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加門七海「着物憑き」
あの世とこの世のあわい。
幼いころからそれを感じ取る加門氏は、
ここ数年で、着物を身にまとう機会が増えた。
それは「夢中」を通り越し、まるでなにかに
「取り憑かれた」かのように……。
着物をめぐる、怪しく不思議なエッセイ。

古着(二)

 以前、記した話だが、市松人形のために買ったアンティーク着物も、その一枚だ。
 詳細は拙著(『もののけ物語』KADOKAWA)に譲るが、私が買った人形はボディだけ。着物を着ていなかった。それゆえに私は彼女のために人の着物を買ったのだ。
 綺麗な緑色の地に、鉄線の花を描いた友禅だ。
 私はそれを仕立てる前に衣紋掛けに掛けて虫干しをした。
 小さな怪異が起こったのは、その晩だ。
 夜、何かが動く気配を感じて、着物に目を転じると、着物の袖から、白い女の手がひらひら動いて見えたのだ。
(あ、この着物、曰く付きだな)
 思ったものの、恐怖はなかった。
 なぜなら、この着物こそ、私の人形に相応しい。そう信じていたからだ。
 思い込んだ理由は、すぐ判明した。
 着物を見て、母が言ったのだ。
「随分古い着物ね。それは昔の芸者さんとか水商売の人が着るものよ」
 実は、私が買った市松人形は、特注で作られたにもかかわらず、依頼人の気分でキャンセルされて、店頭に並んだ品だったのだ。
 私はそれに一目惚れをし、生まれて初めてキャッシングなるものに手を染めた。
 つまり、人形は本来の主人に捨てられて、ショーウィンドーという張店に出た女の子。それに惚れて、借金を背負ってまで身受けをした私の立場は、恋人を女郎屋から受けだした貧乏旗本そのものだ。
 そんな関係の象徴が、曰く付きの芸者の着物だったのだ。
 だから、怖いとは思わなかった。
 案の定、着物をほどいて人形用に作り直しても、その後は何も起こらなかった。
 ただ、今思うと、人形のための着物を作るという行為は、当時、着物を諦めていた自分への代替行為だった気がする。
 そう考えると、昔の自分がちょっと哀れな気もするし、屈折した執着に空恐ろしいものすら感じる。
 だが、まあ、人形は満足そうだし、私も今は落ち着いている。メデタシメデタシでいいだろう。

