よみタイ

酒井順子「家族終了」
男女の夫婦に、子ども二人。
かつて日本の「核家族」はそんなイメージだった。
現代は、入籍も結婚もせず、子どももいたりいなかったり、
血縁関係なく同居していたり、同性同士がカップルだったり。
家族とは何だろう――変わりゆく「家族の風景」を考察するエッセイ。

第8回 嫁

 最近、同世代の友人達の「嫁力」が、沸点を迎えようとしている気がします。嫁歴も長くなってきて、そろそろ「嫁」という殻から脱皮しそうな、そんな胎動を感じるのです。
「嫁」という言葉はいかがなものか。「嫁」と言われることに不満。‥‥といった声もありますが、嫁という概念は今も健在です。妻の側はもう「嫁入りした」とは思っていないかもしれませんが、夫側の家族からしたら、「嫁に来た」「うちのお嫁さん」といった感覚があったりする。
「嫁」という言い方は、若者の間では流行ってすらいるでしょう。お笑い芸人などが、「うちの嫁が」といった言い方をしており、
「嫁というのは女に家と書くわけで、女を家にしばりつけ‥‥」といったフェミニズム的観点からは別の部分で、嫁という言葉は使用されています。
 昔と比べたら、日本の嫁の負担は今、うんと減っています。三世代同居が当たり前だった頃は、嫁達は二十四時間、「家の嫁」でした。「男の妻」でいられる時間は、せいぜいセックスをしている時くらいだったのではないか。
 対して私世代の既婚女性の場合は、嫁ではなく妻として存在する時間の方がずっと長くなり、嫁として過ごすのはせいぜい、盆暮れ正月、といった感じに。
 しかしだからこそつらい、という部分もありましょう。たまにしか「嫁」をしないので、なかなかその状況に慣れない。友人達を見れば、自分の実家で二世帯住宅とか、自分の実家の近くに住む方が多数派ですから、夫の実家でたまに過ごす時間に、濃縮されたつらさを感じるようです。
 とはいえそれなりの年月が過ぎて、皆が嫁としても成長していったわけですが、嫁はいつまでも嫁でいるわけにあらず。しゅうとしゅうとめの他界時には“嫁業”を卒業しますし、息子を持つ人は、息子が結婚した時点で「姑」という別の生き物にトランスフォームするのです。嫁という名から脱却した時、彼女はそれまでとは違う力を得ることになる。
 私の友人達は、今その前段階のお年頃です。若い頃は、嫁としてそれなりの苦労をした、彼女達。昔のようなあからさまな嫁いびりは無かったようですが、それでも元々は赤の他人で世代も違う女性同士である嫁と姑がうまくやっていくのは、難儀なこと。お正月など、お相手の実家に行くことを「修行」と称していたものでしたっけ。
 名家の長男に嫁いだ友人は、
「お節を全部、手作りしなくちゃいけないのよ‥‥」
 と、暗い顔をしつつ、年末から夫の実家に通い詰めて、料理を手伝っていました。若い頃は人一倍華やかに遊んでいた彼女が、
「はいっ、お母様」
 と、せっせと野菜の飾り切りなどをしていたのです。
 そうこうしているうちに時が経ち、舅・姑達も老い、亡くなるようになりました。義父母の葬式をつつがなく終えたことによって、
「嫁卒業、って感じがする。夫には言えないけど、すっごく嬉しい」
 と、友人は言っていましたっけ。
 彼女達は、そのように嫁力を次第に上げていきました。「嫁をしっかりやってきた」という自信と自負に、溢れるようになってきたのです。
 すると昨今、嫁力がゼロの私のことが、彼女達はイラつくようになってきた模様。結婚相手の家族とのあれやこれやを経験せず、のたりのたりと生きている私が、カンにさわるのでしょう。
 人は、仕事を得ることによって「社会に出る」ことになっています。しかし社会とは、仕事の場だけではありません。経済活動を行う現場が「公的社会」だとしたら、家庭人として生きる「私的社会」も、あるのではないか。
 人は生まれた時、自分の家、そして親族という私的社会に属していますが、結婚することによって、結婚相手の家族や親戚までが私的社会領域となります。既婚者達は、全く異なる家の流儀に揉まれることによって、私的社会人としての経験を磨くのです。
 私はといえば、配偶者の家族という公的社会には一応出ていることになっていますが、私的社会には出たことがありません。若い頃から、ボーイフレンドの家に遊びに行ったりしても、先方の親御さんにうまく対応ができませんでした。愛想は悪い上に、気もきかない。自由主義の親の下で育ったのでしつけもなっておらず、きっと真夏には、裸足でぺたぺたとお宅に上がったりして、相手のご家族を唖然とさせていたに違いないのです。
 それでもちゃっかりご飯などはご馳走になり、一応は、
「お皿洗い、手伝いましょうか?」
 などとは言ってみるものの、
「いいのよ、座ってて」
 と言われると「あ、そっすか」と瞬時に真に受け、ソファでファミコン(当時)などしていた。私が帰った後、家族内で、
