よみタイ

シングルおばさん、いよいよ家を買う

もしかしてもしかすると、運命の物件に出会っちゃったかも?

 鹿児島空港では、壮年の男性が待っていました。私に免許がないと知って、不動産会社の久保さんが迎えに来てくれたのでした。
 家に向かう道中で、久保さんはいろいろなことを話してくれました。この辺りの風土や文化、周辺にはどんな人たちが住んでいるか、政治や経済の状況、私がここに住むなら確実に必要になる地元ならではの情報を教えてくれるのでした。
「売主さんも買主さんもWIN-WINになるようにするのが仕事」
「金額が小さくても関係ない。その人にとって家は生活を営む大切な場所」
「企業は社会貢献の気持ちを持たないといけないし、昔はみんな持っていた。最近は目先の利益だけを求める企業が増えてしまった」
 言葉の節々から、久保さんは今の社会問題を把握していて、失ってはいけないものが何かをわかっているように感じました。そして私が移住しようとしている理由を話すと、「女性ひとりでこんなところに来てすごいですね」と言いながら、すんなり納得してくれたのでした。

 車は突然、山道に入り、くねくねとしたカーブを右に曲がり左に曲がりしながら進んでいきます。突如として現れる絶景に歓喜しながらも、こんな道を果たして運転できるのか不安にかられました。何といっても親譲りの運動神経のなさは並大抵のものではありません。
 こんなところに家があるんかいなと思わせる森が広がる急斜を登っていくと、ぽつりぽつりと建物が出てきました。カーブはなくなり、平坦でまっすぐな道が続いたかと思ったら、車がGoogle Mapで見た細い道に入っていきました。
 空港から20~30分で、こんなところに来られるのか。周りは画面で見た通り広々とした景色が広がっていて、遠くには山も望めます。観光で行く田舎とはまた違って、絶景というより、毎日眺めたい景色、という感じ。
 玄関の引き戸をカラカラと開けると、部屋の中は障子が開け放たれていて、光が綺麗に回っていました。そして、とにかく広い。親戚の家に遊びに来たような、うっかり畳で横になってしまいそうな、肌なじみのよさを感じました。
 
 仏壇はまだそのまま残っていたので、先に手を合わせてから、部屋のそこここを確認していきました。
 ベッドルームの外には、お隣の畑が窓いっぱいに広がっていて、朝カーテンを開けたとき気持ちよさそうです。床の間には掛け軸がかけられていて、自分の山で切り出してきたというごつごつとした床柱は、威風堂々つやつやと輝いています。
「昔ながらの工法で作られた家は、長く住んでもらうことを前提にしているから、リフォームしやすいようにできているんですよ」
 そう言えば、家電なんかも昔の商品は20年くらいもっていた気がするけど、いつの間にか壊れる時期が早まってきたような? 今までの話が全部繋がっていくような気がします。株主至上主義によるトップダウン型の経営が目先の利益ばかりを追求するようになったら、落ちていくのは質に他なりません。嗚呼、ものづくりニッポンよ、どこへいく。
 いずれにせよ、ここは、少しずつリフォームしながら住んでいくには、とてもいい物件だということです。
 ふと、目黒のマンションを売ってくれたおばあちゃんの言葉を思い出しました。
「少しずつリフォームしながら住むといいと思うわよ。気持ちは変化していくから」
 おばあちゃん、ごめんなさい。気持ちが変化してしまったかもしれません。

 畑にしてくれるという果樹園は、枯れた木が倒れ、草が生い茂り、とても足を踏み入れられる状況ではありませんでしたが、その広さは実感できました。
 「一人で食べるだけなら、1畳もあれば十分ですよ」
 だったら、多肉植物ゾーンとかお花畑ゾーンとかも作っちゃおうかしら。モロッコで見たマジョレル庭園の記憶がふわりと蘇り、甘いにおいを漂わせながら夢はただただ広がっていきます。でも、心の中で自分の頬を殴ってみると、雑草も生えてくるし、虫も出てくるし、本当に維持できるのか? という現実が顔を出します。
 周りを眺めると、目の前に広がる景色はただただ穏やかで、小鳥の囀りと葉擦れの音だけが聞こえてきます。今まで生きてきた場所とは、まるで違う景色。
 生まれ育った下町でもなく、20年近く住んだ目黒でもなく、東京タワーもスカイツリーもなくて、それよりもずっと高い山が聳えています。
 東京は人間が作れるものばかりで溢れているけど、ここには人間が決して作れないものがたくさんあるんだなあと思ったら、何か神々しいものを感じました。
 

1 2 3 4

[1日5分で、明日は変わる]よみタイ公式アカウント

  • よみタイ公式Twitterアカウント
  • よみタイ公式Facebookアカウント

藤原綾

1978年東京生まれ。編集者・ライター。早稲田大学政治経済学部卒業後、某大手生命保険会社に就職するも、大企業の闇に触れて逃げるように宝島社に転職。ファッション誌の編集を経て2007年に独立し、ファッション、美容、ライフスタイル、アウトドア、文芸、ノンフィクション、写真集、機関紙……と、節操なく仕事を受けてきた結果、幅広い業界で編集・執筆活動を行うことに。近年もブランドムック『ANNA SUI COLLECTION BOOK』、雑誌『小学一年生』、漫画『ごろごろにゃんすけ』(村里つむぎ)、書籍『つくるひとびと』(秋山竜次/ロバート)、小説『海の怪』(鈴木光司)、カタログ『LAZY SUSAN』など、極端なノンジャンルで活動中。

インスタグラム @id_aya

週間ランキング 今読まれているホットな記事