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最も近い関係に見えて、最も遠くにいるもの【第3回 娘達の甘え先】

私もお母さん的な存在に甘えたいんだけどな

 小さな子供は、男であれ女であれ母親を強く求めています。赤ん坊は母親のおっぱいを吸わなくては生きていくことができないのであり、少し前まではその胎内にいた母親に抱っこされることによって、無上の安心感を得ることができる。
 ある程度成長すると、お母さんのおっぱいやお母さんの抱っこから、子供は卒業しなくてはなりません。断乳のためにおっぱいに怖い絵を描くとか、唐辛子を塗るといった荒療治に出て、ようやく断乳させるお母さんもいるようです。
 しかし断乳に成功した後も、一部の子供は、おっぱいの希求、すなわちお母さんへの恋慕を、抱き続けるのでした。
 してその〝一部の子供″とは誰かといえば、主に男児ということになるのでしょう。人前で欲求をあらわにはしないものの、大人になっても「お母さんのおっぱい」的なものを求め続けている男性の、いかに多いことか。
 女児の場合は、自分にもおっぱいがあることを自覚すると、お母さんのおっぱいにすがりたいという感覚は、薄れていくのです。その辺りの自立感は、男女で全く異なっているのではないか。
 大人になってもお母さんのおっぱいを求め続ける男性の欲求を満たすことは、日本ではほとんど産業になっています。「ママの味」をうたう不二家のミルキーは、まさにお母さんのおっぱい的なキャンディと言うことができましょう。
 ミルキーは男女の別なくめることができるキャンディですが、男性は長じるにつれ、社会の様々な場所で「お母さん」的存在を求めるようになっていきます。バーやスナックの女主人は「ママ」と呼ばれ、男性達の甘えを引き受ける存在に。おふくろの味を供する食堂等もあります。
 ふくよかな女性や熟女を揃えていたり、おむつプレイを提供する風俗店も、お母さん産業の一環でしょう。AV業界でも、経験豊富で包容力のある義母役熟女に若い男性が性の手ほどきを受けるといった作品は、コンスタントに作られ続けている。男性達は大人になってからも、お金を払ってお母さん的な存在に甘えたいのです。
 そのような事象を見ていると、私は何やら羨ましくなるのでした。
「私もお母さん的な存在に甘えたいんだけどな」
 と。
 昭和の男性は、仕事で溜まったストレスを発散するために、お母さん的な存在に甘えていました。自分の母親は遠くにいたり他界したりしていても、「ママ」や「お母さん」と呼ぶことができる夜の街の擬似母のもとへ行って、ちやほやしてもらったりヨシヨシしてもらったりしていた。
 彼等は、自分の妻のことも擬似母にしていたきらいがあります。日本の夫婦は、家族内の最も年少のメンバーが使用する呼称を家族全員が使用する傾向が強く、夫婦間でも「パパ」「ママ」とか「お父さん」「お母さん」と呼び合うケースが多いものです。この時に夫は、妻を「ママ」とか「お母さん」と呼ぶたびに、母親に対するのと同様の甘えを、妻に対して抱いてはいないか。
 妻の側にも、夫を息子的に扱うことによって、自分のものとして認識しようとする傾向が見られました。専業主婦は、何から何まで家事は自分が担って夫を家事無能力者に仕立て上げることによって、その自立を阻害したのです。日本の夫婦間ではセックスレスが常態であるのも、夫婦が擬似母子のような関係であるのだとしたら、当然と言えましょう。

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娘達の胸には、孤独の風が吹きすさぶ

 その後、状況は大きく変化しました。外で働く女性の割合はぐっと増え、男性と同等もしくはそれ以上のストレスを抱えるように。すると女性の側も、お母さん的な存在に甘えてストレスを忘れたい、という欲求を持つようになってきたのです。
 しかし、世に女性向けの〝お母さん産業″は存在しません。では〝お父さん産業″ならあるのかと言えばそうではなく、せいぜい行きつけの店の年配の主人を、
「お父さん」
 と呼ぶ程度。女性はミルキーを舐めて耐えるしかないのです。
 自分の夫を父親視して、甘えられるわけでもありません。経済的な負担も家事的な負担も夫婦で分かち合うケースが増えている今の家族ですから、夫に大黒柱としての自覚があるわけでもない。気がつけば夫より自分の年収の方が高くなった妻が家長としての自覚を持とうものなら、大人になった女性が甘えられる相手など、どこにもいないことになります。
 子供がまだ小さい時は、濃厚な愛情をやりとりすることによって、「甘えたい」という欲求は忘れることができたことでしょう。しかしそんな時期が過ぎ、次第に年を取ってきた時に「甘えたい」という欲求が浮上してきても、甘えられる相手はいない。夫や兄や弟は、まだ母親や妻に甘えているというのに。
 そんな時、娘達の胸には、孤独の風が吹きすさぶのでした。大きくなった娘達も、実は甘えたいという欲求を持っていることに誰も気づいていないのもまた寂しいのですが、そんなことはおくびにも出さず、有り余り気味の愛情を、推し活へと注入するのです。
 女性は男性よりも周囲に共感する能力やコミュニケーション能力が高いという話がありますが、それは実は、寂しさから育まれた能力なのかもしれません。母と息子の愛情を超える関係を作ることはできないからこそ、娘達は他者とつながる能力を発達させてきたのではないか。
 私は、悲しいことがあったり悩みがあったりすると、心の中で、
「お母さーん」
 と叫んでみることがあります。それはまるで、かつてのハナマルキのコマーシャルのよう(ハナマルキという味噌メーカーのコマーシャルで、「お母さーん」と叫ぶ少女が出てくるものがあった。常に家族のために尽くす母、というイメージが、味噌汁に象徴されていたのだろう)。自分のことを全面的に受け入れてくれる存在を、探したくなるのです。
 私の母親はと言えば、子供の悩みを受け入れるというよりは、自分のことに夢中なタイプの人でした。が、それでも世間一般のお母さんイメージを自分の中に無理矢理移植して、
「お母さーん」
 と胸に響かせてみても、返事が聞こえることはない。最も近い関係に見えて、実は最も遠くにいるもの、それが実の母と娘なのかもしれないと、静寂の中で思うのでした。

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*次回は8月25日(月)公開予定です。

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酒井順子

さかい・じゅんこ
1966年東京生まれ。高校在学中から雑誌にコラムを発表。大学卒業後、広告会社勤務を経て執筆専業となる。
2004年『負け犬の遠吠え』で婦人公論文芸賞、講談社エッセイ賞をダブル受賞。
著書に『裏が、幸せ。』『子の無い人生』『百年の女「婦人公論」が見た大正、昭和、平成』『駄目な世代』『男尊女子』『家族終了』『ガラスの50代』『女人京都』『日本エッセイ小史』『老いを読む 老いを書く』『松本清張の女たち』の他、『枕草子』(全訳)など多数。

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