よみタイ

酒井順子「家族終了」
男女の夫婦に、子ども二人。
かつて日本の「核家族」はそんなイメージだった。
現代は、入籍も結婚もせず、子どももいたりいなかったり、
血縁関係なく同居していたり、同性同士がカップルだったり。
家族とは何だろう――変わりゆく「家族の風景」を考察するエッセイ。

第11回 事実婚

 婚姻関係を結んでいない同居人と映画を見る時は、いつも「夫婦50割引」の制度を利用しています。夫婦どちらかが五十歳を過ぎていれば、二人ともチケットが一一〇〇円になるこの制度。普通にチケットを買ったならば一人一八〇〇円ですから、利用しない手はあるまい。
 しかし我々、法律的に言ったら「夫婦」ではないので、本当はこの制度を利用してはいけないのでしょう。国に対してきちんと「籍を入れて夫婦になります」と宣言した人でないと、安く映画を見る権利は発生しないのだと思う。
 しかし映画館において、
「あなた達、本当の夫婦なんですか? 婚姻関係を証明するもの、あります?」
 などとは聞かれません。おそらくは、おじさんと若い愛人風の女性のカップルであっても、
「本当の夫婦なんですか? 不倫関係じゃありませんよね?」
 とは、聞かれないと思う。
 実は私、実験心が湧いて、五十代の女友達と映画を見る時に、夫婦50割引のチケットを使用してみたことがあるのです。が、その時も何も言われませんでした。LGBTに対する意識が発達している昨今、夫婦の性別とか、婚姻関係の有無といったことは、あまりうるさく言わないようにしているのかもなぁ、と思ったことでした(映画館の方、単なる友達同士なのに割引してもらってすみません)。
 同居はしているが婚姻関係を結んでいないという我々のようなカップルを、事実婚の関係と言うようです。昔は、その手の関係を「内縁」と言っており、どこか湿っぽいイメージがありました。ちゃんとした人は、ちゃんと結婚するもの。「内縁」は、何か後ろ暗いところがある人たちが結ぶ関係である、と。
 その頃は、たとえば女性が殺されたといったニュースにおいて、
「内縁の夫が殺人容疑で逮捕されました」
 といった言われ方をしていました。内縁の夫は、いかにも内縁の妻を殺しそう。‥‥と、そんなところからも陰湿なムードが漂ったわけです。
 もしも今、婚姻関係を結ばずに同居している男女の間で殺人が発生しても、ニュースで「内縁」という言葉は使用されず、「同居している男性」などと言うはずです。いつの間にか「内縁」は、「使用しない方がいい言葉」的な扱われ方になったのではないか。
「内縁」の「内」とは、どうやら「内密」の「内」。その「秘密にしなくてはならない関係」といった意味合いが、「内縁」という言葉に湿り気をもたらしていたのでしょう。
 しかし今、その手の関係性は、ずいぶんとカラッとしたものになってきました。事実婚状態であることを「内密」にはしない人が、増えてきたのです。結婚しているカップル以外は邪道、という考え方は過去のものになりつつあります。
 たとえばジェーン・スーさんは、「内縁」という言葉が孕む昭和的な後ろ暗さを逆手に取って、ご自身の同居人男性のことを「内縁おじさん」と呼んでおられます。この言い方が好きで、たまに拝借している私。
「うちのパートナーが」
 などと言うと口はばったい感じがしますが、「内縁おじさん」は「(笑)」のムードと共に、明るく口に出すことができるのです。
 統計をとったわけではありませんが、同世代の人達を見ると、法律的には独身だけれど、パートナー的なお相手が存在するというケースが、珍しくありません。法律上の身分としては「独身」だけれど、純粋一人暮らしでも純粋独身でもない人は、かなりいるのです。
 何をもって事実婚と言うかは、曖昧なところがありましょう。結婚式も挙げて、互いの実家にも行き来があり、しかし日本の結婚制度に対して異議があるということで、籍だけは入れていない人達。何となく一緒に暮らし始め、気がついたら夫婦同然と化している人達。誰にも同居していることを言わず、まさに「内縁」的に、こっそりと同居している人達。‥‥と、タイプは様々でしょうが、比較的多いのは、二番目の「何となく一緒に暮らし始め、気がついたら夫婦同然と化していた」というカップルではないか。
 我が家もそのタイプであるわけで、なし崩し的に周囲にも知られるところとなっている、という感じ。「同棲カップル」と言ってもいいのでしょうが、「同棲」とは若者向けの言葉のような気もして、この年になると使用が憚られる。中年同士のカップルからは既に性のムードも漂わないため、「同棲」などという生々しいものでなく、せいぜい「同居」という感じです。
 しかしその「周囲」の中でもちゃんとした結婚をしているちゃんとした人達から見ると、我々が「何となく」同居しているという部分にすっきりしないものを感じる人もいるようです。法律婚をした人達というのは、それなりの覚悟をもって結婚したという自負がありますから、何となく同居してヘラヘラ暮らしているカップル―それもいい大人―を見ると、釈然としないのでしょう。
 そんな人達によく聞かれがちなのは、
「何で結婚しないの?」
