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働いていると学べなくなる? フィンランドにある誰でも自由に学べる学校(第1回 前編)

フィンランドの首都・ヘルシンキにある「ヘルシンキ労働者学校」。
100年の歴史をもつこの場所で、元新聞記者の堀内京子さんはフィンランド語の教室に通いはじめました。
そこで出会ったのは、いろいろな国からそれぞれの理由で、この街へ来ることになったクラスメイトたち。
生まれ育った国を出る決断の背景には、どのような物語があるのでしょうか。
「ほぼ全員が(フィンランドの)外国人」という教室で交差した、ひとりひとりのライフヒストリーを紹介するルポ連載です。

 フィンランドのヘルシンキ中央駅から地下鉄で北に3駅いくと、ソルナイネンという駅がある。ここから、古いアパートの間にカフェやバー、古着屋などがちらほらあって、学生や若者、アーティストらに人気のカッリオ地区に続く。

 ただ、この駅の地上出口にある広場は長い間、本当の名前よりも「ピリトリ」(スピード広場)と呼ばれ、ドラッグ密売の中心地として知られていた。広場や付近の路上には、昼間からなんとなく集まっている人たちや、酒かドラッグのせいなのか、大声を出したり座り込んだりしている人がよくいた。フィンランドに来たばかりの頃は、「えっ、フィンランドにもこんな光景があるんだ」とびっくりしたものの、まわりの人たちが誰もあまり驚いていないので、私も慣れてしまった。

 広場は昨年、大々的に改修されたが、そのあとも「ヘルシンキ・カッリオ地区では公園や通りだけでなく、高級住宅のアパート内でも薬物取引が行われている」と、フィンランドの大手新聞に記事が出ていた。

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 私がよく、ここでバスを降りて広場の前を歩いているのは、フィンランド語の教室がここから歩いて8分ほどのところにあるからだ。

 広場から西へ、ヘルシンキ通りの左側をしばらく歩いていくと、花壇越しに奥の方に見える建物に「SAUNA」という縦長の赤いサインが⾒える。⽇本のサウナ愛好家にも知られているコティハルユのサウナだ。ヘルシンキに残る、一番古い公衆サウナだそうで、こじんまりした入り口と受付を通って女性なら2階への階段をのぼると、中は意外と広い。日本の銭湯のように木製のロッカーがたくさん並ぶ脱衣場とシャワー場と、10人以上は座れる、薪を燃やして温めるサウナがある。男性用はもっと広いらしい。

 今回はサウナには寄らず、そのまま隣を走る黄色と緑のツートンカラーの路⾯電⾞を⾒ながら歩いていく。すると、通りの右側に長い長い列が見える日がある。毎週水曜日にフードバンクの食料品を待つ人たちだ。全員がもらう前に配布が終わってしまうこともあるので、朝から並び始めているのだ。フィンランド語ではない言葉を話す人たちもいる。

 左にカーブしている線路に沿って歩くと、その先に淡いピンク色の4階建ての建物が目に入ってくる。左右の横の壁には小さなレリーフがついている。これが、私がフィンランド語を勉強している「ヘルシンキ労働者学校」(Helsingin työväenopisto)の建物だ。語学学校というとなんとなく雑居ビルの小さい教室のイメージがあったので、初めて見たときは立派で驚いた。

ヘルシンキ労働者学校  撮影:堀内京子
ヘルシンキ労働者学校  撮影:堀内京子

 ⽯段を上って、正面の重い扉を2組開けて中に入ると、一瞬、外の喧騒から遮断されて音がなくなったように感じる。

 たっぷりと幅の広い石造りの階段は、黒く塗った木の手すりが、ゆるやかな曲線を描く。日本の古いデパートを思い出す。段差は低く、1段ずつ上がるとやや物足りなく、じれて1段飛ばしにすると息切れする。階段をのぼると、どの階も踊り場は広々としていて、大きなブロンズ像や大理石の彫刻が置かれている。壁には油絵や抽象画がかかっていて、よく見るとヘルシンキ市立美術館の所蔵だ。廊下に置かれている椅⼦や机はやや古ぼけてはいるが、飾り棚の中の手紙や展示はたまに入れ替わっていて、人の手がかかっている雰囲気がある。4階にいくつかの教室があって、窓からカッリオ教会の塔が見え、お昼にはガランガランという乾いた音で鐘が鳴る。

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堀内京子

ほりうち・きょうこ
ライター。1997年から2023年まで新聞記者。退職し、現在は二人の子どもとヘルシンキに滞在。著書『PTAモヤモヤの正体』(筑摩選書)、共著に『徹底検証 日本の右傾化』(筑摩選書)『まぼろしの「日本的家族」』(青弓社) 『ルポ税金地獄』(文春新書)、朝日新聞「わたしが日本を出た理由」取材班として『ルポ若者流出』(朝日新聞出版)がある。

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