よみタイ

酒井順子「家族終了」
男女の夫婦に、子ども二人。
かつて日本の「核家族」はそんなイメージだった。
現代は、入籍も結婚もせず、子どももいたりいなかったり、
血縁関係なく同居していたり、同性同士がカップルだったり。
家族とは何だろう――変わりゆく「家族の風景」を考察するエッセイ。

第9回 仕事

 友人が勤めている会社には、ファミリーデーなるものがあるそうです。社員の子供達が会社を訪ねて、お父さんやお母さんがどんなところで仕事をしているのかを見たり、社食でごはんを食べたりするのだそう。子供達に会社を見せることによって、親の仕事に対する理解を深めてもらうという狙いのようです。
 帰りにはお土産までつくということで、至れりつくせりのこの企画。今時の子供達は色々とケアされているものよのぅ、と思います。
 私が子供の頃は、親がどのような仕事をしているかを、把握していませんでした。職種や会社の名前くらいは知っていましたが、具体的にどのような仕事をしているかは今もってよくわからず、「毎日会社に行っている」くらいしか認識していなかった。
 昔の親は、自分の仕事の詳細を子には語らなかったように思います。では、仕事と家庭とをきっちり分けていたのかというと、そうでもない。昔のホームドラマを見ていると、よくお父さんが突然、部下や同僚を家に連れてきて、
「何か食うものはないのか」
 と、妻に無茶な要求をするもの。「同僚を家に呼ぶ」という行為は、今よりずっと頻繁でした。
 我が父もその例に洩れず、仕事仲間を家に連れてきて麻雀をすることがよくあったようです。私はまだ小さくて記憶にないのですが、母親は大量の料理を作ってもてなしたりと、大変だったらしい。
 昔のお父さん達は、仕事については語らなかったけれど、仕事の付き合いは家に持ち込みがちだったのです。会社もまた家族っぽいムードであったからこそ、お父さん達は本当の家族と仕事仲間という家族を、一緒くたにしたがったのではないか。
 父親が勤めているのは小さい会社でしたので、ファミリーデーなどというシステムは無いのに、会社に遊びにいったこともありました。社員の若い男性のことは「会社のお兄ちゃん」、若い女性のことは「会社のお姉ちゃん」と呼んでいたことを考えると、家と会社の境界線は溶解しきっていたものと思われる。会社のお兄ちゃんもお姉ちゃんも、しきりに我が家に呼ばれて食事などさせられていたので、今となっては「さぞやご迷惑だったのでは‥‥」と思うのです。
 しかし両親亡き後も、会社のお兄ちゃん・お姉ちゃんには、ずっと面倒を見ていただいている私。かつての〝お兄ちゃん〟は今やおじいさんとなりましたが、お正月には親戚のように家に来てくださる。かつて母親が作っていた料理と同じものを私が作れば、懐かしがって食べてくださるのですから、ありがたいことです。
 今、親の仕事関係の人とそのような付き合いをする人は、少ないことでしょう。もしもお父さんが、連絡も無しに平日の夜に部下を家に連れてこようものなら、妻はブチ切れるに違いない。
 これから家に帰るという時に「カエルコール」をしよう、とNTTが世のお父さん達にCMで呼びかけたのは、一九八五年頃のことでした。当時は携帯電話もポケベルも普及しておらず、CMには黄緑色の公衆電話から「今から帰る」と家に電話をするお父さんの姿が映っています。専業主婦の妻は当然のように家にいて、その電話を受ける。
 カエルコールは当時の主婦にとって、ありがたいシステムだったのだと思います。それまでの主婦は、夫が何時に帰ってくるのか、夕食がいるのかいらないのかもわからない状態で、夫を待っていたのではないか。いつまでも帰ってこない‥‥と思っていたら、突如として部下を連れて帰ってきて困惑、ということもあったでしょう。
 向田邦子むこうだくにこ的世界においては、夫が何時に帰ってこようと、決して先に風呂に入らず寝巻きにも着替えず、当然ながら先に寝ることもなく夫の帰りを待っているのが、できた主婦だったようです。せっかく食事を用意していたのに、
「メシ、いらないから」
 となっても、また突然深夜に連れてきた部下の分もメシを出せ、と言われても笑顔で対応すべき存在が主婦でした。
 しかし既にテレホンカードで公衆電話をかけられるようになっていた八〇年代、そのような夫は、妻から露骨に嫌な顔をされるように。「レンジで温めて」とのメモもつかず、ラップがかけられたおかずが冷蔵庫に入れられているだけで、妻は先に寝るようになったからこそ、「カエルコール」をかけましょう、とNTTは推奨したのではないか。
 そして、今。帰り時間を配偶者に伝えないような人は、悪人扱いされています。カエルコールの時代、
「なんで帰る時間を電話しないのよっ」
 などと妻に怒られる夫はたくさんいましたが、その頃は、
「忙しくて電話できるタイミングがなかった」
 とか、
「近くに公衆電話がなかった」
 と、言い訳ができました。対して指さえ動く状況であれば、ラインなどで簡単に連絡ができる今、夫婦・家族間の連絡は非常に密になっています。「忙しくて連絡できない」というのは、夫婦間のみならず、あらゆる状況において言い訳にしか聞こえません。