 ということです。私も、何でしないのかなぁ、と考えてみるのですが、理由として大きいのは「面倒臭いから」「特に不自由を感じないから」というもの。
 事実婚関係にあるカップルにおいて、女性側が無職だったり、極端に経済力が無いというケースは、ほぼありません。専業主婦になりたい女性は、最初からそれなりの手法を取って希望の座に収まっているわけで、事実婚コースを辿っている女性の多くは、割と仕事が好きな女性。だからこそ若い頃はなかなか結婚に到らなかったのだけれど、ある程度落ち着いた年になってから、「まぁ一人も寂しいしな」と、交際相手となんとなく同居し、そのままに。‥‥という感じ。
 それは「私は、結婚しているまっとうな人間です」という「名」よりも、「誰かとラクに同居する」という「実」を取った生活と言うことができましょう。今さら結婚するというのも、何かと大変。しかしお相手はいた方がいい、ということでの事実婚生活です。
 日本人が結婚をする意味を突き詰めると、「子供のため」という部分が大きいのだと思います。今の制度では、事実婚のカップルに子供が生まれると、それは非嫡出子扱い。父親が子供を認知しないと、親子関係は発生しません。「まっとうな親子」として世に認められるには、結婚しなくてはなりません。
 だからこそ、事実婚カップルは中年以上が多いのだと思います。これから子供を産みたい! と切実に願う若い女性であれば、たとえ誰かと何となく同居生活に入っても、法律婚に持ち込むべく、頑張るもの。そうこうしているうちに妊娠したならば、「では」ということで、できちゃった結婚(昨今はこの言葉も避けようと、「おめでた婚」とか「さずかり婚」という言葉もありますね)をするのです。
 子供が欲しいという理由だけでなく、結婚に対する憧れも、若い人は持っています。「ウェディングドレスを着たい」といったシンプルな動機から、結婚をする人もいる。三十代にもなれば、「私も結婚できるのだ、ということを周囲に証明するために、結婚したい」といった複雑な動機を持つ人も。
 対して中年は、結婚に対する熱い夢を、既に失っています。年齢的にも、「もう子供っていうセンは無い」と思っている。そうなると、「別に法律婚をする必要は無いのでは?」という気持ちになるのでした。
 また、どちらかもしくは互いに離婚歴があったりして、「籍を入れるのはもうこりごり」というケースもあります。前の結婚で子供がいれば、なおさら色々と面倒なわけで、お金の問題も絡んできそうになると、籍など入れない方がよい。
 家と家との付き合いは今さらしたくない、という感覚もあります。中年となってから法律婚をし、いいおばさんなのに「嫁」として相手の家族の前にひょっこり登場するのも大変ですし、下手をすると財産目当てと疑われる場合も。もちろん、「婿」にしても同様です。
 中年は介護世代であるということも、法律婚を躊躇させる要因の一つでしょう。相手の親が弱ってきたり亡くなったりした時、法律婚カップルであれば、配偶者が「私は無関係です」と知らん顔をするわけには、いきません。対して、互いに助け合うけれど、相手の生育家族のことについては、口も手もお金も出さなくともいいのが、事実婚カップル。実家のことは自分でするという関係性は、心地の良いものです。
 我が家においても、事実婚関係になってから互いの親が他界したりしましたが、相手方の親の介護を手伝うとか、相手方の親が危篤になった時に駆けつけるとか、その手の行為は無し。直接的な手助けはせずとも、疲れていたり落ち込んでいたりする相手を慰撫することはできるわけで、そういった時は、「一人じゃなくてよかった」と、思ったものです。
 中年になると、親の方も結婚を望まなくなっていたりします。若い頃は、
「誰かいないの?」
 などとせっついていた親も、子供が中年になってくると、「今さら下手な相手と結婚されるよりも、このままでいて私の老後の面倒を見てもらった方が‥‥」という考えになってくるもの。事実婚状態にある友人も、
「お願いだからその人と籍だけは入れないでね、ってママから言われたのよ。パパに先立たれたから、私に結婚されたら寂しいって。ま、その気持ちもわかるわね。私もそんなつもりは無いし」
 と、言っていましたっけ。
 このように、中年にとって事実婚という状態は、なかなか心地の良いものなのでした。私も、結婚している友人から、
「いいなぁ」
 と言われることが、ままあります。
「相手はいるけど、『嫁』はしなくていいって、最高じゃない?」
 などと。
 確かにこの状態は、ラクなのです。法律婚をしている夫婦であれば、互いに「夫なのだから、これくらいするのが当たり前」とか、「妻たるもの、こうあるべき」といった期待がかかり、それを裏切られることによって仲が険悪化することがしばしば。子供がいたりすれば、なおさらでしょう。
 が、事実婚カップルにおいては、夫でもなければ妻でもないので、相手に対する「これをしてくれて当然」と思う気持ちが低い。せいぜい、一緒にごはんを食べたりテレビを見たり、「今日、こんな変な人を見た」といった話を報告する相手として存在してくれるのが心地良く、それ以上のことがあれば御の字、という考え方。
 経済的にも互いにもたれかかってはいないので、たとえば相手が突然会社を辞めて、
