よみタイ

加門七海「着物憑き」
あの世とこの世のあわい。
幼いころからそれを感じ取る加門氏は、
ここ数年で、着物を身にまとう機会が増えた。
それは「夢中」を通り越し、まるでなにかに
「取り憑かれた」かのように……。
着物をめぐる、怪しく不思議なエッセイ。

足袋(二)

 鳥。
 正体が判明した途端、影は一層鮮明になった。
 暗い緑や紅色のぜるような光点を纏った鳥が、空間をさっと横切っていく。
 慌てて、寝室の外に出る。居間にも鳥の影がある。
 大きさこそ様々だったが、奇妙に思ったのは、それらの姿が一様に南国の鸚鵡オウム鸚哥インコに似ていたことだ。
「鳥影が射す」との慣用句がある。
 これは障子や硝子越しに鳥の影が過ることを、来客の先触れと判ずる言葉だ。
 しかし、こんな晩に来る客は、決して善いモノではないだろう。現実ではない鳥ならば、猶々なおなお不吉かもしれない。
 そんなことを思う一方で、私はそのときまったく別の言葉に囚われていた。
(唐土の鳥)
 一月七日、粥を食べるため、春の七草を刻むとき、唱えるべきことばがある。
 七草なずな 唐土の鳥の 渡らぬ先に
 地方によって歌詞や節に異同はあるが、ここで歌われる「唐土の鳥」とは疫病や災害の象徴だとされている。また、春に作物を食い荒らす害鳥だという説もある。
 こういう言葉の真相は得てしてわからないものだ。
 けど、もしかすると、ある種の禍は、ある種の人にとっては異国の鳥の姿で見えるのかもしれない。
 家に入ってきた鳥は、外から壁を抜けて飛び、また、窓を抜けて出ていった。
 月蝕との関わりはわからない。
 だが、鳥の姿が消えた後も、私は暫く呆然と、部屋に立ち尽くしていた。
 やはり「蝕」は恐ろしい。
 ただ幸いにして、迷信深いからこそ、私は毎年、囃子詞はやしことばを唱えて、七草粥を食べている。その年もそう。
(だから、大丈夫)
 私は自分に言って聞かせた。
 実際、その後、大きな災禍にも遭わずに済んだ。
 しかし、それを見て以来、いよいよ日蝕月蝕が怖くなってしまったのは、仕方のないことだろう。
 今年一月六日、食の始まりは八時四十三分と聞いていた。
 前夜、私はいつもよりきちんとカーテンを閉め、部屋を真っ暗にして就寝した。
 普段から昼夜逆転の生活を送っているために、早朝からの日蝕ならば、起きた頃には終わっている。
 気象庁の情報によると、食の終わりは十一時三十六分。
 休日の上、早起きをする予定もないから、のんびり寝ていればいい。
 私は安心して寝床に入った。
 ――猫の鳴き声で、目が覚めた。
 何を騒いでいるのかと、布団から抜け出して姿を探すと、猫は鳴き声を上げながらダイニングをうろうろしている。
「どうしたの」
 抱き上げて、私は時計を見た。八時四十五分。食の始まりだ。
 閉ざされたカーテンに注意を向けると、窓の向こうでカラスが鳴き騒いでいた。
 猫はカラスの鳴き声に反応しただけかもしれない。が、動物たちは人より遙かに天の異常に敏感だ。
 私は猫を落ち着けて、そのまま一緒に布団に入った。
 無論、カーテンの隙から外を覗くようなことはしなかった。
 翌日は一月七日。
 いつもよりも気合いを入れて、七草を刻んだのは言うまでもない……。(つづく)

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加門七海

かもん・ななみ●東京都生まれ。多摩美術大学院修了。学芸員として美術館に勤務。1992年『人丸調伏令』で小説家デビュー。日本古来の呪術・風水・民俗学などに造詣が深く、小説やエッセイなどさまざまな分野で活躍している。ひとり百物語を特技とするほど、豊富な心霊体験を持つ。また、オカルト・ルポルタージュでも注目を集めている。著書にエッセイ『うわさの神仏』『うわさの人物』『猫怪々』『お祓い日和 その作法と実践』『鍛える聖地』『大江戸魔方陣』『もののけ物語』『たてもの怪談』、小説に『祝山』『目嚢』など多数。

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