よみタイ

酒井順子「家族終了」
男女の夫婦に、子ども二人。
かつて日本の「核家族」はそんなイメージだった。
現代は、入籍も結婚もせず、子どももいたりいなかったり、
血縁関係なく同居していたり、同性同士がカップルだったり。
家族とは何だろう――変わりゆく「家族の風景」を考察するエッセイ。

第3回 疑似家族

 自分の家庭の外にも、家族のような絆を見出すことが大好きな人が多いような気がする、我が国。もちろんそれは、「別宅を構える」といったことを指すのではありません。不倫程度であれば手を出す人はいても、愛人に家を与えて囲うことができる人は、今や少なくなったのではないでしょうか。
 私がここで言いたいのは、たとえば反社会的組織、すなわち暴力団の人達のような、疑似家族関係のこと。実録ものの映像などを見ていますと、彼等は同じ組織に属すると、親子とか兄弟の杯を交わすことになっている模様。杯を交わしたならばもう「一家」の一員なのであり、そこから抜け出ようとすると、かなりややこしいことになるらしい。
 芸能界でも、疑似家族的な関係がしばしば見られます。ドラマで共演した年配の女優について、若い女優が、
「お母さんって呼んでるんです。母の日には、プレゼントを贈りました」
 などと言っていたり。「お母さん」の女優が亡くなったりすると、「母のように慕っていた」後輩の女優達が、母を亡くした娘のように泣いていたり。
 暴力団の世界であっても、芸能界であっても、そこは「職場」です。職場とはそもそも、家族とは無関係な、公私に分けるならば公的な場所。にもかかわらず、職場でも家族的な関係をつくりたくなる人達は、少なからず存在します。
 暴力団や芸能界のように特殊な職場のみならず、一般的な職場でも、疑似家族的な雰囲気が形成されることはままあります。私が会社に入った時も、一つの部署というのは一つの家族のようなものなのだなぁ、と思ったものでした。部長がお父さん役で、事務方の女性はお母さん。部員達は、年かさの人から長男、次男‥‥という感じで、そこに新入社員として入った私は末娘っていう感じかしらね、と。
 実際に私は、自分が配属された部署の部長のことを、父親のように慕っていました。父親が娘に甘いのと同様に、部長も女の新入社員の私のことを相当、大目に見てくれた。そんな父の甘さを私は娘のように敏感に察知した結果、順調に駄目娘、すなわち駄目社員として育っていった‥‥。
 部署とか会社に家族感を覚えるというのは、おそらく昭和的な感覚なのでしょう。昔は、鉱山などでも「一山一家」と言われたりと、何でも家族にしたがって、「家族なんだからちょっと無茶したっていいよね」といった感覚もあったのではないか。
 平成になって、若者達が個人として仕事をする気風が強くなると、職場における家族感は薄くなったのだと言います。が、また今は揺り戻し現象がやってきて、社員旅行とか社員運動会といった家族的なイベントが人気になっているとのこと。
 今でもきっと、「会社親」「会社娘」「会社息子」の関係性は、あちこちで結ばれているのでしょう。もちろん、「会社妻」「会社夫」といった関係もあるわけで、その家族的な親密さが仕事の面においてのみ発揮されるのならいいものの、一歩踏み出して会社外に持ち越されたりすると、ややこしいことになる。
 私の場合はといえば、二十代後半になる前、「いつまでも末娘ヅラはできない」ということに気づいて、会社を辞去。しかし会社父のことは、その後も父のように慕っていたものでした。
 おそらく私は、実の父に対して何でも話したり甘えたりできなかったからこそ、会社父を慕ったのだと思います。ファザコンと言われる人には二種類いて、子供の頃から父親と大の仲良しだったからこそ父親的存在が好きというタイプと、父親がいない、もしくはいても存在感が薄かったり疎遠だったりしたせいで父親的存在を求め続けるタイプがいるものですが、私は後者だったのではないか。
 会社父はあくまで他人でしたので、実の父には決して話せないようなことも、打ちあけることができました。また遊び上手な会社父は、実の父が連れていってくれないような、銀座など夜の世界にも連れていってくれたものでしたっけ。
 職場における疑似家族関係が形成される背景には、多かれ少なかれ、このような事情があるのではないでしょうか。実の家族では満たされない空白部分を、家の外の疑似家族で満たしたいという欲求を、私達は多かれ少なかれ、持っている。
 それは、職場においてのみ求められるものではありません。バーやスナックといった酒場においても、そこで待っているのは、「ママ」。酒場のママは、既に自分の母親に甘える年ではなくなった男達の精神を時に抱擁し、時に鼓舞し、金銭の対価として甘えさせてくれる存在です。小料理屋の女将おかみなどがしばしば「お母さん」などと呼ばれるのも、似たような理由からでしょう。
 ママを求めるのは、男性ばかりではありません。人生に迷える娘達は、「新宿の母」をはじめとした、「地名+母」の名で呼ばれる占い師さん達のところで悩みを打ち明け、やはり対価を支払って、人生の指針を示してもらうのです。
 お金を支払って疑似家族関係を形成するくらいならば、実の家族を大切にすればいいではないか、という話もありましょう。しかし、実の家族ではなく、疑似家族でなければならない理由も、あるのだと思います。
