よみタイ

一言目で「抱いていい?」と言われたのは、人生で初めてのことだった──ボブカット美女とのほろ苦いゴールデン街デート

「お前、それ結果論だろ」

ふえこさんとのデートから二か月が経ったころ。『月に吠える』に改めて足を運ぶと、見覚えのあるボブカットの女性の後ろ姿が店の外から見えた。店に入ると、やはりふえこさんだった。入口に一番近い、この店の中で最も照明の当たらない暗ぼったい席で、右脇をあけるように肘を上げて紙タバコを吸いながら、ビールを瓶のまま飲んでいた。僕はふえこさんの隣の席に腰を下ろした。まるで瓶の中に自分が吸い込まれるみたいに瓶ビールを飲むふえこさんの横顔を見ると、やけに瓶ビールが美味しそうに見えたから、瓶ビールを頼んでからふえこさんに話しかけた。

「久しぶりです。覚えてますか? 」
「覚えてるよ。風俗の文章書いてる人でしょ」
「僕、ふえこさんに抱かれなくてよかったです」

お勧めしてくれた『Deep Love 第一部 アユの物語』の話をしようと思ったけれど、ふえこさんの顔を見ると、そんなことを口にしてしまっていた。ふえこさんとのデートの日のあとすぐ、僕は他のお店の女性に「営業終わったらご飯いこうよ」と誘われてその人のことが好きになっていた。だから、あの時ふえこさんに抱かれなくてよかったと、報告をした。その報告は、「えっ、抱いていい?」と言ってくれたのに抱いてくれなかったことに対する、小さな報復でもあった。

「お前、それ結果論だろ」

ふえこさんがタバコの煙の向こうからしゃがれた低い声を発した。甘ったるい猫なで声で「抱いていい?」と言ってくれたふえこさんの姿は、もうなかった。

「だって、抱いてくれるって言ったのに、ナカザワ君とかいう知らない男の子の意味のわからないリストライベントに連れてかれるし、最初から抱く気なんてなかったじゃないですか」
「セックスするまでの過程が一番楽しいんでしょ」

ふえこさんはまた口角を綺麗にあげてニヤニヤと悪戯な笑みを浮かべた。ふえこさんの言うことはよくわからない。なにか深いことを言っているような気もするし、全てが適当な言葉にも思える。

「三丁目の居酒屋でTwitterのアカウント名を聞いて断られたとき、もう駄目だと思った」
「えー、逆にそういう人ほどヤレる可能性があるのに!」 

抱かれなかったデートの答え合わせを続けていると、店の奥の方から、ぎぃーっと、椅子の脚と床の擦れる音が響いてきた。会計を済ました大学生くらいの男の子が、カウンター席に座っている人たちの背中と壁の間の狭い道をカニのように横向きに歩き、店の入口付近のハンガーに掛けられたコートを羽織って外に出ていこうとした。入口の近くまでやって来たその男の子を、ふえこさんが目を大きくして見つめはじめた。その視線を察した男の子の瞳にふえこさんが映し出されると、あの甘ったるい猫なで声が再び店内に響きわたった。

「えっ、抱いていい?」

(第1回・了)

 次回連載第2回は10/5(水)公開予定です。

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山下素童

1992年生まれ。現在は無職。著書に『昼休み、またピンクサロンに走り出していた』。

Twitter@sirotodotei

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