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荻上直子『かもめ食堂』が肯定する人間の欲望――それぞれの思い出を抱えて、人々は世界の終わりを生きる

 さて、最初の客ということでコーヒー代が永遠に無料になる権利を手にしたトンミ・ヒルトネンは、その後も頻繁にかもめ食堂を訪れる。まるで気が向いたときにふらっとやってくる野良猫のように。もし、彼がニャロメのTシャツを着ていなかったら、サチエはその権利を彼に与えただろうか。もちろん「最初の客」というのは立派な理由に聞こえるが、同時に後づけでこしらえられたもののようにも思えてくる。その振る舞いもどことなく猫を思わせるトンミ・ヒルトネンに、今後も来てほしかったからという気持ちがどこかにあったのではないか。

 トンミ・ヒルトネンから『ガッチャマン』の主題歌の歌詞を訊かれたサチエは、思い出せそうで思い出せず、もどかしい気持ちを抱えることになる。そんなときに出会うのが日本人旅行者のミドリ(片桐はいり)である。弟と一緒に『ガッチャマン』を見ていたという彼女は、サチエに歌詞を教えてくれる。そのお礼として、サチエはミドリを自宅に泊め、食事を振る舞う。

 サチエの店で働くことになったミドリは「どうして初対面の私なんかにいきなり家に泊まれなんて言ってくれたんですか?」と尋ねる。サチエは「だって……」と言ってから少し思案をめぐらし「『ガッチャマン』の歌を完璧に覚えている人に悪い人はいませんからね」と答える。しかしミドリから「それもたったいま思いついたこじつけですか?」と尋ね返されると「バレました?」と言っていたずらっぽく微笑む。それきりこの話題は打ち切られ、結局、本当の理由は明かされないまま終わる。

 それではなぜサチエはミドリを自宅に招いたのか? 特に明確な理由はなく、なんとなく、直感的に判断しただけかもしれない。でも、仮にそうだったとしてもその「なんとなく」を導くきっかけはあっただろう。「ミドリが大柄で、一見するととっつきにくそうな雰囲気の女性だったから」というのが僕の仮説である。つまり、彼女もまたサチエに猫を思い出させるような存在だったということである。言ってみれば、猫を餌づけするのに近い感覚で彼女を誘ったのではないか。

 もちろん、女性の容姿や体型(女性でなくともそうだが)についてどうこう言うのは、16年前の公開当時の感覚からしても十分に品位を欠くものであり、控えるべき行為である。人を餌づけして手懐けようという発想も褒められたものではあるまい。だからこそ、サチエは本当の理由を言えなかったのではないだろうか。しかし、劇中にはミドリの体格のよさに周到に触れているシーンがある。たびたび店の前を通りかかる現地の三人組の女性たちが、新たに働き始めたミドリを見て「今度は大きな人ね」と話しているのである【図3】。

【図3】シンプルな日本風のおにぎりにこだわっていたサチエが、突然シナモン・ロールを焼き始めたのは、これならいつも店の前で足を止めるだけのフィンランド人女性三人組を呼び込むための「餌」になるかもしれないと閃いたからではないか。
【図3】シンプルな日本風のおにぎりにこだわっていたサチエが、突然シナモン・ロールを焼き始めたのは、これならいつも店の前で足を止めるだけのフィンランド人女性三人組を呼び込むための「餌」になるかもしれないと閃いたからではないか。

 失礼ついでに指摘しておけば、この三人組のフィンランド人女性たちも決して「痩せっぽち」ではなく、どちらかと言えばふくよかなタイプである。店の外から様子をうかがうばかりだった彼女たちは、その後、焼きたてのシナモンロールの匂いに誘われて、ついに客として店内に入ってくる。この三人組のような現地人の存在は、実はサチエがフィンランドで食堂を開くことにした理由のひとつだったのではないかと思う。

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伊藤弘了

いとう・ひろのり 映画研究者=批評家。熊本大学大学院人文社会科学研究部准教授。1988年、愛知県豊橋市生まれ。慶應義塾大学法学部法律学科卒。京都大大学院人間・環境学研究科博士後期課程研究指導認定退学。著書に『仕事と人生に効く教養としての映画』(PHP研究所)がある。

Twitter @hitoh21

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