よみタイ

映画『ルックバック』を観て思い出した神童覚醒前夜の親友・大城【学歴狂の詩 第16回】

稀代のカルト作家として人気を集める佐川恭一さんによる、初のノンフィクション連載。
人はなぜ学歴に狂うのか──受験の深淵を覗き込む衝撃の実話です。

前回は、京都大学で学問の楽しさを教えてくれた中村さんを紹介しました。
今回は、佐川さんが『ルックバック』(藤本タツキ著)を読んで呼び起こした、印象深いエピソードです。

また、各話のイラストは、「別冊マーガレット」で男子校コメディ『かしこい男は恋しかしない』連載中の凹沢みなみ先生によるものです!
お二人のコラボレーションもお楽しみください。
イラスト/凹沢みなみ
イラスト/凹沢みなみ

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小学生時代に生み出した「リットル君」

 私の神童時代の話はこの連載のはじめにさせてもらったが、小六直前で進学塾のテストを受けるまでは、周囲も小学校のテストで高得点を取っていたため、自分がペーパーテストにそれほど強いとは気づいていなかった──というのはすでに述べた通りである。

 しかし細かいことを思い出せば、小学校のテストの難易度が多少高い時もあり、そういう場合私の小学校では上位三名が表彰のような感じで呼ばれることがあった。また、漢字や計算のテストが早く終われば早く帰っていいという、今思えばそんな勝手なことをしていいのかという謎の「早帰り制度」も存在していた。そういう時、いつも私と互角とは言わないまでもかなりいいところまで食らいついてくる男がいた。彼は大城といって、クラスのベスト3発表の時には大体私と一緒に名前を呼ばれていたし、早く帰れる系のテストの際にはよく二人で帰っていた。また、小学校に置いてあった国旗カードで国の首都の名前を一緒に覚えたり、ことわざや四字熟語の漫画を読んで互いにクイズを出し合う遊びもしていた。塾に入ってから私はすっかり受験ファイターになってしまったが、大城は引き続きのびのびやっていて、中学でも塾に入らず、上位層には属していたものの私に迫ってくるようなことはなかった。

 だが少なくとも小学校五年生頃まで、私にとって彼が重要な存在だったことは間違いなかった。私は小学校時代、漫画家になることを夢見て学校のマンガクラブで副部長になったりしていたのだが、大城もまた漫画家になりたがっており、互いの家で漫画を描いたり、ストーリーやキャラクターを考えたりしていた。そこで小学校四年時に私が生み出したのが、いまやTシャツやラインスタンプになるほどの大人気キャラクターに成長した「リットル君」とその弟子「デシリットル君」である(ちなみに、現在の学習指導要領ではリットルの表記が「L」や「l」になっているようで、この筆記体のリットルは「ミリバール」の如く忘れられていく運命にあると思われる)。

実は地味にグッズ化されているリットル君とデシリットル君。
実は地味にグッズ化されているリットル君とデシリットル君。
服を買った人がいるかどうかは知らないが、ラインスタンプの方は愛用(?)している作家もチラホラいることが確認されている。なお、作者本人はどちらも購入していない。ちなみに拙著『シン・サークルクラッシャー麻紀』にもリットル君の挿絵が入っているページがある。
服を買った人がいるかどうかは知らないが、ラインスタンプの方は愛用(?)している作家もチラホラいることが確認されている。なお、作者本人はどちらも購入していない。ちなみに拙著『シン・サークルクラッシャー麻紀』にもリットル君の挿絵が入っているページがある。

 私は小四から自由帳で連載した「リットル君の冒険」によりクラスでの地位を不動のものとしたが、大城は自分の漫画をうまく軌道に乗せることができず、だんだん漫画家としての自身の才能を疑い始めるようになった。それでも大城はリットル君を素直に評価してくれ、この作品をメジャーに乗せるためにはどうしていけばいいかということを互いの部屋でワイワイ話し合った。その頃の私、自分が本気で漫画家になれると思っていた子供の頃の私は、真の意味で無敵だった。自分がまさか漫画家になれないとは夢にも思わず、すべてがうまくいくものだと思い込んでいた。大城は自作をクラスでヒットさせることはできなかったが漫画をたくさん読んでいて、ストーリーやキャラクターを考える能力には長けていたため、当時の私は大城と組んで漫画をやるのもいいと思っていた。

 私が漫画から離れるきっかけになったのは、やはり進学塾への入塾も大きいが、一番大きかったのは母親の「あんたの漫画は通用せん、やめときなさい」という言葉だった。当時父親は毎週ジャンプを買ってきていたので、母親は私の前でジャンプをバーッと開いて「ちゃんと見てみなさい!」と、若干怒り気味に言った。プロの絵と自分の絵を見比べてみろ、ということだ。しかし、私はまだ小学生で伸びしろもあると思っていたし、大変失礼な話で今では違うとわかっているが、その頃連載されていたガモウひろし先生の『ラッキーマン』と同レベルの絵はすでに描けていると思い込んでいた。それでも、私の漫画を読んだ大人たちは母親に限らずそれほど良い反応を見せてくれなかったし、それより塾での成績のほうに全員が腰を抜かしているような状況だったので、私も「やっぱり漫画より勉強でいくか……」と思わざるをえなかった。中学時代、私と大城は一度も同じクラスにならなかった。私はいつの間にか漫画家になろうとしていたことなどすっかり忘れ、人間の価値を偏差値でしか判断しない受験マシーンと化していった。そうして私は京都の某R高に入り、大城は地元滋賀の名門公立に入った。