 次に古着の怪異に遭ったのは、着物を着始めてからのことだ。
 母から着物を譲られて有頂天になった私だが、高揚感が落ち着くにつれ、困ったことに気がついた。
 似合わないのだ。
 母と私ではタイプが違う。なので、母と同じコーディネートで着物と帯を合わせても、全くしっくりこないのだ。
 着物は良くても、帯が合わない。帯はいいけど、着物がおかしい。それぞれが好きでも似合わない……。
(困った)
 譲られた和服を活かすには、自分で揃えていくしかない。
 以前だったら、またここで私は挫折しただろう。しかし、今回は救いがあった。
 リサイクルとアンティーク着物の存在だ。
 元々、私は骨董好きだ。そのせいか、古着に対する躊躇ちゅうちょや忌避感はほとんどない。
 大体、江戸時代の庶民なら、着物は古着屋で買うのが普通だ。また、親から譲られるのも、当たり前のことだった。
 新しい衣服を買うのが当然となったのは、実は最近になってのこと。仕立て替えがほとんどきかない上に、流行によってパターンが変わる洋服が幅を利かせてからだ。
 実際、着物好きと話をしていると、きっかけが親や親戚から譲られたことを挙げる人は多い。ただ、環境は同じであっても、着物に興味がなかったり、サイズが合わずに断念する人もいる。
 サイズが合わない人のほとんどは、小さくて着られないというものだ。
 日本人の体格が良くなったため、ひと昔前の着物の多くは現代人には合わなくなった。
 大きい着物なら小さくできる。しかし、残念なことに、今は着物の寸直しも結構、お金がかかる。それなら慣れない着物より、新しい洋服を買うほうがいい。そう思うのは当然だ。
 幸いにして、母と私は体形がほぼ同じだったため、すべて直さずに袖を通せた。
 親が「もったいない」という価値観を失っていなかったことも幸運だった。
 母の箪笥たんすには、祖母の着物をはじめ、親類や友人から譲られた着物や帯がしまわれている。母もまた、着なくなった着物を人に譲った。
 それらは各々の手元において仕立て替えされ、染め直され、ときには帯に変わったり、羽織に作り直されたりして、長い時間――何代もの女性たちの身を飾ってきた。
 本来、着物も家財道具もすべて、そうやって繕われて慈しまれて、長く実用品として、人の側(そば)にあったのだ。
 しかし、古い気をまとったモノたちは、高度経済成長期とその後のバブルを契機にして失われていった。
 中でも、衣類はぞんざいに扱われたようだ。
 ひとりで着物を着られるようになった後、私はあるパーティに出かけた。
 そこで会ったスーツの女性に、自分の着物は母のものだと言ったところ、彼女は呆れた声を放ったのだ。
「あら。お下がりを着ているの?」
 びっくりした。
 アンティークの家具やジュエリーに、価値を見出す人は多い。けれども、着物は「お下がり」なのか。
 身に付けるものだけに、神経質になるのはわかる。しかし、この潔癖な感性によって着物が捨てられ、家々から和服を着るという習慣が失せていったのは確かだろう。
 何とももったいないことだ。
 ――少し話がずれてしまった。
 ともかく、譲られた着物をなんとか活かそうとして、私は古着に手を出した。
 今はネットでも実店舗でも、リサイクル品が充実している。
 しかも、当然ながら、リサイクル品は新しいものより格段に安い。
 無論、作家ものやブランド品などは高い値段がつくけれど、それ以外なら物によっては千円程度のものからあるのだ。
 裏を返せば、そんな安価で出回るほどに、着物を手放す人が多いということ。残念に思う気持ちもあるが、着物を着たい人にとって、リサイクル市場は有り難い。
 私はそこに食いついた。
 先ほど、日本人の体格が良くなったため、ひと昔前の着物が着られなくなったと記した。が、私は小柄だ。小さい着物は同じ古着でも、さらに安い。
 洋服だとサイズが合わずに断念するのは私のほうだが、着物は逆だ。
 私は勝利を確信した。
 とはいえ、手を出し始めた当初は、ままならないことばかりだった。
 インターネットの古着屋で初期に買った着物や帯は、届いてみると、どうにもならない品も多かった。
 つまり、まあ失敗したのだ。
 その失敗にひるんだ私は、木綿の着物を買おうと考えた。いや、最初から木綿の着物は欲しいものリストに入っていた。
 親の着物はいわゆる洒落着しゃれぎで、絹の物が圧倒的だ。それらを無駄にしないためと言いながら、普段着の王道である木綿を探したりするのだから、つくづく私も業が深い。
 そのせいだろうか。
 最初に買った木綿の着物は、私の手に負える物ではなかった。(つづく)

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加門七海

かもん・ななみ●東京都生まれ。多摩美術大学院修了。学芸員として美術館に勤務。1992年『人丸調伏令』で小説家デビュー。日本古来の呪術・風水・民俗学などに造詣が深く、小説やエッセイなどさまざまな分野で活躍している。ひとり百物語を特技とするほど、豊富な心霊体験を持つ。また、オカルト・ルポルタージュでも注目を集めている。著書にエッセイ『うわさの神仏』『うわさの人物』『猫怪々』『お祓い日和 その作法と実践』『鍛える聖地』『大江戸魔方陣』『もののけ物語』『たてもの怪談』、小説に『祝山』『目嚢』など多数。

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