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『プラダを着た悪魔』で卒業論文は書けるのか?――映画批評家が教える「自分だけの問い」の見つけ方

 アンディが出した答えは「ノー」だった。次のキャリアに進むための腰掛け程度に考えていたファッション誌の仕事に、アンディはいつしかどっぷり浸かっていた。そして、その世界で成長を続けていくなかで、ミランダの置かれている状況が理解できるところまで到達したのである。だからこそ、彼女は自分の将来を選択できた。

 上辺だけの態度で適当に仕事をこなしているうちは、そのようなことを考える必要はなかった。ミランダの境地まで成長したことによって、はじめてアンディは自分の望む生き方を見定めることができたのである。そして、ミランダのような生き方は、自分の望むものではないと悟る。だから、アンディはミランダのもとを去ったのである。リムジンを降りてミランダとは反対方向に歩き出したアンディは、それまで彼女をミランダに縛りつけていた携帯電話を噴水に投げ捨てる。

 ミランダのアシスタントを辞めた彼女は、映画の最後に新聞社の面接を受ける。もともと目指していたジャーナリストの道へと進むためである。一度は別れることになった彼氏のネイト(エイドリアン・グレニアー)とよりを戻し、人生の軌道修正を図る。彼女の服装は『ランウェイ』時代のような高級ブランドで固めたものではなく、シンプルなものに変わっている。しかし、それは『ランウェイ』以前の野暮ったい着こなしとは決定的に異なっている【図8】。自分の生きるべき道を見つけたアンディは、ファッションにおいても「自分のスタイル」を見つけたのである。

【図8】高級ブランドを脱ぎ捨て、自分のファッションを確立したアンディ
【図8】高級ブランドを脱ぎ捨て、自分のファッションを確立したアンディ

「感想迷子」から抜け出すために

 じっさいの論文では、適切な問いの条件のなかにオリジナリティの要素が強く求められる。つまり、まだ誰も答えられていない問いを設定して、自分で答えなければならない。そのためには先行研究のリサーチと批判が必須となる。それによって、論文の新規性や独自性を自分で証明するのである。

 さらに、研究者が書く論文の場合であれば、学術的な価値も問われてくる。議論が新しかったり、オリジナルだったりするだけでなく、それが学問的知見として後世に残すに足るものなのかどうかが問題となってくる。そこまで考えると、単に『プラダを着た悪魔』を分析しただけでは学術論文として認められない可能性が高い。

 具体的には、学会が出している学会誌には載せてもらえないということである。学会誌に論文を掲載するためには、査読と呼ばれる同業者の審査を通過しなければならない。これがなかなか厳しいもので、複数の査読者があらゆる観点から不備を指摘してくる(僕も何度もリジェクト[却下]された経験がある)。学会にもよるが、厳しいところだと採択率は10%程度にまで落ち込む。研究者10人が論文を投稿して、そのうち一人のものしか掲載されないという世界である。

 今回はそうした過程を丸ごと飛ばしているが、誰もが学会誌に載せられるような論文作成を目指すわけではないし、その必要もない。映画を見たら、問いを立ててみる。いくつも問いを立て、よりよいものを探していく。ときにはそこにひねりを加えてみる。卒業論文のスタート地点として、あるいは、映画の感想を言語化するための第一歩として、十分に有効な方法だと思う。

 冒頭で紹介した飲み会の際、若さゆえに怖いもの知らずだった当時の僕は「僕なら『プラダを着た悪魔』でも卒論は書けますけどね」と言った。すると、それを聞いていた別の研究者が「伊藤さんが書いた『プラダを着た悪魔』の卒論を読んでみたい」と言ってくれた。その人がこの文章を読んでくれるかどうかはわからない。「なんだ、この程度のものか」と思われるのか、それとも「なかなかおもしろそうじゃん」と思ってくれるのか、機会があったら聞いてみたいものである。

イラスト:高橋将貴
イラスト:高橋将貴

【図版クレジット】
【図1〜8】『プラダを着た悪魔』デイビッド・フランケル監督、2006年(DVD、ウォルト・ディズニー・ジャパン、2018年)

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伊藤弘了

いとう・ひろのり 映画研究者=批評家。熊本大学大学院人文社会科学研究部准教授。1988年、愛知県豊橋市生まれ。慶應義塾大学法学部法律学科卒。京都大大学院人間・環境学研究科博士後期課程研究指導認定退学。著書に『仕事と人生に効く教養としての映画』(PHP研究所)がある。

Twitter @hitoh21

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