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陰キャだって思われたくない【第2回 孤独に最も近い人】

一人旅、一人暮らし、ソロ活。縛られず、気兼ねなく過ごせる一人の時間は自由気ままで、得難い魅力があります。
一方で、孤独死、孤食、ぼっちなど、「一人」に対して、否定的なイメージがつきまとうことも否めません。
家族関係も多様となり、ネットやオンラインで会わずにつながる関係性も行きわたった昨今、一人=孤独というわけではないにもかかわらず…。
隣に誰かがいても、たとえ大人数に囲まれていても、孤独は忍び寄ってくるもの。
『負け犬の遠吠え』『家族終了』『男尊女子』『消費される階級』など、数多くの著書で時代を掘り下げ続ける酒井順子さんが、「現代人の孤独」を考察する新連載です。

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友達が百人できるかな

え・たんふるたん
え・たんふるたん

「一年生になったら」という童謡があります。一年生になったら友達が百人できるかな、という例のあれ。
 これから新一年生になるちびっ子の中に、小学校生活に対する夢をもたらす「一年生になったら」。しかし今となってはこの歌詞は、少しばかり時代に合わなくなっている気がしてなりません。
 友達が百人できる〝かな″、ということで、疑問文の形にはなっているのです。しかしこの問いがそこはかとなくもたらすのは、「一年生になったら、友達を百人作ることが望ましい」とか「友達を百人作るべきである」といった期待、そして圧力です。
 もちろん「百人」というのは、本当に百という数を表しているわけではなく、「いっぱい」の意味。しかしいずれにせよこの歌は、ほどなく小学校に入学する幼児に対して、できるだけ多くの友達を作ることが一年生にとって喜ばしいこと、という感覚を与えます。
「一年生になったら」が、友達の数を重視する歌になったことは、歌が作られた時代に関係するように思います。この歌の作詞は、「ぞうさん」「やぎさんゆうびん」等の童謡でも知られる詩人のまど・みちお、作曲は山本直純。そしてこの歌が発表されたのは、一九六六(昭和四十一)年のことでした。
 一九六六年当時の日本は、高度経済成長期の只中にあります。一九六〇年には、首相の池田勇人が国民所得倍増計画を発表。好不況の波はあれど、日本経済が成長するのは当たり前、という意識があった時代です。
 それは、「もっともっと」の時代でした。お金であろうと物品であろうと、もっと豊かに、もっとたくさん、と人々は前進を続けていた。
 そんな時に、新一年生向けの童謡を書いたまど・みちおは、「友達百人」を子供に望みました。多くの友達を得ることは人生を豊かにする、との感覚を彼は持っていたことでしょう。
 明治の末に生まれたまど・みちおは、第二次世界大戦の時に出征し、アジアの国々を転戦した経験を持っています。戦争中は、死を間近に感じながら生きる日々。そんな経験を持つ人だからこそ、平和な世において、子供がなるべく多くの友達を持つことができるように、と祈るような詩を書いたのではないか。お金や物品だけでなく、友達も「もっともっと」と望むのは、この時代において自然なことだったように思います。

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孤独の恐さを知るための遊び

 しかしもしも今、小学生になる子供達に向けて歌を作るとしたら、「友達百人できるかな」とはならないように思います。今は、何に対しても「もっともっと」な姿勢は、大っぴらにしにくくなりました。友達に関しても同様で、「友達が多いほど良いわけではない」という感覚の人が多い。
 友達がたくさんいなくても、本当に気が合う友達が一人でもいればいいんだよ、とか。なんなら、友達が一人もいなくたっていいんだよ、とか。その手の風潮も強まり、自分の〝ぼっち″ぶりを堂々とアピールする若者も少なくありません。
 そんな時代に、「友達をできるだけたくさん作りましょう」とか、「友達は多ければ多いほどいい」などと大人が子供に言ったなら、ハラスメントとなる可能性すら漂います。昭和の子供をほのぼのと元気づけてきた「一年生になったら」のメッセージは、もう無邪気に受け止められなくなってきたのです。
 昭和人である私は、友達は少ないより多い方が何となくイケてる、というムードの中で育ちました。同様に、恋愛であれば、たくさんの人にモテた方が格好いい、という空気もあった。
 そんな時代に、私は多くも少なくもない友達を得ることができました。「一年生になったら」の影響がどの程度あったのかは定かではありませんが、子供心に「友人は、いないよりいた方がいい」と思っていたのです。
 そう思うに至るには、学校生活の中で「一人」という状態を避けるための、ある種の訓練のようなものがなされていたせいかもしれません。たとえばそれは、「えんがちょ」。
 何か汚れたものを触ってしまった子がいると、
「わー汚い、えんがちょ!」
 と誰かに言われて、その子はけがれのようなものを背負った身となる。周りの子は皆、逃げるのですが、誰かにタッチすると穢れはタッチされた子に移ったことになる……というのが「えんがちょ」。
 日本人が穢れに対して抱く感覚がここから見えたり見えなかったりするのでしょうが、一方でそれは、孤独の恐さを知るための遊び、というか儀式だったように思います。
「えんがちょ!」
 とタッチされて穢れを持つ身になると、友達がわーっと逃げていきます。自分が一生、穢れを持ち続けて一人ぼっちになる事態を想像すると恐怖心が募り、夢中で友達を追いかけましたっけ。それは、一人になってしまうその恐怖心を子供に叩き込み、孤独に陥らないように生きさせるための訓練でもあったのではないか。
「えんがちょ」はまだ遊びの延長線上と言うことができますが、その手の行為がエスカレートすると、いじめになります。まだ小さな子供でも、誰かをいじめる時に取る最もシンプルな手段は、「仲間はずれ」や「無視」。誰に教わったわけでもないのに、子供は仲間の中からターゲットを選び、はじき出して、一人ぼっちにさせるのです。

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新刊紹介

酒井順子

さかい・じゅんこ
1966年東京生まれ。高校在学中から雑誌にコラムを発表。大学卒業後、広告会社勤務を経て執筆専業となる。
2004年『負け犬の遠吠え』で婦人公論文芸賞、講談社エッセイ賞をダブル受賞。
著書に『裏が、幸せ。』『子の無い人生』『百年の女「婦人公論」が見た大正、昭和、平成』『駄目な世代』『男尊女子』『家族終了』『ガラスの50代』『女人京都』『日本エッセイ小史』『老いを読む 老いを書く』の他、『枕草子』(全訳)など多数。

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