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「何者かになりたい」という願望をどう捨てる? 映画『ちひろさん』に似た風俗嬢と、ゴールデン街で4年ぶりの対話

4年ぶりの連絡は……

その飲み会をきっかけにして、2人で何度か飲むようになった。今働いてるお店や、過去に働いていたお店はどんな感じだったかとか、同じお店で働いている女の人はどんな人で、どのキャストとどのキャストが仲がよいとか、そういった他愛もないことを話しながらお酒を飲んだ。風俗店に客としてしか遊びに行ったことがなかった自分としては、風俗で働いている女性とお酒を飲んで、そういう裏側の話を聞けることがそれだけで新鮮だった。

「今度、私がなんで風俗で働きはじめて、どんな風俗店に入って、どういう風に生きてきたか、本にして文フリ(文学フリマ)に出そうと思うんです。自分が書いた文章をチェックする人がいないんですけど、書いたものを読んでコメントくれませんか?」

彩さんからそんなお願いをされたのは、2人で飲むのが3回目くらいのときで、新宿のたこ焼き居酒屋で飲んでいたときだった。僕は他人の文章を添削した経験はなかったし、自分が相手の求めるようなアドバイスができるかよくわからなかった。

「僕、ぜんぜん小説も読まないし、ブログを書いているだけの人間だから、文学的な表現とかそういうのはわからないよ。こうしたらきっと他人が読みやすくなるよ、くらいのアドバイスならできるかもしれないけど、それでいいなら」

と返事をしたら、それでいいと言ってくれたから、文章の添削をすることにした。彼女がグーグルドキュメントに書いたものを共有してもらって、コメント機能を使って気になった部分にひとつひとつコメントしていった。

その作業は、あまり長く続かなかった。気になったところに全てコメントをしていったら、想像の何倍も時間がかかったてしまったし、こちらがコメントを進めている間に、既にコメントをしたところの直しの確認がどんどん来てしまった。昼の仕事が終わった後の時間でやるには、あまりに精神を消耗する作業だった。だんだんと「仕事があるので確認するの遅くなります」とLINEをする回数が増えていった。

「忙しかったら、無理しなくていいですよ」

彼女の言葉に、そのまんま言葉通り甘えて、文章の添削は途中のまま自然消滅させるように終わらせてしまった。それから特に2人で会うこともなかった。その間に、お客さんと結婚して東京を出ていったことだけは、後からオーナーの女性に会ったときに聞いた。それからしばらくした頃、なんのコメントも無しに、リビングのソファの前で彩さんが下着姿で当時流行っていたハンドクラップダンスをしている動画だけが急にLINEで送られてきた。それに僕が「(笑)」とだけ返したのがやりとりの最後だった。それから4年経って急に「こんばんは」とだけDMが届いたのだった。

「こんばんは」

なんの用かわからなかったから同じように5文字だけの挨拶を返すと、すぐに返事が来た。

「ゴールデン街にいます。奢るので飲みませんか?」

起きたばかりですぐには行けなかったから「いつまで飲んでるの?」と聞くと、

「始発までいましゅ」

急に赤ちゃん言葉で返ってきた。「わかった。また到着する頃に連絡するね」とだけ伝えて、朝ご飯を食べて、シャワーを浴び、深夜の1時半ころに「20分後くらいに着きます」と連絡を入れた。

「だいぶ寄ってるっすけどいいすか?」

急に部活の後輩みたいな口調になって、おまけに誤字まで含まれているその文字列を見ただけで、彼女がだいぶ酔ってるということはよく伝わってきた。

「G2通りのHaloってお店の前に来て。格子窓の青いドアのお店だよ」

Haloというお店に行くことにした。どのお店に行くかは、誰と一緒に行くか、どんな店番の人が立っているかで、一応考える。この日のHaloは久保くんという、僕より5つくらい年上の、いつもキャップを被っている、ゆるキャラみたいに無害な性格の男の人が立っている日だった。久保くんは誰かと2人で喋っているときには、特に喋りかけてくることをしてこない。久しぶりに会う人とじっくり喋りたいときは、黙っていることも接客だと思ってくれる人のところがよかった。

Haloの前で待っていると、彩さんがやってきた。

「お久しぶりです」

挨拶をしてきた彼女の目を見ると、目の焦点が合ってるか怪しいくらいに酔っ払っていた。彼女の隣には、黒縁眼鏡をかけてリュックを背負った中年の知らない男の人が立っていた。2人で来るとは聞いてなかったから僕が少し戸惑っていると、

「この人、さっき道で会ったんですけど、探してるお店が見つからないみたいで。一緒に探してたんですけど、グーグルマップで探しても見つからなくて」

と、彩さんが説明をしてくれた。確かに、狭い土地に300店舗以上の店が密集しているゴールデン街とグーグルマップの相性は悪い。ゴールデン街の路地にある地図看板の方が頼りになることを教えてあげて、その中年の男の人が探してるお店の前まで連れていって、それから2人でHaloに入った。

「やましたくん、ひさしぶりじゃぁん。いらっしゃぁ~い」

口に出す言葉がぜんぶ仮名遣いみたいな喋り方をする久保くんが出迎えてくれた。カウンター席には4人くらい人がいた。隅っこが好きだから、カウンターの一番奥の席に座ることにした。

「今日はそんな飲んだの?」

あまりに彩さんが酔っぱらってそうだったから聞くと、

「19時からゴールデン街で飲んでたんですけど、一軒目のお店で、アフガニスタン人の男の人が飲みに行こうって誘ってくれて、それでさっきまで新宿二丁目で飲んでたんですけど。アフガニスタン人の男の人にテキーラを振舞ってあげて、私も一緒にテキーラ2杯飲んだから、酔っぱらっちゃって」
「そうなんだ、すごいね」
「すいません、今日は急に呼び出しちゃって。遅い時間なのに来てくれてありがとうございます。なんでも奢るので、好きなもの飲んでください」

お言葉に甘えて、フロム・ザ・バレルをストレートで飲むことにした。前に久保くんに美味しいと教えてもらったお酒だった。アルコール分51%なのに高い度数を感じさせない、口に入れた瞬間に甘さが弾けるような美味しいウイスキーだ。彩さんはウーロンハイを頼んだ。「久しぶり」と言って乾杯をした。

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新刊紹介

山下素童

1992年生まれ。現在は無職。著書に『昼休み、またピンクサロンに走り出していた』『彼女が僕としたセックスは動画の中と完全に同じだった』。

Twitter@sirotodotei

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