よみタイ

モデルになった人の許諾を取りながら私小説を書くということ【シン・ゴールデン街物語 最終回】

フィクションではなく、ノンフィクションを書くこと

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彼女との同棲は2年で終わって、ひとりで過ごす時間が多くなった。その時間を使って、「おてぃんてぃす描いてください」という5万字くらいの小説をnoteに書いて公開した。1冊目の本を出したことによって、尊敬していた小説家の人と知り合って、1人のソープ嬢を取り合うような関係になった、というのが表向きの物語で、自分の中では、知り合うことのできたその尊敬する作家に「次はフィクションでも書きなよ」と言われてどこか煮え切らない気持ちになったことを発散するために書いた小説だった。

「小説家の男性の設定はフィクションですよね。あういう性格の小説家って、存在しないと思います。現実感がなくて、山下くんの文章のいいところが無くなってると思いました。逆に、描かれている風俗嬢の女性はすごく生き生きとしていて、単純に上手いなと思いました」

「おてぃんてぃす描いてください」を公開してすぐ、ゴールデン街で集英社の稲葉さんと飲んだときのことだ。別に読んでとお願いをしたわけでもないのに、わざわざ5万字以上もする文章を読んでくれた稲葉さんが、宙でも眺めるみたいに遠い目をしながらダメ出しをしてきた。稲葉さんはたまに、目の前にいる人よりもその人が書いた文章のことしか見えてなさそうな顔をするときがある。それは、僕にとってありがたいことだった。性風俗店に行くとか行かないとか、彼女ができたとかできないとか、文章よりもそうした個人的な属性で評価をしてくる人ばかりと接してきて、そのことに自分も振り回されてしまっていたから、純粋に文章だけを見てコメントをくれる稲葉さんは、貴重な存在だった。

そして稲葉さんのそのダメ出しは、めちゃくちゃ図星だった。「おてぃんてぃす描いてください」に出てくる小説家は取材もなにもせず軽く自分の頭の中だけで考えた偽りの設定だった。そのダメ出しがあまりにも的確すぎたから、稲葉さんが褒めてくれた、女性を生き生きと描けているということもまた正しいことなのだろう、と素直に受け止めることができた。

それからすぐ、「おてぃんてぃす描いてください」を書籍化したいと別の出版社の編集者がTwitterのDMをくれた。ゴールデン街で会って、どのような本にするか軽く計画を立てながら飲んだ。

「すいません、経費が少ないので次の店は経費では飲めないのですが…」

1軒目は経費で奢ってもらったが、2軒目は割り勘を前提で飲みに行った。2軒目では、いい感じに酔っぱらったその編集者が、自分が担当編集をしている年上の弁護士の女性とセックスをしたという話をしてきてえらい有頂天になり、泥酔したノリで結局のところ経費で数万円の酒代を奢ってくれ、「社内会議、絶対通しますね!」と解散したきり、なんの連絡も来なくなった。やがて、その編集者のTwitterアカウントも消滅した。

「声をかけてきた編集者から音沙汰が無くなったんですけど、編集者って存在はなんなんですか? 調子いいことだけ言ったきり、連絡を寄こさなくなる人ばかりなんですけど。仕事じゃなくて、恋愛かなんかだと思ってるんですかね?」

理解しがたい編集者という生き物について相談できるのも、定期的に一緒に飲んでくれる稲葉さんくらいしかいなかった。

「まぁ、編集者と作家の関係っていうのは、正直そういう側面もあるかもしれないですね」

と応えてくれると稲葉さんは続けて、

「じゃあ、ゴールデン街をテーマに、Web連載でもやってみます?」

と言ってくれた。その言葉を聞いて、僕は本当は稲葉さんと仕事をしたかったのだな、と思った。他の編集者との関係を相談していた相手と本当は仕事をしたかっただなんて、まるで恋愛の相談をしていた相手のことが本当は好きだったみたいな話だ。編集者と作家の関係というのは、本当に恋愛みたいなものなのだなと思い、数秒で話の伏線が回収されてビックリした。

そんな流れで、集英社のWebサイト「よみタイ」で月に1回ゴールデン街をテーマにした連載をやらせてもらうことになった。何か書けることがあるだろうかと考え、2022年の年始に、稲葉さんにゴールデン街のプチ文壇バー『月に吠える』に連れていってもらったとき、たまたま隣に座ったボブカットの女性から一言目で「抱いていい?」と言われてデートをしてもらったことがあったので、そのことをまずは書こうと思った。フィクションではなく、ノンフィクションを書くこと。一人の女性を生き生きと描くこと。「おてぃんてぃす描いてください」を読んでもらったときに稲葉さんから受けたダメ出しを踏まえて、その方針で連載を進めていこうと思った。

出版社の編集者と仕事をすることと、ひとりでブログを更新することの一番の違いは、編集者という他人と一緒に仕事ができるところにあると思った。そうであるならば、編集者から見た自分というものを活かせる部分が無ければつまらないだろう、と思った。
依頼された文字数は3000文字くらいだったけど、デートの楽しかった部分をすべて書いたら15,000字ほどになり、「一言目で「抱いていい?」と言われたのは、人生で初めてのことだった」という記事になった。

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新刊紹介

山下素童

1992年生まれ。現在は無職。著書に『昼休み、またピンクサロンに走り出していた』『彼女が僕としたセックスは動画の中と完全に同じだった』。

Twitter@sirotodotei

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