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「何者かになりたい」という願望をどう捨てる? 映画『ちひろさん』に似た風俗嬢と、ゴールデン街で4年ぶりの対話

「何者かになりたい」欲望ってなんなのだろう

「彩さん、ありがとうございます! 乾杯」

3人で乾杯をして、響21年のストレートを飲んだ。庶民感覚が抜けないから、高いと言われるといつも以上に味わおうとして飲んでしまうが、正直、値段ほどの美味しさはよくわからなかった。自分に合わないお酒の味を味わうのに夢中になっていたら、隣で水を飲む彩さんが呟くように喋り始めた。

「あの、私、あれからまだ文章を書いたりしてたんですけど。それも最近、諦めようと思って。私、才能ないんですよ。頭も良くないし、インプットもできないし、文才も無いし。文章書いて、何者かになりたいと思ってたんですけど、もうそういうこと考えるのもやめようと思いました。今日はそれを伝えようと思って」

何者かになりたいということを諦めた、という彼女の話を聞いて、「何者かになりたい」欲望ってなんなのだろう、と改めて思った。もう今となっては何者かになりたいと考えることもなくなったし、そんなことを思い出そうとしたこともしばらくなかったけど、頭の奥の方にある古い記憶を取り出してみると、僕も大学生の途中まではそんな欲望を持ちながらブログを書いていたことを思い出した。そうした欲望のあり方が何か間違ってるのではないかと自分なりに納得できたのも、同じく大学生の頃だった。たぶん、哲学者のハンナ・アーレントのなにかの本だったと思う。人間は身体を持っているから他の誰とも物理的にピッタリと重なることはありえず、ただそれだけで、人間は他の誰とも異なる存在であるのだ、というようなことが書かれていた。

その言葉に触れたときに納得したのは、要は人間は生きているだけで誰しもが個性的なのであり、どうしようもなく何者かであるということだった。個性的であることや何者かであるということは、努力で獲得するようなものでもなければ、運のよい人だけが得られるものでもなく、誰しもが生きているだけで宿命づけられてしまっている、逃れようのないものなのだ。だから「何者かになりたい」という欲望はどこかおかしい、と思った。まるで地球に住んでおきながら「地球に住みたい!」と欲望しているような認識の錯誤に陥っている状態が「何者かになりたい」と欲望している状態なのではないか。そんなことを考えることができて自分の中で腑に落ちたときに「何者かになりたい」という欲望は、自分の中から消えていった。

それからは文章を書く動機も変わっていった。何者かになりたいから文章を書くのではなく、自分がどうしようもなく何者であってしまうことや、自分が出会う誰しもが皆どうしようもなく何者かであってしまうことの面白さを書きたいと思えるようになった。そうした視点で他人や世界のことを見ることができるようになると、人と関わることも楽しいと思えるようになった。

「何者かになりたいけど無理だったから文章を書くのは諦める、と考える必要はないと思うよ。むしろ僕はそういう欲望が無くなってから、文章を書くことが楽しいと思えるようになったので」
「なるほど! 確かにそうですよね」

彩さんがこちらの顔を覗きこむように首を傾げながら笑顔を向けてきた。口元だけ笑っていて、目元は笑いながらもこちらの感情をどこか探っているかのような笑顔だった。そんな表情のまま、彩さんは続けた。

「でもいいですよね、山下さんは。文章が上手くて、頭もよくて」

明け透けな羨望の言葉だった。皮肉なことだけれど、彼女が羨ましいと思ってくれていることは、僕が実際は持ち合わせていないものであるし、文章を書いてゆくに当たって諦めてきたことだった。僕より頭のいい人はいっぱいいるし、僕より文章が上手な人はいっぱいいる。頭がよくなりたいとか、文章が上手になりたいとか、そういう自分の手の届かない何かに対する羨望を捨てて、どうしたら等身大の自分のまま、自分の能力の限界内で、自分に嘘をつかず、自分の言葉で文章を書くことができるのか。追求していることがあるとすればそういうことであり、綺麗な文章を書きたいとか、頭がよくなりたいとか、そういうことは目指していないというか、そういう欲望に囚われたら自分に正直に文章を書くことを見失ってしまうような、あると邪魔なくらいの欲望だった。

「自分の文章が上手だと思わないよ。だって小説家と比べたら僕の文章なんて全然文学的な修辞もないし、美しくもないし。どっちかと言えば、そこらへんのブログみたいなもんだと思わない?」
「なるほど~! 確かにそう言われてみると、そうですね」
「あと、頭が良いとも思ってないよ。単純に頭が良くないし、僕の文章なんて、大して論理的でもなければ、たくさん知識が散りばめられているわけでもないから、頭がよい人の文章ではないでしょ。それに、文章の良し悪しなんて確固とした評価基準があるわけではないものだから、頭がよくなくても面白く書けてしまうところが文章のいいところだと思うよ」
「なるほど! 確かに、そうですよね」

文章を書くときに自分が考えていることについて、他人に喋ることはあまりない。ほとんどの人はそんなことに興味がないと思っているし、文章を書いていない人には伝わらない話だと思うし、なんなら文章の書き方も人によって違いすぎて文章を書いている人にだって伝わらないことだと思うから。でも、彩さんに対しては珍しく喋ってしまった。文章の添削を途中でやめてしまったことへの罪悪感もあったから何か少しでもためになることを伝えることができればという気持ちもあったし、強い度数のウイスキーを飲んで頭がふわふわして無駄な自意識が薄れてしまってもいたし、やたらと羨ましいと言われることに少しいらついてもいたからだ。過度な羨望は、目の前の人のことを無視していると思う。たくさん喋っていたら、気づけば格子窓の向こう側に見える景色が明るんでいて、帰ったほうがいいと思った。

「そろそろ帰ろっか」
「そうですね。久保さん、お会計お願いします」

お言葉に甘えて彩さんに奢ってもらうことにした。

「ありがとねぇ~、いってらっしゃぁ~い」

久保くんの声を後頭部で受け止めながら、お店を出た。そのままゴールデン街のアーチ看板をくぐって、花園交番通りに出た。彩さんは駅の方だから右方向で、僕は大久保にある自宅に帰るから左方向だった。

「ありがとう。今度は僕が奢るので、また飲みましょうね」

挨拶をして手を振ると、彼女は上半身を折るように低くお辞儀しながら手を振って、駅の方へ帰っていった。

自宅までの帰り道、歩きながらさっきまで彩さんとしていた会話を反芻した。文章を書くことについて、割と真剣に話をした。伝えたかったことは、少しは伝わっただろうか。喋っているときの彼女の笑顔を思い出しても、「なるほど! 確かに、そうですよね」と受け答えをしてくる彼女の声を思い出しても、どのくらい伝わったのかよくわからなかった。彼女も僕もすごく酔っぱらっていたし、なにより、彼女はずっと春を売っているから。

 次回連載第8回は5/3(水)公開予定です。

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新刊紹介

山下素童

1992年生まれ。現在は無職。著書に『昼休み、またピンクサロンに走り出していた』『彼女が僕としたセックスは動画の中と完全に同じだった』。

Twitter@sirotodotei

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