よみタイ

第24回 出品

ふだん何となく思っていながらも保留にしがち、あるいは言い切れないこと。 世間で起こる事件、流行、事柄、町で見かけたことなどについて、 違和感と疑問をスパッと投げかける。 群ようこ流、一刀両断エッセイ。

 ニュースで某有名予備校の模試の問題が、フリマアプリのサイトで売買されていると報じていた。
「こんなものまで売る時代になったのか」
 と私は呆れつつ、子供もスマホを持つ時代になったので、お小遣い欲しさに、親の目が届かないからやっちゃったのだろうかとか、模試が全国一斉ではなかったらしいので、先に問題を知りたい子供や親がいるとふんで、親のほうが出品したのだろうかとか、いろいろと考えた。最初はそのつもりがなかったのに、誰かが先に出品しているのを見て、手元に同じものがあるので、自分も売ってもいいような気がして、真似をして後に続いたりしたのだろう。親がするのはアウトだし、子供を偏差値の高い学校に入れたがる前に、そういうことをしない常識をわきまえた子供に育てて欲しいものだ。
 これまで、「こんなものまで売る」人たちで驚いたのは、三十年近く前、ブルセラショップというものがあると知ったときだった。「ブルセラ」はブルマーとセーラー服という意味らしい。セーラー服フェチの人はいるから、制服がお金になるのは理解できたが、ブルマーや下着までと驚いた。しかしある一部の人たちにとっては、いちばん上に着るものよりも、肌に近いところに身につけるそれらのほうがずっと価値があるわけだ。
 お店に品物が入るルートとしては、ゴミとして出されたものを業者から買い取ったり、着用した人から買っていたりしたようだ。嘘か本当かわからないが、着用した下着をそのまま店に持って行って、買い取ってもらうという女子中、高校生の話を、雑誌で読んだ記憶がある。誰が買ったかがわかるといやだけれど、買う人間の顔なんかわからないので、自分の穿いたパンツがお金になるのなら、それでいいといった、あっけらかんとした発言だったと記憶している。
 当時、私は三十代後半だったが、彼女たちの、
「体を売るのはいやだが、パンツは平気」
 という感覚が面白くもあったし、親が知ったらどう思うのだろうかと考えたりもした。検索サイトで調べてみたら、彼女たちの前は、人妻やOLが下着などを売っていたようで、それが低年齢化したのだった。
「今の女子高校生たちは、そんなことをしてるのね」
 と年下の編集者たちと話していたら、ある女性が、
「そんなの、若い子が穿いていたか、おばちゃんが穿いていたかわからないですよね。店に持って行って、『これは自分のです』っていうアルバイトの女の子を雇って、おばちゃんたちが穿いたパンツを店に持って行ったら、ものすごく儲かるんじゃないですか」
 といいはじめた。するとそれを聞いた男性が、
「そんなことできるわけないじゃない。店側だって目利きだから、これは女子高校生のものか、おばちゃんのものか一発でわかるに決まっている」
 というのだった。
「いったいどこが違うのよ」
 と聞いた彼女に、彼はもごもごと口ごもっていいにくそうにしていたが、
「どっちにしろ、プロの目はごまかせないんだよっ」
 といい放った。彼女は不満そうな顔つきだったが、店の人だって持ち込まれたものを、はいそうですかとそのまま買い取るわけではなく、何かしらの判断の基準があるはずで、私はプロの目はごまかせないだろうと思った。
 その後、同席していた彼らのところに、某企業から精子提供に関するパンフレットが送られてきた。結婚はしたくないけれど、子供は欲しいという女性たちが出て来た頃だった。その企業のお眼鏡にかなった、優秀な男性たちが勤務している会社として、白羽の矢が立ったのだろうけれど、彼らは、
「ゴミ箱に捨てているものが三万円になるなんて」
 と色めき立っていたが、具体的にその話にのった人は、私の知り合いではいなかった。
 男性も女性も、様々なものを売る時代になったのだなあと面白がりつつ、呆れていたのだが、インターネットなどの発達によって、物の流通が変わってきた。個人で何でも売れるようになり、買いたい人も簡単に買えるようになった。そして子供までスマホを持つような時代になって、彼らがそのような売買に加わるようになった。事実、子供が勝手に買い物をしてしまい、親からのキャンセルも増えているという。