 そんな中で、仕事仲間を家に連れてくるお父さんは、激減しました。向田邦子的時代の専業主婦は、二十四時間体制で夫の帰りやその同僚の来訪を待ち受け、どんな料理も供するというファミレス店長のような覚悟を持っていましたが、今時の妻は、そもそも働いていることが多いし、そうでなくとも忙しい上に人権意識もある。プライベートな空間である自宅に他人を突然連れてくるなど、とんでもない行為です。
 もし仕事仲間を連れてくるとしても、相当前から妻にはスケジュールを伝えなくてはなりません。「素敵なホムパ」としてSNSに投稿されることを考えたら、その日のために掃除をし、料理を考え‥‥と、かなりの事前準備が必要なのであり、生半可な覚悟ではできない。
 仕事仲間の家に呼ばれるのは、呼ばれる方としても迷惑なものでした。私も会社員時代、先輩のご自宅に呼ばれたことがありましたが、会社員の家というのは、往々にして都心から遠い上に、駅からも遠い。料理自慢の奥様がたくさんのお料理を作ってくださったのですが、友達ではないので本当にくつろぐことはできず、ヘトヘトに疲れたことを覚えています。
 万が一、その手の会が開催されとしても、今時の若手社員は、
「それって、仕事なんですか? そうじゃないとしたら休日は自由に過ごしたいので、遠慮しておきます」
 と、きっぱり断ることができるでしょう。
 昭和時代は、会社においても家族のようなムードが漂ったようですが、今の若者はその手の感覚は必要としていません。私が新入社員だった時代も、
「最近の若者は、飲み会の誘いを断ってデートに行く」
 などとさんざ言われたものですが、今はその私世代が、「若者って‥‥」とブーブー言っているのでした。
 家族と職場の境界が、はっきりと分けられている今。だからこそ企業ではファミリーデーなどを開催し、少しその距離を近づけようと努力しているのかもしれません。
 会社を見たからといって、子供達が親の仕事の内容を理解するわけではないと思いますが、しかし仕事をする親に対する親しみは増すことでしょう。そして私は、親の仕事は子供にとって、かなりの影響を及ぼしているような気がするのです。周囲を見ていても、若いうちは反抗しても結局は親の会社を継いだり、また親の仕事とそう遠くない職業に就く人が、かなり多い。子供の職業選択において、親の影響は無視できないものがあります。
 たとえば、政治家ほどの割合ではないにせよ、意外に子供が親の跡を継ぎがちな職業が、作家です。親も物書きで子供も物書き、しかも両者ともに成功しているという例は、数知れず。中には幸田露伴から脈々と四代にわたって物書きをしている、といったケースもあるわけです。さすがに「四代目露伴」などと襲名はしないにしても、物書きという職業は、子孫に継承しやすいところがあるのではないか。
 一方、親子で継承するのが難しい職業もあって、プロ野球選手はその一例です。親子でプロ野球選手という例はあれど、スター選手の息子もスター選手に、というケースは見たことがない。
 親が物書きの場合は、家に本がたくさんある等、子供が活字に親しみやすい環境が整っています。本だけは親が好きなだけ買ってくれるとか、図書館によく連れていってもらうといったことも、あるかもしれない。そして、親がいつも書いていれば、子供も「書く」という手段を特別なものとしては捉えないに違いありません。
 プロ野球選手の家庭には、きっとバットやグローブがいつも転がっているはずです。小さい頃から、お父さんの試合を観に行ったりもするでしょう。野球の道に進みやすい環境であることは確かですが、それを開花させてなおかつ開花状態をキープする、というのは難しそうです。
 物書きの場合は、たとえば思想家の吉本隆明さんのお嬢さんが小説家のばななさん、というように、「書く」という手法は同じでも違う分野に進むことができるけれど、野球の場合は、野球しか道が無い。完全に親と同じ土俵(グラウンドと言うべきか)で戦わなくてはならないところが、つらいのかもしれません。
 考えてみれば私の親は、物書きではないけれど出版社に勤めていたので、近いといえば近い職業を選んだようです。確かに本は身近にあって、職業選択(とはいえ選んだわけでなく、流れに身を任せていたらこうなったのだが)の遠因とはなっている気はします。
 本を出しても雑誌に載っても、私は親には告げなかったのですが、それでも親は、どこからか情報を入手してきて読んでいた様子でした。親の愛情がその行為からは感じられ、有難いとは思ったのですが、同時にたいそう恥ずかしかったもの。若い頃から、下ネタというと筆が走るタイプであった私は、親が堂々と親戚に配ることができるような本は、書いていなかったのです。
 本当は、専業主婦になって子供をぽんぽんと産むような人生を、父は娘に望んでいたのかもしれません。しかしどうやら物書きとしてやっていくようだと諦めがついた頃だったか、
「順子ちゃんには、田辺聖子さんのような作品を書いてほしいのに‥‥」