「いいお嬢さんねぇ」
 とは決して言われなかったであろうことが確信できます。
 友人の中には、高校生の頃から嫁力が高い子もいました。彼のお母さんともすぐに仲良しになり、エプロンまで持参しているため、一緒に料理を作ったりする。彼と別れる時も、彼のお母さんからは惜しまれた、というような。
 男子の立場からしたら、食後にソファでファミコンをしているような女子よりも、自分の母親と一緒に皿洗いをするガールフレンドの方が良いに決まっていましょう。嫁力が高い子は、やはり早めに結婚していったように思います。
 私に嫁の才能が無いことは神様もちゃんとご覧になっていたようで、今まで結婚せずに過ごしてきた私。私のような嫁を持つ羽目になる姑がいなかったことを、私は本当に良かったと思いますし、お正月に他人の家に行かなくてよいということについても、毎年しみじみ幸せを感じています。
 お正月に他人の家に行って、楽しそうなフリをしたりせっせと働いたりする嫁達は、そうやって徳を積んでいるような気がしてなりません。その忍苦の末に、彼女達には安泰の老後が待っているのではないか。
 一方では、嫁にはなってみたものの、嫁であることに耐えられない人も、少なくありません。特に今は「嫁」をどう捉えるかの個人差や地域差が大きいため、そのギャップが大きいと悲劇が発生するのです。
 たとえば鹿児島出身の男性と結婚した東京出身の女性は、男達が延々と宴会をする中で女達は台所で立ちっぱなしで働きっぱなし、という正月を例年過ごすことに耐えられず、離婚。
「うちの息子が結婚したら、お正月は家に来ないでいいって言うわ。もう他人とお正月を過ごすのはこりごり‥‥」
 と、言っていましたっけ。
 また、東北の雪深い地域に実家がある男性と結婚した知人は、やはりお正月の度に雪国へと行っていたそうですが、
「広い家の中で一つの部屋にしか暖房をつけないから、家族全員が一日中、その部屋で過ごすしかないのよ。それに耐えられなくて‥‥」
 と、やはり離婚。
 たとえ年に一回でもそれは絶対に嫌、と私も思うわけですが、しかしうっかり「東京の嫁」を迎えてしまった舅・姑も、可哀想だったのかもしれません。その地方では当たり前のことでも、他地方の人にとっては受け入れがたい、ということはあるのです。
 全体的に見れば、嫁の地位は上昇しています。昭和初期の婦人雑誌を見ていたら、とある山中の村落では「馬尊女卑」と言われていたとのこと。すなわち、家畜の馬の方がより大切で、嫁は馬以上に使役されていた、と。農家の嫁達も、同じような状況だった模様です。
 そのような時代と比べれば、今の嫁達は大切にされています。企業では、若手社員が辞めないようにとお客様扱いされていますが、家庭でも嫁に愛想をつかされないように、夫の実家への訪問や労働を無理強いしないようになっています。
 呼び方も、変化しています。昔の姑達は皆、「うちの嫁」と言っていたものですが、昨今の姑達は「お嫁ちゃん」などと言っている。それも、嫁という言葉を使用するのは嫁本人が存在しない時のみ。本人がいる場では、「嫁」という語が彼女の耳に入らないようにしているのです。
 姑達は今、「嫁から嫌がられない、カジュアルで民主的で現代的な姑」になろうと頑張っています。私の母親なども、それが功を奏したかどうかは別として、生前は努力をしていたようでした。
 以前も書きましたが、母親は結婚と同時に夫および姑と同居を始めたのですが、その姑すなわち私の祖母は、嫁の悪口を言わない人でした。ご近所などでも、「いい嫁が来てくれた」などと言っていたそう。私は「えっ、おばあちゃん、本当にそう思ってたの?」などと思うわけですが、当時の母は、それがとても嬉しかったらしい。
 そこで母は、自分の息子が結婚した時も、同じようにしようとした模様なのです。が、惜しむらくはそれを息子の妻に言ってしまっているところ。すなわち、
「私は自分のお姑さんから悪く言われたことがないから、私もあなたのことは悪く言わないのよ」
 と。
 私はそれを聞いて、「それ、ダメでしょうよ」と思ったことでした。その台詞の裏にあるのは、「本当は、言いたいことはいっぱいある」ということではないか。さらに言うなら「それなのに何も言わない私って、できた姑でしょう?」という自慢にもなっている。
 兄の妻は気の良い人なので、
「そうですね、本当にありがたいです」
 などと言ったに違いないのですが、それは民主的な姑として存在したがっている姑に対する気遣いの言葉。