 以前からオークションサイトはあり、私ものぞいたことがあった。見たのは呉服関係のものばかりだったけれど、個人が不要のものを出品していたり、倒産した店舗の在庫品とおぼしき品物もたくさん出品されていた。私は買い物をした経験はないが、担当編集者が素敵なワンピースを着ていたので、
「とてもよく似合いますね」
 と褒めたら、
「これはオークションサイトで二千円でした」
 といわれて、その買い物上手ぶりに驚いたものだった。
 評判になっているフリマアプリのサイトをいくつか見てみたら、出品する物に対して、とても厳しい基準が設けられていた。もちろんアダルト系はだめだし、ブルセラ系もだめ。出品が禁じられている物のなかに手元にないものという項があったが、私がこれまで利用した、通販をしている実店舗で、手元に商品がないのに売買をしている店が何軒かあった。
 良心的な店、というか商売をする立場としては、この商品は取り寄せなので、○日ほど日にちがかかると明示するべきなのだが、在庫ありになっているのに、注文してみたら届くのに二週間かかった。途中、状況を確認するのにメールをしたら、取り寄せていると返信がきて、
「はああ?」
 と腹が立った。この場合の「在庫あり」は、常識的な在庫ありではなく、店のいい分としては、うちの店にはないけれど、問屋にはあるという意味だったらしい。これは明らかに嘘であり、フリマアプリでもトラブルの元になるので、避けるようにとあったが、個人でなくてもこういうことをする店がある。私が利用したなかではそのほとんどが呉服関係の店というのも嘆かわしかった。
 それで懲りて、店から受注のメールが来た際、サイトなどにその可能性など何も明記されておらず、取り寄せになると書いてあったときには、
「在庫ありとあったから注文したのに、どういうことですか」
 とたずねるようにした。するとあわてたような返信が来て、キャンセルしてもよいと書いてくる。もちろんそういう店は信用できないので、すぐにキャンセルさせてもらったが、物を売るのは神経を使う作業なのだ。
 メールでのやりとりにも、先方に失礼がないように気を遣うし、売買が成立して品物を送るのにも、相手に不快な思いをさせないように梱包にも注意を払わなければならない。気を遣うところだらけである。だからみんなよく気軽にフリマアプリに出品できるなと感心する。なかには高校の野球部から野球用品を盗んで出品したやからがいて、実はフリマアプリのサイトは泥棒市場などと呼ばれていたが、いくら規約に書いてあったとしても、それがチェックできなければ意味がない。
 元号が令和に変わった際、数多くの御朱印が出品されたのを知ったときも、
「ここまできたか」
 と呆れてしまった。私にはブルマーやパンツを売買する心理のほうがまだ理解できた。男女がいる限り、そういった類の事柄は発生する。私は不信心で何の宗教も信じていないけれど、御朱印を出品するというのは、日本人の根源的な心の問題を乱されたような気持ちになった。出品するほうもするほうだが、買うほうも買うほうなのだ。私は御朱印を収集する趣味はないけれど、金銭の授受はあるものの、神社仏閣に施しをさせていただき、そのかわりに頂戴するものだ。それを一般の商品と同じように扱っている、彼らの気持ちに違和感を持つのだ。フリマアプリサイトの規約には反しないかもしれないが、常識、良識については疑わざるを得ない。お金が欲しい人は、売れそうなものだったら何でも売るのだろう。でもだいたいそういう人はもともとの気持ちがせこいので、小さい金額のお金しかまわってこない人生になっているのである。
 インターネットが生活に入ってくるようになってから、今まで見えてこなかったものがすべて明らかになってきた。個人的な売買が活発になってよかったのは地元の人たちが、
「運んでくれるのなら、ただで家具をあげます」
 と不要なものを譲ったり、自分のできることが誰かの助けになるのならと、時間と能力を提供したりできるようになったことだろうか。悪かったのは基本的な人の気持ちとか、常識を無視し、売れるものなら何でも売って換金したいと思っている人が多いとわかってしまった点だ。昔もそういう人はいたと思うけれど、それはごく一部の領域での出来事で、ほとんど他の人にはわからなかった。それがインターネットでたくさんの人に知られるようになった。便利なものは表裏一体である。
 オークションサイト、フリマアプリサイトを見てみると、私は着物関係のものの値段の相場くらいしかわからないが、なかには、
「何でこんなに高いのか」
 と不思議に思う価格で出品されているものもある。手数料のつもりなのか、正規の値段よりも千円、二千円程度ではない金額が上乗せされて、売られている和装小物があった。気になって後日、見てみたら売り切れていた。
 サイトを利用する際に、自分の基準を持って、他の様々なサイトを見ている人は、お得なものが判断できるが、そうでない人は素敵と思ったらよく調べず、だいたいが一点物なので、ぱっと買ってしまうのかもしれない。他の店舗では同じもの、当然、未使用品がそれよりも安い値段で売られていたのにだ。
 その一方で格安の価格で、もちろん洗濯済みなのだが、一度着用した足袋たびまで売られていた。薄いしみがあると明記されていた。たしかに足袋も安いものではないけれど、私の感覚では足袋は肌着と同じ感覚なので、洗濯したとはいえ一度履いた足袋を他人様に差し上げるのはためらわれる。それが汚れがまったくなく、アイロンをかけてぴしっとさせていてもだ。ましてや売るのはどうなのかなと首を傾げる。
 汚れやしみがあるものに関しては、
「神経質な人はご遠慮ください」
 とだいたいただし書きがついている。着物などの直接肌に触れないものについては、いってみれば古着なのだし、程度によっては問題ないけれど、さすがに足袋はどうなのかなと思ったのと同時に、
「私って神経質なのかしら」
 とちょっとびっくりした。それは神経質というより礼儀の問題だと思うのだけれど。人の感覚はそれぞれだし、使用済みの足袋を売ろうとする人がいるのもわかったし、それでも欲しいと購入する人がいるのならそれでよいのだが。
 個人的な売買は、性善説の信頼関係によって成り立っている。それがなければ誰も買わない。しかし現在の日本人の精神的な変わりようからいって、はたして性善説でいいのだろうか。私は昔から性悪説の人間なので、だから人間は悪いことをしでかしそうな自分を律して、生きていかなくてはいけないと思っている。といっても初対面の人を疑うようなことはしないけれど、自分が余計な神経を使いそうなものからは遠ざかるようにしている。だから手元に不要品があっても売ったりしないし、売るくらいならバザーをやっている団体にすべて提供する。そのほうがずっと気楽なのである。
 インターネット、SNSで露呈するのは、人の欲だ。フリマアプリサイトなどは、金銭欲が凝縮されたような場所だ。百万円以上のものから何百円のものまで出品されている。価格がいくらであっても、必要としている人のところに、手放したいという人のものが届くのは喜ばしいし、多くの人々はきちんとすべてのルールに基づいて、やりとりをしているはずだ。しかし時折、御朱印、模試の問題など、予想もしないものが登場する。私はサイトを見ている分には面白いが、そこに加わろうとは思わない。これからいったい何が出てくるのだろうか。ブルセラでパンツを売っていた女子高校生は、現在四十代半ばだ。売買に抵抗のない彼女たちは、いったい今、何を売っているのだろうか、それともそういった事柄からは手を引いたのだろうかと、ふと考えるのである。

