よみタイ

加門七海「着物憑き」
あの世とこの世のあわい。
幼いころからそれを感じ取る加門氏は、
ここ数年で、着物を身にまとう機会が増えた。
それは「夢中」を通り越し、まるでなにかに
「取り憑かれた」かのように……。
着物をめぐる、怪しく不思議なエッセイ。

振袖(二)

 二十歳の時に着た振袖は、忘れ難い一枚だ。
 成人式を控えた私は、母に連れられて着物展示場に赴いた。
 普段、我が家は近所の呉服屋とつきあっていたが、ここ一番というときは、呉服屋と共に日本橋に赴いた。
 今、チェーン店の呉服屋などがやっている催事ではなかったと思う。ビルの中にいる人は、ほとんどが業者らしかった。
 空間もしんと落ち着いている。
 いわゆる問屋という場所だ。
 しかし、招かれた空間は、ただただ華やかだった。
 エレベーターを降りた瞬間、私は室内の彩りに圧倒された。
 晴れ着のみならず、ありとあらゆる反物が、畳敷きの大きな部屋の四隅や中央に積み上げられている。
 艶やかな漆塗りの衣桁いこうには、訪問着や振袖が広げられていた。また、金糸銀糸の唐織の帯、品良くしなやかなつづれの帯が絵画のように並んでいる。
 何百反あるのだろう。
 こんなに沢山の品の中から、どうやって振袖を選ぶのか……。
 掛けられている振袖は、派手な花鳥と吉祥文様に埋め尽くされて、しばらく眺めているうちに、どれも同じに思えてきた。
 反物を広げてみたい気持ちもあったが、きちんと巻き直す自信がない。汚す恐れも手伝って、私は畳の隅っこにかしこまって座るのみだった。
 母は娘を放り出し、呉服の森を駆け回っている。
 当時の私に、着物を選ぶ権利はない。
 正座して待つのは辛かったが、目が飽きることはなかったため、私は美術館にでもいる気になって布や紐を眺めていた。
 母が戻ったのは、数十分後だ。
 後ろに従った呉服屋が、着物の入った乱れ箱を掲げている。
「これを着てごらんなさい」
 有無を言わせぬ口調で、母は言った。
 呉服屋さんがにこにこと、敷紙の上に振袖を広げる。
 眼前に現れたのは、雪のごとき白地の綸子りんず
 そこに少し桃色がかった紅梅と、白地に紛れる白梅が枝も見事に描かれている。
 派手な色の振袖だけを目で追っていた私にとって、その選択は衝撃だった。
 目が洗われるとは、このことか。
 典型的な古典柄だが、見ていて飽きることがない。
 私は一目で魅せられた。母も同じだったのだろう。
 その振袖に、金糸のまさった朱赤の袋帯を合わせて、ほんの一時間足らずの間に成人式の着物は決まった。
 身につけたのは、成人式と翌年の正月、二度だけだ。
 いずれも気分は高揚したが、振袖はそれきりしまい込まれた。着物を諦めたのちは、記憶からも薄れていった。
 だが、母から着物を譲られて、にわかに私はその振袖を思い起こした。
 もう着られないのはわかっていたが、改めて一度、眺めてみたい。
 私は引き出しをき回した。しかし、振袖は見つからなかった。どこにしまったのかと尋ねると、思いがけない答えが返った。
「あげちゃったわ」
「ええっ? なんで?」
「娘に振袖を仕立てるお金がないっていう人がいてね。気の毒だから、あげちゃったの」
 ……気前が良いにも程があろう。
 無論、文句を言う権利はない――ないけれど、着物のことが少しわかるようになった今だからこそ、あの振袖をもう一度、私はじっくり見てみたかった。
 しかし、もうどうしようもない。
  諦めるほかはなかったが、こういう未練は長く残る。成人式や謝恩会の季節が来るたびに、私は自分の振袖を思った。
 擦れ違う盛装の女性達は、皆、美しく装っている。が、私の振袖と似たような意匠には、お目に掛からない。
 私はあの時の振袖を、素晴らしいものだと考えていた。
 本当に、それほどのものだったのか。確かめたい。けど、ないものはない……。
 堂々巡りの屈託を抱えたままで、数年後。
 たまたま入ったデパートで、着物の催事をやっていた。
 会場に入ると、その一角にリサイクル着物やアンティークを扱う店が出店していた。
 そのブースの一番奥――壁にディスプレイされた振袖を見て、私は息を吞み込んだ。
 白い綸子に、紅梅と白梅。
(私の振袖? 似ているだけ?)
 人の行き交う通路に立ったまま、私は着物を凝視した。
 至近で見ればいいのだろうが、足は前に出なかった。
 私はしばし逡巡しゅんじゅんし、それからくるりときびすを返した。
 怒りに似た当惑が湧いてきた。
 もしも、あれが「本物」ならば……振袖をもらった相手が、さしたる愛着もないままに売っていたなら、あまりに悔しい。
 いや、着物が買えないと言った人だ。やむなく手放した可能性もある。いやいや、着物なんて、今どきのリサイクルなら二束三文だ。時代劇ならともかくも、着物を売り飛ばして生活の糧にするなんてできやしない。
 ならば、あれは私のものじゃない。絶対、違う振袖だ。同じ着物が何枚か、作られることはある。だから、柄が同じでも違う。
(あれは、違う振袖だ)
 私は自分に言い聞かせ、湧き上がる疑念を振り払った。
 ところが、だ。
 動揺も薄れた年の暮れ、私は再度、同じ振袖に巡り合うことになったのだ。
 場所は、当時、よくのぞいていたアンティークショップだ。
 そこで店員とお喋りしていると、若い女性が入ってきた。
 成人式に着る振袖に合う、帯を探していると言う。
「これもリサイクルなんですが」
 言いつつ、彼女は畳紙を広げた。
 白い綸子に、紅梅と白梅。
 これは。
「……どこで買ったの?」
 驚愕のあまり、失礼な問いが口から出た。
 彼女は気にせず、素直に店の名前を答える。
 あそこだ。
 催事に出ていた店だ。
 愕然とする私の横で、店員が言った。
「お召しになってみませんか? そのほうがイメージが湧いてくるから」
 彼女は少し照れながら、振袖を広げて袖を通した。
 まったく言葉が出なかった。
 母があつらえてくれた振袖は、たもとの丸みが通常よりも少し大きくなっていた。それで柔らかみを出したいと、母が呉服屋に注文したのだ。
 女性が纏った振袖の袂も、緩やかに丸い。
 もう、否定はかなわない。
  紛れもなく、これは「私の」振袖だ。
 私は数歩後じさり、振袖を纏った女性を見つめた。
 怒りも悔しさも感じなかった。なぜならば、頰を紅潮させた若い女性に、その振袖はとても似合っていたからだ。
(簞笥の肥やしにはならない、か)
 それが、この着物のプライドか。
 心の中に、苦笑が浮かんだ。
 確かに、どれほどの未練があっても、私に振袖はもう着られない。仕立て下ろしでもリサイクルでも、振袖という着物の本懐は、妙齢の女性を美しく装わせるためにある。
 だから、この着物は手元を去ったのだ。
 それでも愛着断ちがたい私を慰めるように、姿を見せてくれたのだ。
(嬉しいね)
 素直に、私は思った。
「一目惚れだったんです」
 鏡に映った己にうっとりしながら、女性が胸に手を当てた。
 ありがとう。
「すごく似合うわ」
 私は言った。
「この帯がいいんじゃないかしら」
 店員が金朱の帯を持ってきた。
 うん。きっと合うはずだ。

