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『プラダを着た悪魔』で卒業論文は書けるのか?――映画批評家が教える「自分だけの問い」の見つけ方

ドルチェ&ガッバーナへの違和感――小さすぎる問いを膨らませる

 だから、最初の問いは小さすぎるくらいがちょうどいいかもしれない。たとえば『プラダを着た悪魔』のあるシーンに関して「主人公がドルチェ&ガッバーナ(ドルガバ)の服を着ているのはなぜか?」という問いを立てたとする。これに対して「衣裳を手がけたパトリシア・フィールドの好みである」という答えでは2万字の論文にはならない。しかし、論の持っていき方次第では、卒論で答えるに値するだけの問いに育てられるかもしれない。

『プラダを着た悪魔』は、ざっくり要約すれば、ジャーナリスト志望のアンドレア・サックス(アン・ハサウェイ)が、『ランウェイ』というファッション誌の鬼編集長ミランダ・プリーストリー(メリル・ストリープ)の無理難題に振り回され、その過程で成長していくという話である。

 最初は失敗ばかりのアンディ(アンドレアの愛称)だったが、やがて頭角を表し、映画の終盤には第1アシスタントのエミリー(エミリー・ブラント)を差し置いて、パリ・コレクションを訪れるミランダに同行することになる。その際、アンディがパリでドルガバの服を身につけているシーンがある。

 ファッションに詳しい人なら見ているだけで気づくかもしれないし、かつてのアンディのように(あるいは僕のように)疎い人間でも、映画のコメンタリーを見て知ることができるだろう。そうすると、映画の前半にドルガバが出てきた二つのシーンにつなげることができる。

 ミランダの第2アシスタントとして採用されたアンディは、初出勤した日の最初の電話対応の際に、電話口の向こうに「“ガッバーナ”のスペルは?」と尋ねる。相手はそれに答えることなく電話を切ってしまう。ファッション業界にいる人間であれば、いやファッションに少しでも興味のある人間であれば高級ブランドの「ドルチェ&ガッバーナ」を知らないことなどまずありえない。取るに足らない些末な細部に思われるかもしれないが、この描写は、アンディがファッションに興味を持っておらず、その知識がないに等しいことをはっきりと示している。

【図1】電話の相手に「ガッバーナ」のスペルを尋ねるアンディ
【図1】電話の相手に「ガッバーナ」のスペルを尋ねるアンディ

 ファッションの知識がほぼゼロで、ドルガバすら知らなかったアンディは次第に仕事に慣れていく。しかし、手痛い失敗を経験し、そこから立ち直るためにミランダの信頼が厚い編集部内のナイジェル(スタンリー・トゥッチ)に全身のコーディネートを依頼する。そこでナイジェルが選んだ服のなかにドルガバが入っている。ドルガバを知らなかったアンディは、ドルガバを身につける段階へとステップアップするのである。

 そして、先ほど述べたように映画終盤のパリでは自ら選んでドルガバを着るようになる(そのアンディの着こなしをナイジェルが褒めるシーンがわざわざ置かれている)。アンディのファッションの「変化」を通して、彼女の「成長」を描いているのである。こうして、「主人公がドルチェ&ガッバーナの服を着ているのはなぜか?」という当初の問いには「主人公の成長を表すため」という答えが与えられる。

 しかし、これで終わってしまったらやはり2万字の論文にはならない。そこで、問いをスライドさせてみる。たとえば、「主人公の成長を描くために、映画はどのような工夫をしているか?」という問いを立て直せば、ドルガバのエピソードはその答えの一つとなる。そこにアンディの成長を感じさせるほかのエピソードや描写をくわえることで、論文全体のボリュームを増やし、構造化することができるようになる。

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伊藤弘了

いとう・ひろのり 映画研究者=批評家。熊本大学大学院人文社会科学研究部准教授。1988年、愛知県豊橋市生まれ。慶應義塾大学法学部法律学科卒。京都大大学院人間・環境学研究科博士後期課程研究指導認定退学。著書に『仕事と人生に効く教養としての映画』(PHP研究所)がある。

Twitter @hitoh21

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