が入ってこようと一瞥もくれない。東南アジア系の店員さんは、淡々と注文を受けて、品を出してくれます。
そうしてかっこんだ牛丼の、何とおいしいことか。カンナで削ったような牛肉と紅生姜、そしてご飯のハーモニーは、新幹線の中で「食べたい」と思っていた味とぴったり重なり合うのであり、私はただ黙々と食べ続け、丼を空にして席を立ったのです。
𠮷野家のようなチェーン店は、特に一人客にとって居心地の良い場所なのだと言えましょう。井之頭五郎のように、一人でも、そして下戸でも個人経営の店に入ることができる猛者もいますが、彼は下戸でも大食漢なので、ある程度の金額を店に支払うことができます。少食で下戸の私のような者には、なかなかできない芸当と言えましょう。
また個人経営の店には、一人メシ好きが苦手なコミュニケーションというものを要求されそうなムードが、ぷんぷんと漂っています。常連さんしかいない店で、変な注目を集めてしまったらどうしよう。店のローカルルールを踏みにじってしまったらどうしよう。……と思うと、ドアを開ける手が止まる。
対してチェーン店は、注文する、料理を受け取るといった必要最低限のやり取りだけすれば、あとは思い切り黙って食事をすることができます。働いているバイトさんは、客が常連なのか否かに頓着しませんし、マニュアル以上でも以下でもないサービスは、真水のようにサラリとしている。
私には、一人飯、一人茶の時の行きつけの店が、いくつかあります。地元で一人ランチをする時は、駅ビルに入っている蕎麦屋さんへ。この店は、地元ぼっち老人の憩いの場であり、いつも一人メシ高齢者がずらりと並んでいます。高齢男女が揚げたての天ぷらにかぶりついているのを横目に、「私もすぐにあちら側」などと思いつつ、鴨せいろをすするのでした。
駅の反対側の蕎麦店駅の反対側の蕎麦店に行くこともあります。こちらは個人経営の店だけれど、ホール担当の人が尋常でなく無愛想なので、いくら通っても常連的コミュニケーションを取らずに済むのがありがたい。味の良さと愛想の無さの非対称が、この店を愛する理由です。
コーヒーを飲みたくなった時は、洒落たカフェや個性的な店主がいる喫茶店ではなく、コーヒーチェーンへ。家に着く前にはしばしばコーヒーを飲んで一休みしたくなるのですが、その時は決してスタバなどではなく、地元に数あるコーヒーチェーンの中でも最もダサい店に行きます。
そこにギラギラした若者はおらず、サラリーマンや高齢者といった落ち着いた客層。コーヒーを飲みながら、落ち着いて本を読むことができるのでした。
その店でしか食べられない味があったり、キラキラした店主がいたりする店が嫌いなわけではありません。しかしその手の店に行く時は、やはり連れがほしい。一人の時は店の個性などどうでもいいし放っておいてほしいからこそ、私はチェーン店へと足が向くのです。
ダサいコーヒーチェーンで普通の味のコーヒーを飲みながら本を読むのは、至福のひとときです。誰もがのびのびと一人でいることができるそんな店で孤独をチャージし、人々はまた、混沌とした世俗へと戻っていくのでしょう。
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*次回は11月24日(月)公開予定です。

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