 肌に纏うものだからこそ、着物には人の思いが入りやすいのかもしれない。
 愛された着物は、人を幸福にすることに、喜びを見出しているのかもしれない。
 祖母の形見が母を経て、私に渡ってきたように、着物はそのときどきに相応しい人のもとにやってくる。
 着物は選ぶものではない。
 着物が、人を選ぶのだ。

[1日5分で、明日は変わる]よみタイ公式アカウント

  • よみタイ公式Twitterアカウント
  • よみタイ公式Facebookアカウント

よみタイ新着記事

新着をもっと見る

加門七海

かもん・ななみ●東京都生まれ。多摩美術大学院修了。学芸員として美術館に勤務。1992年『人丸調伏令』で小説家デビュー。日本古来の呪術・風水・民俗学などに造詣が深く、小説やエッセイなどさまざまな分野で活躍している。ひとり百物語を特技とするほど、豊富な心霊体験を持つ。また、オカルト・ルポルタージュでも注目を集めている。著書にエッセイ『うわさの神仏』『うわさの人物』『猫怪々』『お祓い日和 その作法と実践』『鍛える聖地』『大江戸魔方陣』『もののけ物語』『たてもの怪談』、小説に『祝山』『目嚢』など多数。

週間ランキング 今読まれているホットな記事