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「井之頭五郎」のように、一人で焼肉を食べたいけれど【第6回 一人メシ大国、日本】

一人旅、一人暮らし、ソロ活。縛られず、気兼ねなく過ごせる一人の時間は自由気ままで、得難い魅力があります。
一方で、孤独死、孤食、ぼっちなど、「一人」に対して、否定的なイメージがつきまとうことも否めません。
家族関係も多様となり、ネットやオンラインで会わずにつながる関係性も行きわたった昨今、一人=孤独というわけではないにもかかわらず…。
隣に誰かがいても、たとえ大人数に囲まれていても、孤独は忍び寄ってくるもの。
『負け犬の遠吠え』『家族終了』『男尊女子』『消費される階級』など、数多くの著書で時代を掘り下げ続ける酒井順子さんが、「現代人の孤独」を考察します。

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一人焼肉のつらい思い出

え・たんふるたん
え・たんふるたん

 一人焼肉ができるチェーン店の看板を見るたびに、「いつかここに入ってみたいものよ」と思います。
 一人旅をしている時にその店の看板を見かけると、「今日こそは」と思うのですが、「いや待て、何もここまで来て一人焼肉店に入らなくても。この土地の名物を食べた方がいいだろうよ」という気持ちが勝ってしまう。また東京においては、「知り合いに会ったりしたら気まずい」と思うと、なかなか入ることができません。
 なぜ私がそれほど一人焼肉に興味を持っているのかというと、今まで二回ほど一人で焼肉を食べた経験があり、二回ともたいへんつらい思いをしたからなのでした。一人焼肉の店であれば思う存分、肉を焼くことができるのではないか、と思うのです。
 最初の一人焼肉の思い出は、まだ私が二十代の頃でした。その時私は、ハウステンボスを一人で旅していました。
 カップルやグループ、家族でにぎやかに行くのが楽しいテーマパークになぜ一人で、と思われるでしょうが、それは一種の仕事の旅。オープンして間もないハウステンボスへ、見学気分で赴いたのです。
 しかし、時は冬。九州だと思って甘く見ていたら、そこは東京以上に寒かった。そうこうしているうちに雪まで降ってきて、「そういえば長崎は、九州とはいえ日本海側の地だった」ということを思い出します。
 近くにあったイトーヨーカドー(ユニクロはまだ存在していない)で慌てて安いダウンを購入して、ハウステンボスを歩いた私。冬の平日のテーマパークは閑散としており、とにかく「寒かった」という印象しか残っていません。
 とぼとぼとハウステンボスから出ると、すでに夕食時。私は近くの焼肉店に吸い寄せられました。一人で歩く冬のテーマパークはやはり楽しくなかったのであり、熱量の高いものを摂取したくなったのでしょう。
 焼肉店は、いていました。店の人は、一人で入ってきた私をげんな顔で見つつも、テーブルに案内してくれます。
 下戸の私は、まずはビールで一息ということもできず、ウーロン茶とタン塩とカルビとご飯。あっという間に食べ終え、焦げついたロースターを見つつ覚えたのは、「焼肉は、一人で食べるものではない」という孤独感でした。
 

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自分が食べたいように焼肉を食べてみたい

 二度目の一人焼肉は、つい最近のことです。仕事で札幌に行った私は、「せっかく北海道に来たのだし」と、ほど近くの温泉に行くことにしました。調べてみると、夕食は焼肉一択という旅館があるではありませんか。
 変わってる……、でも宿で焼肉を食べさせてくれるのであれば、かつて長崎の焼肉店で感じたような孤独感を味わわずに済むのではないか。そう思った私は、その宿を予約して、業務終了後に路線バスで向かったのです。
 宿に到着して温泉に入ると、いよいよ夕食です。夕食会場に行くと、そこはすでに浴衣姿の先客達で埋まっていました。
 私はそこに入った瞬間、「しまった」と思ったことでした。それというのもその宿に泊まっている一人旅客は、どうやら私だけ。他の人々は、カップルやグループでわいわいと焼肉を楽しんでいるのです。
 さほど広くなく、見通しの良いその部屋では、自分の一人焼肉がやけに目立つような気がします。様々な肉の部位が少しずつ出てきて確かにおいしいのですが、肉を一枚また一枚と焼くたびに募ってきたのは、やはりしんみりとした孤独感。
 
 私はここで、「食事はみんなで食べた方がおいしいね」という、食品メーカーのCMのようなことを言いたいのではありません。「焼肉を一人で食べる時は、それなりの環境と設備が必要だ」ということを、過去二回の一人焼肉体験において悟ったのです。
 だからこそ私は、一人焼肉店に行ってみたいのでした。
「それほどまでにあなたは焼肉が好きなのか」
 と問われると、そういうわけでもありません。若い頃はそれなりに食べていましたが、今となっては年に数えるほどしか焼肉店には行かないようになった。
 それは、加齢による胃と食欲の衰えによる変化です。とはいえ「焼肉」という響きに対して心が躍るのは、今も同じ。たんぱく質と脂質と糖質とを一気に大量摂取する焼肉は、生きる根源につながるようなよろこびを沸き上がらせるのです。
 しかし他人と一緒に焼肉を食べると、彼我の焼肉観の違いのせいで、その悦びを存分に味わえないことが多々あるのでした。網に肉を一度に何枚、並べるか。どの程度の焼き加減で食べるか。どの順番で食べるか。どの部位を食べるか。気の合う人でも焼肉観は人それぞれであり、「あ、合わない」と思う時の寂しさは、誰かとの間に人生観の相違を発見した時と同じです。
 だからこそ私は、一人で、自分が食べたいように焼肉を食べてみたいのです。タン塩も嫌いではないけれど、本格的な焼肉行為に突入する前の準備体操のようなタン塩をすっ飛ばして最初からカルビ、という品下る食べ方をするのはどうか。普段は気取ってベジファーストなんぞ心がけているというのに、その時ばかりは口内に最初に投入するのが脂みなぎるカルビそれもタレ、という状況に細胞という細胞が非常事態宣言を発令し、思わず白ごはんを一口、となろう。
 その後はおもむろにロース、タン塩。ロースはうんとレア気味に。誰かと一緒に焼肉を食べる時、他人にトングを任せたせいでウェルダンになってしまったロースの恨みをここで晴らしてやる。
 ……といったことが一人焼肉であれば存分にできるだろう、と私は考えているのです。ゆっくりと焼いて、一枚一枚のおいしさに陶然となりながら食べてみたい。

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酒井順子

さかい・じゅんこ
1966年東京生まれ。高校在学中から雑誌にコラムを発表。大学卒業後、広告会社勤務を経て執筆専業となる。
2004年『負け犬の遠吠え』で婦人公論文芸賞、講談社エッセイ賞をダブル受賞。
著書に『裏が、幸せ。』『子の無い人生』『百年の女「婦人公論」が見た大正、昭和、平成』『駄目な世代』『男尊女子』『家族終了』『ガラスの50代』『女人京都』『日本エッセイ小史』『老いを読む 老いを書く』『松本清張の女たち』の他、『枕草子』(全訳)など多数。

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