 私と大城が次に出会ったのは、驚くべきことに京都大学構内においてであった。大城を見かけた私は「おお!」と大きな声を上げ、大城も大きな声を上げた。なんと、大城は一浪で京大工学部に入っていたのである。確かに大城の入った高校は現・浪合わせて毎年十名前後の京大合格者を出していたのだが、その枠に大城が入ってくるとは思っていなかった。だが後で振り返ってみれば、小学校で国の首都を覚えたりことわざクイズをしたりすることを一緒に「遊び」と考えてくれたのは大城だけだった。あのとき、大城はすでに京大工学部の片鱗を見せていたのである。

 私はとても懐かしい思いで、大城と昔話に花を咲かせた……と言いたいのだが、そのときなんだかしっくりこないものがあるのを感じた。一時期はあれほど仲が良く、毎日のようにクイズを出し合ったり漫画について語り合ったりした私たちだったが、大城は高校と浪人で何があったのか、相当に気難しそうな偏屈人間になっていた。もちろん私も、向こうからは同じように見えていたかもしれない。私は受刑者のような高校生活と彼女持ちを呪い続ける捻くれた浪人生活を送ったのであり、大城もまた、地元公立から京大に入るために相当なものを犠牲にしてきたに違いなかった。

KinkiKids事件

 ある日、私は大学に向かう電車の中で大城を見つけて声をかけた。大城はいまや懐かしのアイテムとなったMDプレイヤーで音楽を聴いていた。「何聴いてるん」と聞くと、大城はイヤフォンを片方渡してきた。私が促されるままにそれを耳に入れると、聴こえてきたのはどうやらKinkiKidsの曲だった。大城は「音楽はKinkiKidsしか聴かへんねん」と言った。KinkiKidsしか聴かない人間というのを見たのはそれがはじめてだったが、大城はKinkiKidsこそが世界でもっとも優れたアーティストで、もっとも優れた音楽さえ聴いていれば他の音楽は不要であると考えているらしかった。

 だが私はKinkiKidsの曲に特に興味を持っているわけではなかったし、しかもよく知らないアルバム曲みたいなやつばかり流れてくるので、その時間はなかなかつらかった。「もうええわ」と言いたかったが、KinkiKidsを世界最高の音楽と判断している男の前でイヤフォンを外すことは失礼にあたるのではないかと迷い、せめて私が聴いたことのある曲に変えようと思った。

 そして、これが後から考えれば失敗だったのだが、私は「何か有名なの入ってないん」と言って勝手に曲を飛ばしてしまったのである。すると大城は「何で飛ばすねん!」と激昂し、私からイヤフォンを取り上げて自分の耳に付け直した。確かに私がやったことは、彼にしてみれば幼なじみという関係性に甘えた悪事だったのかもしれないが、その怒り方が異様だったので、私は隣で自分のMDプレイヤーを出し、浪人中からずっと聴き続けていたSlipknotを聴き始めた。当時の私は私で、SlipknotやNIRVANAなど、とにかく「世の中最悪!!」と叫んでいる音楽以外聴く気にならなかったのである。私たちは一言も話さないまま京大の最寄り駅・出町柳に着き、大城が先に降りた。少し後から私が降りたが、大城は一度もこちらを振り返ることなく、まるで東京のビジネスパーソンのような(?)スピードで歩き去っていった。

 その背中を見て、私は「人は時とともに変わるのだ」と痛感した。大城と国の首都当てクイズやことわざクイズをしていた日々、部屋に何時間もこもって一緒に漫画の設定を楽しく考えていた日々は、完全に再現不可能な過去のものとなった。もし私が受験ではなく漫画を選び、大城をパートナーとして真剣にやっていたら、今頃どうなっていただろうか? 私も大城も、京大受験という無茶──大城も一浪しているぐらいだから余裕はなかっただろう──をせず、当時ほんとうにやりたいことだった「漫画」に打ち込んでいれば、人格がこれほどひん曲がることもなく、また別の今よりましな人生を歩むこともできたのかもしれない……(注:現在の大城がどうなっているかは知らないので、もしかしたら明るく楽しい人間に変貌して人生を謳歌しているかもしれないのだが。)

 しかしそれは都合の良い妄想、漫画家として成功するという前提のもとにしか成り立たない妄想であり、じっさいにはそれほど甘くないということも当然わかっている。京大生になることより漫画家になることのほうがはるかに難しく、漫画家には漫画家の地獄がある。私に漫画家として成功する素質があったかどうかについては、おそらくあの時の大人たちの反応が正しかったと言っていいだろう。私や大城が学歴を捨てて漫画という修羅の道に走っていたら、お互い京大受験の比ではないほど大きく人格を損ねていた可能性だってあるのだ。

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佐川恭一

さがわ・きょういち
滋賀県出身、京都大学文学部卒業。2012年『終わりなき不在』でデビュー。2019年『踊る阿呆』で第2回阿波しらさぎ文学賞受賞。著書に『無能男』『ダムヤーク』『舞踏会』『シン・サークルクラッシャー麻紀』『清朝時代にタイムスリップしたので科挙ガチってみた』など。
X(旧Twitter) @kyoichi_sagawa

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