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加門七海「着物憑き」
あの世とこの世のあわい。
幼いころからそれを感じ取る加門氏は、
ここ数年で、着物を身にまとう機会が増えた。
それは「夢中」を通り越し、まるでなにかに
「取り憑かれた」かのように……。
着物をめぐる、怪しく不思議なエッセイ。

古着(三)

 手に入れたのは、かなり古手の久留米絣くるめがすりだ。
 しかも、男物である。
 男の着物は身八つ口が開いていない不便がある。しかし、小柄な私には、おはしょりをせずに対丈で着る男性着物がちょうどいい場合があったのだ。
 何より、木綿は自宅で洗える。この買い物に失敗しても、青ざめるような値段でもない。私はそんな算盤そろばんも弾いた。
 購入したのは、インターネットの通販だ。私はそこで、昔の書生さんが着るような細い十字絣の着物を選んだ。
 だがしかし、やがて店から届いた着物は湿り気を帯びて黴臭かびくさかった。
 加えて、妙に重い気がする。
(昔の木綿って、重いんだな)
 それとも、湿気のせいだろうか。
 眉をひそめながら広げると、居敷当いしきあてという補強の布が尻の辺りに当てられている。
 これも綿だが、白地のせいか、黄ばんだ染みが浮いていた。
 そこも、着物本体も、よく見ると縫い目が乱れている。
 どうやら、誰か、素人が仕立てたものらしい。
 久留米絣は現在、ものによっては何十万もする。けれど、私が手にしたものは庶民的な……いや、本当に着古した古着にしか思えなかった。
 正直、残念な気持ちになったが、木綿は洗える。洗濯すれば、黴臭さも消え、こざっぱりするに違いない。
 私はそんな期待を掛けて、大きな洗い桶を用意して、そこでざぶざぶと着物を洗った。
 水を吸うと、木綿は殊更重い。そんな初体験や発見にバタバタしながら着物を干して、乾くのを待って取り込んで……。
(やはり、重い)
 いや、それ以上になんだろう……この着物、清潔感がない。
 なんだか嫌な気分になった。けれども、手を掛けた分、湧き上がってきた忌避感を認めるのは嫌だった。
 私は着物を肩に掛け、ゆっくり袖を通してみた。
 その瞬間、
(着たくない)
 私は慌てて、着物を脱いだ。
 そして、床に落とした着物を改めて広げて考えた。
 どうして、この着物はこんなに気持ちが悪いんだろう。
 裏に当てた木綿の居敷当が、妙に不潔に思えるからか。
 縫い目も不揃いで美しくないし、染みは薄くなっていたけれど、見ようによっては、ぼろが貼りついているようだ。
「取るか」
 私は呟いた。
 居敷当はつけるのが当たり前というものではないので、取ってしまうことも可能だ。できれば、そのまま着たかったのだが、染みの残る布をつけているのは、いくら古着とはいえ、あんまりだ。
 私はカッターを手にとって、古い木綿糸を切り、縫いつけられた布を解いた。
 半ば、布が外れたとき、きらっと電気の下で何かが光った。
 ぎょっとして、私は手を離した。
 のけぞるような姿で見直すと、居敷当を縫いつけた糸に絡んで、一本の長い白髪がのたくっていた。
(ああ、これか……)
 これでは、とても着られない。
 私は溜息をついた。
 見た瞬間、老婆の姿が浮かんだからだ。
 そして、その思いが久留米絣に絡んでいるのを知ったのだ。
 手に入れた着物は、男性用だ。
 その反物を縫ったのが素人だというのなら、男性の家族に違いない。
 妻が夫のために縫ったのか。それとも孫のため、祖母が心を込めたのか。
 真相は探り当てられないが、その一本の髪の毛は、これを着たであろう男に対する愛情のしるしのように思えた。
 木綿の単衣ひとえ一枚を縫うのに、どれほどの時間が掛かるのか。
 生憎あいにく、私にはわからない。
 しかし、縫い目は手慣れたものとは言い難い。きっと、時間が掛かっただろう。
 夜なべをしたのかもしれない。
 年を取って目がかすみ、自分の髪が糸に絡んでもわからないほど、一生懸命、縫ったのだろうか。
 着物の年代から考えて、白髪の女性はもうこの世にはいないだろう。本来の持ち主も、もしかすると、もういない。
 残ったのは、愛情だけだ。
 そして、その白髪の主は。数千円で古着屋から着物を買った私に、着ることを許さなかったのだ。
 結局、その着物は解いて、後日、細工物に使う端切れとして人に譲った。
 糸を解いて、布に戻してもう一度、きれいに洗ったその後に、以前感じた独特の重さは残っていなかった。
 縫うという行為は、心や思いを縫い留めることでもある。そして、それを解く行為は、念を解くことにも通じる。
 古い着物をリメイクして着ることが流行った時代もあった。が、それは着物が嫌というより、着物を大切にしていた時代の念を無にする作法のひとつだったのかもしれない。
 私はその後、改めて久留米絣を手に入れたけど、そちらはもうなんでもない、ただのリサイクル着物だった。

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加門七海

かもん・ななみ●東京都生まれ。多摩美術大学院修了。学芸員として美術館に勤務。1992年『人丸調伏令』で小説家デビュー。日本古来の呪術・風水・民俗学などに造詣が深く、小説やエッセイなどさまざまな分野で活躍している。ひとり百物語を特技とするほど、豊富な心霊体験を持つ。また、オカルト・ルポルタージュでも注目を集めている。著書にエッセイ『うわさの神仏』『うわさの人物』『猫怪々』『お祓い日和 その作法と実践』『鍛える聖地』『大江戸魔方陣』『もののけ物語』『たてもの怪談』、小説に『祝山』『目嚢』など多数。

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