 と、父は大それたことを言っていたのだそう。すなわち、ユーモア溢れつつも下品さは皆無、豊かな教養に裏打ちされるような本を、娘に書いてほしかったらしい。
 その話を母親から伝え聞き、即座に「無理」と思ったのですが、最近になって少し大人っぽい本を書くようになった私は、たまに「親に見せたいな」と思うことがあります。この本であれば、親としてもさほど恥ずかしくならずに済んだのではないか、と。
 今となっては、親ともっと本の話をしておけばよかった、とも思います。父親は本が好きで出版社に入ったようで、確かにいつも本を読んでいました。が、親がどのような仕事をしているのかに子供は全く興味を持たないように、親がどのような本を読んでいるかも、子供にとってはどうでもいいこと。居間のテーブルに放置してある本が何なのかも、気にしたことはありませんでした。
 対して母親が読んでいた本はちょこまかと覗き見をしていて、特に瀬戸内晴美さん(当時)の小説のエロい部分を拾い読みしては、ゲヘゲヘしていたものでした。
 ですから今、家に小学生の姪が遊びに来る時は、掃除よりも何よりも、本を隠すことに私は必死です。トイレにある青年マンガ誌は、セックス描写があるので撤去。連載している週刊現代も、もちろん撤去。豪華な春画の画集を頂戴した時は、あまりに巨大な画集であったため、どこに隠したらいいものやらてんやわんやしたものでしたっけ。
 姪に買い与えるマンガなども、「刺激が強すぎないかしら、傷ついたりしないかしら」などと吟味している自分に気づくと、ハタと可笑おかしくなってきます。自分が小学生の時は、近所の店や空き地で、必死にエロ本の立ち読み・座り読みをしていたのにねぇ、と。
 姪は読書好きで、区の作文コンクールなどでも、表彰されたのだそうです。その文集を見せてもらったところ、何となく芸風が私と似ている‥‥。読書好きなのは嬉しいことですが、少しだけ将来が心配な叔母さんなのでした。
 我が両親も、エロ本にばかり興味を示す娘をさぞ心配していたと思うのですが、無理に良書を与えたりなどせず、流れに任せていたことに「すごい」と思う私。ですからいまだに、「小公子」も「小公女」も、その他の小学生が読むべき良書は、一冊も読んだことがありません。
 そんな中で唯一、父親が持っていた本に影響を受けたといえば、内田百閒ひゃっけんと宮脇俊三の本に関して、でしょうか。私が中学生時代、父親が買ってきたのが「時刻表2万キロ」(宮脇俊三)。出版社に勤務する傍ら好きな鉄道にせっせと乗って、日本の全ての路線を完乗するまでを記した作品です。
 私はこの本で「鉄道って素敵!」と衝撃を受けたのですが、かといって中学生の時点では自分で乗りに行くほどの行動力は持っていなかったため、私は大人になってから鉄道好きとなるのでした。やはり父親の蔵書にあった「阿房あほう列車」(内田百閒)なども読んでいた私は、鉄道好きと言うよりは、鉄道紀行好きだったのです。
 宮脇俊三さんと父は、同世代。職業的にも近いということで、父はシンパシイを抱いていたのかもしれません。父は自動車派で、鉄道で旅をすることは滅多になかったのですが、週末に家族から離れて一人で旅をする宮脇さんのライフスタイルに憧れていたのかもなぁと、今になって思います。
 このように振り返ってみますと、意外に親の読書傾向に影響を受けているのかもしれない、私の職業。エロも鉄道も、今の私の仕事には欠かせない要素なのですから。
 今の親御さんは、子供がIT関係の仕事につこうものなら、どのような仕事をしているか皆目見当がつかない、ということがあることでしょう。そのようなケースを思うと、親子ともに活字の世界にいるというのは、幸せなことだったのかもしれません。
 子供の頃、父親の会社を訪ねた時に最も強く残っている記憶は、書庫の匂いでした。洋書の会社であったため、書庫にはぎっしりと洋書が収められていたのですが、洋書からは和書とは異なる独特な匂いが漂うのです。静かな書庫でその匂いに包まれる時間が、私は好きでした。
 最後にその匂いを嗅いでから、どれほどの長い時間が経ったことでしょう。もう一度あの匂いを嗅いだなら、私はきっと一気に幼い頃に戻り、まだ若く、本を愛して仕事をしていた父親の顔を、無邪気に見上げるに違いありません。

※この連載は、集英社学芸編集部ウェブサイトに掲載された「パパ愛してる」「火宅」「心配」「家事」の4章(現在サイト上で読むことはできません)とあわせて、加筆修正の上、2019年前半に単行本化の予定です。

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酒井順子

さかい・じゅんこ●1966年東京生まれ。高校在学中から雑誌にコラムを発表。広告会社勤務を経て執筆専業。
2004年『負け犬の遠吠え』で婦人公論文芸賞、講談社エッセイ賞を受賞。著書に『おばさん未満』『男尊女子』『女子と鉄道』『源氏姉妹』『an・anの噓』『百年の女「婦人公論」が見た大正、昭和、平成』『駄目な世代』など、現代世相の分析から古典エッセイまで多数。

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