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気がつけば結婚していませんでした 【第1回 負け犬盛りの寂しさ】

一人旅、一人暮らし、ソロ活。縛られず、気兼ねなく過ごせる一人の時間は自由気ままで、得難い魅力があります。
一方で、孤独死、孤食、ぼっちなど、「一人」に対して、否定的なイメージがつきまとうことも否めません。
家族関係も多様となり、ネットやオンラインで会わずにつながる関係性も行きわたった昨今、一人=孤独というわけではないにもかかわらず…。
隣に誰かがいても、たとえ大人数に囲まれていても、孤独は忍び寄ってくるもの。
『負け犬の遠吠え』『家族終了』『男尊女子』『消費される階級』など、数多くの著書で時代を掘り下げ続ける酒井順子さんが、「現代人の孤独」を考察する新連載です。

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懐かしさの裏側に潜んでいた、ほろ苦い感情

え・tanfultan
え・tanfultan

 かつて一人暮らしをしていた町にちょっとした用事ができたので、久しぶりに出向いた私。その頃住んでいたマンションが、建て替わって新しいマンションになっていたり、通っていたクリーニング屋さんは営業をやめていたりと、時の流れを感じます。ぶらぶらと歩いているうちに、公園の近くまでやってきたので、入ってみることにしました。
 とある貴顕の邸宅跡を利用してつくられたその公園は、たくさんの木々が繁る気持ちの良い場所です。芝生の広場では、親子連れやカップルがシートを敷いて、のんびりとランチを食べたりもしていました。
 懐かしいなぁ、と思いながらそぞろ歩いていると、突如、ある思いが私の中に浮かび上がってきました。それは、懐かしさの裏側に潜んでいた、ほろ苦い感情。
 私がこの公園をたまに散歩していたのは、二十年以上前のことです。私は、負け犬盛り(注・「負け犬」とは、かつて私が書いた『負け犬の遠吠え』という本の中で使用した言葉。三十代以上・独身・子ナシを指した。今となってはポリコレ的にいかがなものかと思えるこの言葉に不快感を覚える方には大変申し訳ないが、当時の感覚を再現すべく、そのまま使わせていただきたい)の三十代半ば過ぎといったお年頃でした。
 二十代後半から三十代いっぱいまでの一人暮らし時代は、刺激的な出来事が数多くあったと同時に、何とも落ち着かない日々でもありました。独身で、パートナーはなかなか定まらない。幸いにして多くの方々に『負け犬の遠吠え』を読んでいただくことができると、その後は、仕事方面もてんやわんや状態に。公私ともに浮わついていた、迷走時代だったのです。

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孤独感をごまかすための散歩

 三十代は、誰にとっても、心身ともに落ち着かない時代と言うこともできましょう。結婚して子供を持った人であれば、子育てはもちろん、働いている人ならば仕事との両立でバタバタの毎日。私のような独身者であれば、仕事の面では働き盛り、かつ私生活では「この先どうなるのか」という思いにつきまとわれる。
 知り合いのクリニックの先生は、
「三十代の看護師さんは、何かと不安定なので、私は雇わないことにしている。うちは、四十代以上の看護師さんばっかり」
 と言っていました。その先生も女性であるからこそ、三十代の落ち着かなさを実感しているのだと思います。
 山あり谷ありの三十代、ぽっかりと時間ができると、私は件の公園まで散歩に行くことがありました。人間、三十代後半ともなると次第に自然を欲するようになるのであり、木々の緑に接したくなったのでしょう。公園をぶらりと歩いてからスーパーで買い物というコースで、お散歩をしていたのです。実家がある町よりずっと洒落た空気が漂うこの辺りは、私のお気に入りの町でした。
 そんな時代の後、私はじたばたした末にやっとのことでパートナーを得て、別の場所で暮らすようになります。そうこうするうちに時は経ち、今や五十代も終わろうという年となり、懐かしい公園を訪れたのです。
 そして二十年ぶりに公園を歩きながら噴出してきたほろ苦い感情とは、
「寂しかったな……」
 というもの。
 負け犬盛りの私にとって、公園の散歩は緑に接するための行為でした。が、同時にそれは、いつまで続くのかわからない一人暮らしによる孤独を忘れるための行為でもあった。当時の私は、「孤独感を紛らわせるために歩いている」という事実に蓋をして、〝イケてる公園を散歩し、余暇を有効に使っているイケてる自分″のつもりでいたのです。
 が、久しぶりに同じ公園を歩いた時、二十年の孤独感を覆っていた蓋が霧散して、当時の感情がフラッシュバック。あの頃の散歩は決してイケてる余暇活動ではなく、孤独感をごまかすための行為であったことをはっきりと自覚しました。
 美しい公園の中で思わず歩を止め、かつての寂しさをはんすうした私。気を取り直して公園を出れば、洒落たカフェなども点在する街並みが広がります。そのカフェを外から眺めつつ、
「あの頃の私が本当に欲していたのは、洒落たカフェがある町に住むことではなかったのだ」
 とも思ったのでした。当時の私が欲していたのはそう、他でもない〝非孤独″。

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新刊紹介

酒井順子

さかい・じゅんこ
1966年東京生まれ。高校在学中から雑誌にコラムを発表。大学卒業後、広告会社勤務を経て執筆専業となる。
2004年『負け犬の遠吠え』で婦人公論文芸賞、講談社エッセイ賞をダブル受賞。
著書に『裏が、幸せ。』『子の無い人生』『百年の女「婦人公論」が見た大正、昭和、平成』『駄目な世代』『男尊女子』『家族終了』『ガラスの50代』『女人京都』『日本エッセイ小史』『老いを読む 老いを書く』の他、『枕草子』(全訳)など多数。

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