幼いころからそれを感じ取る加門氏は、
ここ数年で、着物を身にまとう機会が増えた。
それは「夢中」を通り越し、まるでなにかに
「取り憑かれた」かのように……。
着物をめぐる、怪しく不思議なエッセイ。
2019.1.22
足袋(二)
鳥。
正体が判明した途端、影は一層鮮明になった。
暗い緑や紅色の爆ぜるような光点を纏った鳥が、空間をさっと横切っていく。
慌てて、寝室の外に出る。居間にも鳥の影がある。
大きさこそ様々だったが、奇妙に思ったのは、それらの姿が一様に南国の鸚鵡や鸚哥に似ていたことだ。
「鳥影が射す」との慣用句がある。
これは障子や硝子越しに鳥の影が過ることを、来客の先触れと判ずる言葉だ。
しかし、こんな晩に来る客は、決して善いモノではないだろう。現実ではない鳥ならば、猶々不吉かもしれない。
そんなことを思う一方で、私はそのときまったく別の言葉に囚われていた。
(唐土の鳥)
一月七日、粥を食べるため、春の七草を刻むとき、唱えるべき詞がある。
七草なずな 唐土の鳥の 渡らぬ先に
地方によって歌詞や節に異同はあるが、ここで歌われる「唐土の鳥」とは疫病や災害の象徴だとされている。また、春に作物を食い荒らす害鳥だという説もある。
こういう言葉の真相は得てしてわからないものだ。
けど、もしかすると、ある種の禍は、ある種の人にとっては異国の鳥の姿で見えるのかもしれない。
家に入ってきた鳥は、外から壁を抜けて飛び、また、窓を抜けて出ていった。
月蝕との関わりはわからない。
だが、鳥の姿が消えた後も、私は暫く呆然と、部屋に立ち尽くしていた。
やはり「蝕」は恐ろしい。
ただ幸いにして、迷信深いからこそ、私は毎年、囃子詞を唱えて、七草粥を食べている。その年もそう。
(だから、大丈夫)
私は自分に言って聞かせた。
実際、その後、大きな災禍にも遭わずに済んだ。
しかし、それを見て以来、いよいよ日蝕月蝕が怖くなってしまったのは、仕方のないことだろう。
今年一月六日、食の始まりは八時四十三分と聞いていた。
前夜、私はいつもよりきちんとカーテンを閉め、部屋を真っ暗にして就寝した。
普段から昼夜逆転の生活を送っているために、早朝からの日蝕ならば、起きた頃には終わっている。
気象庁の情報によると、食の終わりは十一時三十六分。
休日の上、早起きをする予定もないから、のんびり寝ていればいい。
私は安心して寝床に入った。
――猫の鳴き声で、目が覚めた。
何を騒いでいるのかと、布団から抜け出して姿を探すと、猫は鳴き声を上げながらダイニングをうろうろしている。
「どうしたの」
抱き上げて、私は時計を見た。八時四十五分。食の始まりだ。
閉ざされたカーテンに注意を向けると、窓の向こうでカラスが鳴き騒いでいた。
猫はカラスの鳴き声に反応しただけかもしれない。が、動物たちは人より遙かに天の異常に敏感だ。
私は猫を落ち着けて、そのまま一緒に布団に入った。
無論、カーテンの隙から外を覗くようなことはしなかった。
翌日は一月七日。
いつもよりも気合いを入れて、七草を刻んだのは言うまでもない……。(つづく)