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最も近い関係に見えて、最も遠くにいるもの【第3回 娘達の甘え先】

一人旅、一人暮らし、ソロ活。縛られず、気兼ねなく過ごせる一人の時間は自由気ままで、得難い魅力があります。
一方で、孤独死、孤食、ぼっちなど、「一人」に対して、否定的なイメージがつきまとうことも否めません。
家族関係も多様となり、ネットやオンラインで会わずにつながる関係性も行きわたった昨今、一人=孤独というわけではないにもかかわらず…。
隣に誰かがいても、たとえ大人数に囲まれていても、孤独は忍び寄ってくるもの。
『負け犬の遠吠え』『家族終了』『男尊女子』『消費される階級』など、数多くの著書で時代を掘り下げ続ける酒井順子さんが、「現代人の孤独」を考察する新連載です。

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え・たんふるたん
え・たんふるたん

 父親が先に他界し、残された母親のお世話をしている、という人が多い私の年代。そんな人達を見ていると、私は「娘の孤独」というものを感じるのでした。
 母親の介護の主体となりがちなのは、子供達の中でも実の娘です。女性同士ということで、実の娘は実の息子よりも、介護負担を多く担いがち。
 女性といえば男きょうだいの妻、昔風に言うなら「ヨメ」という立場の人もいますが、今は長男のヨメが義父母の介護をしなくてはならない時代ではありません。夫婦がそれぞれに自分の親を看ましょうね、というケースが多い模様です。
 実の母と娘の間での介護であれば、さほどのあつれきは無かろう、と周囲は見ています。しかし本人達は、実の母娘ならではのストレスを、おおいに感じているのでした。実の母娘だからこそ遠慮がなくなって、厳しいことを言い合ってしまうのです。
 さらに深刻なのは、実の娘が介護における大変な部分を一手に引き受けているのに、母親の愛情は実の息子へ向かう、というケースです。
 母親の要望やわがままに日々対応しているのは、娘です。対して息子は、たまにやってきて母親を食事に連れ出したりプレゼントをあげたりする程度。すると母親はそんな息子に大喜びして、食事の席では娘の介護に対する愚痴を盛大にこぼします。
 それを聞いた息子は、
「母さんがこんなこと言ってたぞ」
 と妹(もしくは姉)に注意したりするわけで、
「それを聞くと本当に、死にたくなる。頑張って面倒を見ているつもりなのに、母が可愛いのは結局は兄で、私は愛されていないんだな、って」
 と、知人は言っていました。
 同じような経験を持つ人は、多いものです。母親を介護しているのは自分なのに、愛情は兄や弟がかっさらって行くことに孤独と絶望を感じる娘達が。
 男きょうだいを持つ娘達は、
「結局、母親って息子の方が可愛いのよ」
 と、口々に言うのでした。娘は、手足を動かして実務をこなす係。息子は、愛情をやりとりする相手。……という棲み分けが母親の中ではできているのではないか、と。
 しかしそんな娘達も、子を持つ母親であったりします。
「確かに、息子って可愛いのよね」
 とつぶやく彼女も将来、娘に面倒を見てもらいながら、娘の愚痴を息子にこぼす老女になるのかもしれません。

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祖母が本当に待っていたのは

 私はといえば、母が六十代でほぼポックリ死をしたため、母の介護をしていません。自分はこんなに母の面倒を見ているのに……という経験は持っていないのです。
 が、母が他界した後に残された母の母、すなわち私にとっては祖母の家で、似たような思いをしたことがあるのでした。
 とっくの昔に祖父に先立たれ、さらには娘にも先立たれた高齢の祖母をびんに思った私はその頃、できるだけ頻繁に祖母の家を訪れるようにしていました。祖母の好きそうな食べ物を買って行ったり、話し相手になったりと、母の代わりを務めようとしたのです。
 少しは祖母の役に立てているだろうか。喜んでくれているだろうか。……と通う私を、祖母もにこやかに迎えてくれていた。
 やがて、祖母は他界しました。すると葬儀の折に親戚から聞いたのは、
「おばあちゃん、○○くんが来ないかしら、っていつも待っていたのよ。○○くんのことを一番可愛がっていたものね」
 という話。
 それを聞いて私は、「あー」と思ったことでした。「○○くん」とは、祖母の息子の息子、すなわち私の従兄弟。せっせと通う私を受け入れてくれていた祖母だったけれど、祖母が本当に待っていたのは○○くんだった、と判明したのです。
 ○○くんがごくたまに来た時は、うなぎを取ったりして大歓迎していたとのことでしたが、私が行った時に鰻が出てきたことはなかった。
「もう暗くなるから早く帰った方がいい」
 などと言われていたのは、孫の帰途が心配だったわけではなく、本当に早く帰ってほしかったから……とも思い至りました。
 私は、
「お呼びじゃなかったのか」
 と、祖母を失ったことよりも、その事実に対してしんみりした気分になったことでした。そして「私、おばあちゃん孝行してるナー」くらいの気持ちでいた自分を恥じた。
 同時に思ったのは、「母も同じことを思っていたのかもしれない」ということです。祖母が○○くんを愛していたのは、自分の息子の息子だから、というところも大きいでしょう。祖母は、女子よりも男子の方が、より可愛いと思うタイプ。そして我が母はそのことにおそらく気づいており、一生、うっすらとした孤独感を抱き続けたのではないか。
 そんなことがあったせいか、娘という存在は、実は孤独な立場なのではないか、と私は思っているのでした。女三界に家なし、などと言われた時代はもう過去のものとなり、実家であろうと結婚後の家であろうと、娘達も堂々と暮らすことができるようにはなっています。長男だけが大切にされて、娘はやがて嫁に行く存在としてしか見られない、ということもなくなりました。
 しかし今なお孤独感を抱く娘達がいることの背景には、娘が決して割り込むことができない母と息子の結びつき、というものがあるのではないかと思うのです。

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酒井順子

さかい・じゅんこ
1966年東京生まれ。高校在学中から雑誌にコラムを発表。大学卒業後、広告会社勤務を経て執筆専業となる。
2004年『負け犬の遠吠え』で婦人公論文芸賞、講談社エッセイ賞をダブル受賞。
著書に『裏が、幸せ。』『子の無い人生』『百年の女「婦人公論」が見た大正、昭和、平成』『駄目な世代』『男尊女子』『家族終了』『ガラスの50代』『女人京都』『日本エッセイ小史』『老いを読む 老いを書く』『松本清張の女たち』の他、『枕草子』(全訳)など多数。

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