「いかがなものか」は今回で連載を終了いたします。ご愛読いただき、どうもありがとうございました。なお、こちらの連載は、来春、書籍化される予定です。どうぞ楽しみにお待ちください!

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新刊紹介

群ようこ

むれ・ようこ●1954年東京都生まれ。日本大学藝術学部卒業。広告会社などを経て、78年「本の雑誌社」入社。84年にエッセイ『午前零時の玄米パン』で作家としてデビューし、同年に専業作家となる。小説に『無印結婚物語』などの<無印>シリーズ、『しあわせの輪 れんげ荘物語』などの<れんげ荘>シリーズ、『今日もお疲れさま パンとスープとネコ日和』などの<パンとスープとネコ日和>シリーズの他、『かもめ食堂』『また明日』、エッセイに『ゆるい生活』『欲と収納』『還暦着物日記』『この先には、何がある?』『じじばばのるつぼ』『きものが着たい』『たべる生活』『小福ときどき災難』『今日は、これをしました』『スマホになじんでおりません』『たりる生活』『老いとお金』『こんな感じで書いてます』『捨てたい人捨てたくない人』『老いてお茶を習う』『六十路通過道中』、評伝に『贅沢貧乏のマリア』『妖精と妖怪のあいだ 評伝・平林たい子』など著書多数。

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