よみタイ

『プラダを着た悪魔』で卒業論文は書けるのか?――映画批評家が教える「自分だけの問い」の見つけ方

鏡像関係にあるミランダとアンディ

 エミリーとの立場の逆転はミランダのコート投げによって象徴的に描かれている。先ほど取り上げた「連続コート投げ」に対応する場面である。あるとき、出社してきたミランダはアンディではなく不在のエミリーの机の上にコートとバッグを放り投げる。コートがエミリーのパソコンにかかる直前には、デスクトップにパリの凱旋門の画像が見えている。パリコレへの同行はエミリーが切望していた仕事だったが、ミランダは無慈悲にも、その役目をアンディに変更するのである。

 パリコレへの同行の件を伝えるためにアンディはエミリーに電話をする。電話に出たエミリーはエルメスのスカーフを受け取った帰りである。そして、アンディとの通話中に車にはねられ、足を骨折して入院してしまう。これによって、エミリーのパリ行きは名実ともに不可能になる。

 店にスカーフを受け取りに行くような仕事は、これまでであればアンディが担当する種類のものであった。じっさい、勤務初日にはカルバン・クラインとエルメスに行かされているし、先ほど言及した連続コート投げのシーンでは、ミランダからさまざまな「お使い」を言い付けられていた。また、その道中でアンディが交通事故を起こしそうになる場面や、人にぶつかる瞬間も描かれていた。一歩間違えば、事故に遭っていたのはアンディだったかもしれないのだが、今やその役割までもがエミリーに譲り渡されたというわけである【図5、6】。

【図5、6】事故を起こしかけて驚くアンディと、車にはねられる直前に驚愕の表情を浮かべるエミリー
【図5、6】事故を起こしかけて驚くアンディと、車にはねられる直前に驚愕の表情を浮かべるエミリー

 パリ滞在中、アンディはミランダが『ランウェイ』編集長の座を追われそうになっていることを知る。アンディは何とかしてミランダにそのことを知らせようとするが、実はミランダはすでに事態を把握しており、ナイジェルを生贄いけにえに捧げることで自らの地位を守る策を講じていた。

 仲間を犠牲にしてまで生き残ろうとするミランダのやり方に、アンディは強烈な違和感を覚える。しかし、ミランダから見れば、エミリーに成り代わってパリにやってきたアンディも同じ穴のむじなである。ミランダはアンディに対して「あなたはわたしに似ているわ」と告げる。

 このとき、リムジンの後部座席に座っている二人を捉えたツー・ショットが挿入される【図7】。見つめ合う二人が鏡像関係にあることを視覚的に示しているのである。印象的な白髪にくわえて白色の入ったコートを着ているミランダと、黒髪に黒い衣装で全身を固めているアンディは、その見た目においても対をなしている。

【図7】リムジンの後部座席に並んで座るミランダとアンディを捉えたツー・ショット
【図7】リムジンの後部座席に並んで座るミランダとアンディを捉えたツー・ショット

 しかし、対をなしているというのは、似ている部分があると同時に、違ってもいるということである。ミランダから自分と似ていると言われたアンディは、自分の将来を真剣に考えざるをえない。ミランダのように仕事の鬼となって、周囲の人間を容赦なく振り回し、その代償として私生活を犠牲にするような生き方を、自分は本当に望んでいるのだろうかと。

記事が続きます

1 2 3 4 5

[1日5分で、明日は変わる]よみタイ公式アカウント

  • よみタイ公式Facebookアカウント
  • よみタイX公式アカウント

新刊紹介

伊藤弘了

いとう・ひろのり 映画研究者=批評家。熊本大学大学院人文社会科学研究部准教授。1988年、愛知県豊橋市生まれ。慶應義塾大学法学部法律学科卒。京都大大学院人間・環境学研究科博士後期課程研究指導認定退学。著書に『仕事と人生に効く教養としての映画』(PHP研究所)がある。