 そのような事例を聞いても、私は「嫁にならなくてよかった‥‥」と思うわけですが、しかし古来、嫁と姑がしっくりこないものとされているのは一体なぜなのか、という気はします。「嫁」という仕事に昇進のチャンスは一度しかなく、それはつまり自分の息子に嫁が来た時であるわけで、新たな嫁を迎えることによって、彼女達は姑という管理職に昇進します。ベテランの嫁である姑は、自分の嫁をつい部下のように見てしまうから、気に入らないところが目につくのかも。そして嫁の側も、「嫌な上司」として姑のことを見てしまう、と。
 さらに根源にあるのは、嫁と姑は「同じ男を愛する二人の女」である、ということでしょう。とても下品な書き方で恐縮ですが、姑は「この男を私は自分の股から出した」という自負を持つ。対して嫁は、「この男を、私は自分の股に迎え入れた」という自信を持つ。股から出した方か入れた方か、一人の男を二人の女が争うことに。
 友人知人の子育てを見ていても、男の子に対する母親の愛情は、特別なものがあると、いつも思います。夫に対して不満が強い人は、
「息子が私の恋人なの」
 といった発言を躊躇ちゅうちょしないし、
「絶対にマザコンに育ててやる」
 と言ったお母さんもいたなぁ。
 だというのに、息子が年頃になると、よくわからない女がひょこりやってきてセックスなどバンバンしてしまうわけで、「息子が恋人」のママとしては、愉快ではありますまい。
 その不愉快感を大っぴらに外に出すことができないのが、母親のつらいところです。娘が結婚する時にムッとするお父さんというのは、「ヤキモチ焼いてるのね」などと微笑ましく見られるもの。しかしもしも息子の母親が、息子が結婚する時にムッとしていたら、微笑ましくなど見てはもらえず「キモい」とされてしまうのですから。
 なぜ、父親がムッとすると可愛い感じがして、母親がムッとするとキモいのかというと、そこにはやはり、股が関係しているのではないでしょうか。父親も我が娘を恋人のように思っているでしょうが、娘を自分の股から出したわけではない。彼はせいぜい子種を提供したくらいですので、「自分のもの」感がグッと薄いのです。
 対して母親は、自らの股経由で子供を所有していますから、その所有感が濃厚です。とろみのついた「自分のもの」感を剥き出しにすると、生々しさが漂うのでしょう。
 宿命のライバルということで、嫁側も、姑側も、ある種の違和感を感じつつ始まる、嫁姑の縁。しかし時が経つにつれて、嫁は変化していきます。舅・姑が老いていくにつれ、次第にその家の中で力をつけていき、最終的には最も強い存在になっていることがしばしばあるものです。
 歌舞伎の女形は、本当は女ではないからこそ、本当の女以上に女らしい演技をするわけですが、嫁もまたそれに似ています。元々は嫁ぎ先の家の人ではなかったからこそ、その家風を懸命に身につけようとし、最終的に最もその家の人らしくなり、その家を牛耳っていたりする。
 女の方が男よりも長生きであることも、その背景にはありましょう。かなりの確率で夫は先に死ぬからこそ、かつて嫁だった人は、老いて後に家長的な権力を握ることになるのではないか。
 そういえば、民主的な姑にならんと努力していた私の母は、夫亡き後、老後のことなどを私と話していて、
「ま、いざとなったらここを売って私は施設に入るわね〜」
 と、明るく言っていました。母にとっては嫁ぎ先の家、私にとっては実家を売るのだ、と。舅・姑も夫も他界したならば、あとは嫁のやりたい放題なのだな‥‥。ていうか、子供のために家を残しておいてやろうとか、そういう気持ちは無いのかな‥‥。と、私は「嫁力」の最終形態を知った感覚になったものでした。
 私の同世代の友人達は、まだ息子は結婚しておらず姑も健在だったりするけれど、ポテンシャルは充分。息子の彼女についてあれこれ言っている姿を見ると、既に姑感が漂いつつあります。私もそんな話に加わっていると、エアー姑感を味わうことができる。
 息子も嫁もいないのに、姑感だけが強くならないようにしなくては。‥‥と、自戒する私。しかし友人の息子達が結婚したならば、かならずや「嫁の悪口」の輪に加わっているような気がするのでした。

※この連載は、集英社学芸編集部ウェブサイトに掲載された「パパ愛してる」「火宅」「心配」「家事」の4章(現在サイト上で読むことはできません)とあわせて、加筆修正の上、2019年前半に単行本化の予定です。

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酒井順子

さかい・じゅんこ●1966年東京生まれ。高校在学中から雑誌にコラムを発表。広告会社勤務を経て執筆専業。
2004年『負け犬の遠吠え』で婦人公論文芸賞、講談社エッセイ賞を受賞。著書に『おばさん未満』『男尊女子』『女子と鉄道』『源氏姉妹』『an・anの噓』『百年の女「婦人公論」が見た大正、昭和、平成』『駄目な世代』など、現代世相の分析から古典エッセイまで多数。

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