「俺、起業する」
 などと言い出しても、自由にやってくれと思うばかりです。専業主婦ならば、
「どうして私に一言相談してくれないのっ?!」
 と、怒り狂うところでしょう。
「期待」は幸福の最大の敵、と私は思っているのですが、事実婚カップルを見ていると、相手に期待していない分、仲の良いケースが多いのでした。「妻」「夫」の肩書きが無いと、
「奥さんなのだから、正月に僕の実家に一緒に行くのは当然だろう」
 とか、
「夫なのだから、私を養うべきでしょう」
 といった思いで、カリカリしなくてもいいのです。
 とはいえもちろん、そこにはリスクもあるのでした。「夫」「妻」でないことによって、世間様からは「ちゃんとしていない人」「ちゃんとしていないつがい」と見られる。また病気や死に際して、法的な配偶者でないと、何かとやっかい。そういえば以前、事実婚生活における同居人が重い病気になり、手術や入退院の手続きなどが煩雑な上に、「同居人」の看病で会社を休むわけにもいかないということで、入籍した人もいましたっけ。
 しかし手術の同意書などは、法的な配偶者でなくともサインは可能な模様です。この先、法的な家族を持たない状態で病んだり死んだりする人は激増していくでしょうから、その手のことはスムーズになっていくような気もする。いずれにしても、「このままずっと、『何となく』同居生活を続けていったら、どうなるのだろうか」という実験気分で、私はこの先も、この生活を続けていくのだと思うのです。
 フランスのPACSなど、同性・異性に限らず共同生活を送る人が夫婦と同様の権利を得られるような制度が、ヨーロッパ諸国には存在しています。そういった国々では、婚姻関係に無い男女から生まれた子供が過半数を占めていたりもする。
 今の日本では、よぼど根性がある人でない限りは、法律婚をせずに子供を産み育てることがしにくい状態です。それが少子化の原因の一つともなっているわけで、PACS的な制度があればいいのに、と私は思う者。
 その手の制度があれば、事実婚という状態を楽しむことができるのは、中年以上だけに限定されないはずです。若者もお試し感覚で誰かと一緒に暮らし、妊娠したならば「堕ろすか、デキ婚か」という深刻な二択ではなく、「ま、このまま産み育ててみますかね」という感覚になるのではないか。
 しかし日本において、そういった制度ができるのは、まだ先なのでしょう。選択的夫婦別姓すら、「家族の一体感や絆が失われる」ということで認められていない日本ですから、国が目指す家族像の解体がますます進みそうな事実婚推進制度など、夢のまた夢、なのかも。
 しかし世の夫婦はしばしば、同じ苗字だけでつながる日々の末に、互いの気持ちがバラバラとなった生活を送っているのでした。日本の夫婦は、苗字が同じになった瞬間から、一体感を深める努力を放棄する傾向があります。苗字は一緒でも家庭内では別居という夫婦と、苗字はバラバラだけれど仲が良いという事実婚カップルを比べると、前者の方がより国益にかなう、という判断を国はしているのでしょう。
 法律婚をしている人たちだけが本当の家族、としたい国が日本であるわけですが、わずかながら援軍もいるようです。二〇一一年とだいぶ前の刊行ですが、故渡辺淳一さんが「事実婚 新しい愛の形」という本を出されていて「おっ」と思ったことがありました。渡辺先生は生前、法律婚をされていた方ですが、とはいえ様々な男女関係を見ていく中で、「本当の意味での心と心の実質婚」が大切なのではないかと思われたらしい。
 もしかすると渡辺先生も、長い法律婚生活の中で、その縛りのきつさに辟易としたことがあったのかも。他ならぬ渡辺先生がこのような本をお書きになったというところからも、事実婚の滋味が感じられるというものでしょう。
 形骸化してしまった法律婚生活に嫌気がさしながらも、「子供が」「お金が」「外聞が」ということで、法律婚の枠から出られない人も多い、日本。そんな日本だからこそ、たとえPACSのような制度はなくとも、法律婚の枠にはまることを避けて事実婚を選ぶ人は、これからも増えていくはずです。法律婚という高すぎるハードルの前で立ちすくんで何もしないよりも、「いいな」と思った人と気軽に添うてみた方が、本当の意味でお国のためになるような気がするのでした。

※この連載は、集英社学芸編集部ウェブサイトに掲載された「パパ愛してる」「火宅」「心配」「家事」の4章(現在サイト上で読むことはできません)とあわせて、加筆修正の上、2019年前半に単行本化の予定です。

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酒井順子

さかい・じゅんこ●1966年東京生まれ。高校在学中から雑誌にコラムを発表。広告会社勤務を経て執筆専業。
2004年『負け犬の遠吠え』で婦人公論文芸賞、講談社エッセイ賞を受賞。著書に『おばさん未満』『男尊女子』『女子と鉄道』『源氏姉妹』『an・anの噓』『百年の女「婦人公論」が見た大正、昭和、平成』『駄目な世代』など、現代世相の分析から古典エッセイまで多数。

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