Twitter @hitoh21

週間ランキング 今読まれているホットな記事

  1. 「神戸大学以上の学歴の女性」としか結婚しないと決めた東大文一原理主義者【凹沢みなみ×『学歴狂の詩』紹介マンガ】

  2. 伊藤弘了「感想迷子のための映画入門」

    岩井俊二『Love Letter』のヒロインが一人二役である理由 ――あるいは「そっくり」であることの甘美な残酷さ

  3. 「学歴」というフィルターで世界を認識する狂人たち【小川哲×佐川恭一 学歴対談・前編】

  4. 新刊 : 佐川恭一
    笑いと狂気の学歴ノンフィクション

    学歴狂の詩

  5. 灘中高→4浪で東京都立大のナツ・ミートが『学歴狂の詩』を読み解く

  6. 佐川恭一「学歴狂の詩」

    「田舎の神童」の作り方【学歴狂の詩 無料公開中!】

  7. 小説家デビューは「受験勉強」で攻略できるのか?【小川哲×佐川恭一 学歴対談・後編】

  8. 稲田俊輔「西の味、東の味。」

    武田信玄の野望を叶えた信州味噌

  9. 佐川恭一「学歴狂の詩」

    「阪大みたいなもん、俺は三位で受かるっちゅうことや!」マウント気質が強い〈非リア王〉遠藤【学歴狂の詩 試し読み】

  10. 佐川恭一「学歴狂の詩」

    天才・濱慎平がつぶやいた「こんなんもう手の運動やん……」【学歴狂の詩 試し読み】

  1. なかはら・ももた/菅野久美子「私たちは癒されたい 女風に行ってもいいですか?」

    女性用風俗に通う女性たちの心のうちを描くコミック新連載【漫画:なかはら・ももた/原作:菅野久美子「私たちは癒されたい」第1話前編】

  2. しろやぎ秋吾「白兎先生は働かない」

    同僚の先生に嫌われるのが怖かった教頭の決意【白兎先生は働かない 第14話】

  3. 野原広子「もう一度、君の声が聞けたなら」

    妻が逝った。オレ、もう笑えないかもしれない 第1話 さよなら、タマちゃん

  4. なかはら・ももた/菅野久美子「私たちは癒されたい 女風に行ってもいいですか?」

    同世代の男にはもう懲りたと思っていたけど、新人セラピストの彼に出会って…【漫画:なかはら・ももた/原作:菅野久美子「私たちは癒されたい」第1話後編】

  5. なかはら・ももた/菅野久美子「私たちは癒されたい 女風に行ってもいいですか?」

    普段は厳しい女性上司を演じているけど……SM専門女性用風俗で見つけた「本当の私」【漫画:なかはら・ももた/原作:菅野久美子「私たちは癒されたい」第4話】

  6. なかはら・ももた/菅野久美子「私たちは癒されたい 女風に行ってもいいですか?」

    30代独身女性が女風を利用して気づいた「一番大切にするべきなのは…」【漫画:なかはら・ももた/原作:菅野久美子「私たちは癒されたい」第2話後編】

  7. しろやぎ秋吾「白兎先生は働かない」

    「どうして管理職になってしまったんだろう」教頭先生の苦悩【白兎先生は働かない 第13話】

  8. なかはら・ももた/菅野久美子「私たちは癒されたい 女風に行ってもいいですか?」

    容姿も仕事も平均以下……劣等感に苦しむ私が女風セラピストの〝沼〟にはまるまで【漫画:なかはら・ももた/原作:菅野久美子「私たちは癒されたい」第2話前編】

  9. しろやぎ秋吾「白兎先生は働かない」

    絶対に定時で帰る中学校教師……その驚きの理由とは? 第1話 部活にはいきません

  10. しろやぎ秋吾「白兎先生は働かない」

    「教師が足りない…」苦しい学校現場を運営する教頭先生【白兎先生は働かない 第12話】