 実の家族は一生、縁を切ることができない関係です。実の家族であるが故に歯に衣着せぬ物言いをして、関係が悪化することも。
 対して疑似家族は、あくまで「疑似」の家族。どれほど仲良しでも他人なので、家族のドロドロとした部分は排除して、上辺のさらっとした家族っぽさだけを味わうことができる関係です。酒場の「ママ」や占い師の「母」は、母親のように話を聞いてくれるけれど、実の母親のように彼女達の介護をする必要は生じない。また彼女達は、母親のように少し厳しいことを言う時もあるけれど、実の母親のように人間性を否定するようなことは、言わない。人々がお金を支払ってママや母のところに通うのも、無理はないところでしょう。
 ママや母は人気だけれど、「酒場のパパ」「新宿の父」といった言葉は、あまり聞きません。疑似家族業界において「父親」という立場は、母親ほどには需要が無いようです。
 人を無条件で甘えさせてくれたり、おふくろの味を作ってくれる存在である母親は、いつでも皆の人気者。女性達も、たとえ実の息子や娘でない人達からであっても、
「ママ」
「お母さん」
 などと呼ばれると、張り切る傾向にあります。異性から「女」としては求められない年頃になっても、「母親」として求められ続けることによって、女性達は生きる道を見つけていくのでしょう。
 母親が子供を抱擁し、甘えさせてくれる存在だとしたら、従来型の父親というのは、子供に対して厳しく当たる役割を持っていました。が、その手の厳父的な人は、子供が成長して社会に出たならば、仕事の世界にいくらでもいます。お金を払ってまで「パパ」や「おやじ」に怒られたくないのです。
 昭和時代、実の父親ではない人を「パパ」と呼ぶ女性がいたとしたら、それは若い愛人でした。
「パパ~ん」
 と呼ぶ愛人を別宅に囲う、という行為はまさに家の外での疑似家族活動なのですが、酒場の「ママ」はママ業によってお金を儲けているのに対して、パパは愛人にお金を支払う立場。「パパ」でお金を稼ぐことは、難しかったようです。
 人が大人になって、絶対的に頼ることができる人や自分を庇護ひごしてくれる人がいなくなると、寂しい気持ちになるものです。それはミッドライフ・クライシスの原因の一つなのかもしれませんが、しかし多くの人はその頃には子供を持っているのであり、子育てに夢中になることによって、寂しさを忘れることになっている。
 対して私のような子ナシの者はどうするのかというと、しばしば見られるのは、疑似子供を持つという手段です。犬や猫を飼う以外にも、甥や姪、友人の子供を我が子のように可愛がるというケースもある。
 周囲の子ナシ族を見ていても、実の親ばりに甥・姪育てに精を出している叔母や伯母がいるものです。私にも姪がいて、それなりに可愛がってはいるのですが、愛情深い人達に比べると、いかにも可愛がり方が雑だし、ましてや育ててなどいない。
 愛情深い子ナシ族は、甥・姪を可愛がっているうちに、本当に母親のような気持ちになって叱ったり、親の子育てに口を挟んだりすることがあります。が、その手の行為は、実の親からは評判が悪いのでした。「おば」の子育て介入に対して、面と向かって文句を言うことはできないけれど陰で眉をひそめる親達を見ていると、疑似子供に対する愛情の発露の仕方の難しさを感じます。
 商売上の「ママ」と客といった関係と違い、おばさんと甥・姪というのは、なまじ血がつながっているだけに、つい真剣になってしまうもの。しかし子ナシ族のおばさんが甥・姪に対して抱く親近感ほど、向こうは「近さ」を感じてはいません。疑似子供として甥・姪に愛情を注ぐ時は、その愛情が重くならないよう、気をつけなくてはならないと思うのでした。
 ベストセラーとなった『君たちはどう生きるか』では、悩めるコペル君と叔父さんがやりとりをしているのですが、それは叔父と甥の関係だから「イイ」のだ、とされています。それが実の親であったら、上から下に物を言う関係になってしまうけれど、叔父と甥であるから斜めの関係で丁度良いのだ、と池上いけがみあきらさんもテレビで言っておられた気が。
 甥・姪を疑似子供として扱いたい気持ちは、よくわかります。しかし我々は半分他人として、彼等のことを見なくてはならないのでしょう。肉親としての愛情を持つ一方で、他人としての冷静さをも彼等には持っていなくては、と思うのです。
 子ナシ族の疑似子供としてはもう一つ、プラン・インターナショナル・ジャパンなどの団体を通じて、海外の恵まれない子供の支援をするという手法もあります。私も、「少子化に加担してすみません」という気持ちからその手の支援をしているわけですが、この手の行為の場合は、いくら頑張っても「重いおばさん」にならずに済むのが良いところなのです。
 そして五十代というと、そろそろ孫持ちになる人もあらわれるお年頃です。周囲の友人達に孫が生まれて、可愛い赤ちゃんの写真を見せられたりしたら、
「いいなぁ、孫‥‥」
 という気分にもなることは自明。
 最近の祖母達は孫育て要員としての活躍を子供から期待されていますから、友人達が孫育てに駆り出されるようになったら、私も疑似孫をどこかに見つけようとするのかもしれません。今も、若い友人に赤ちゃんが生まれると、
「初孫気分だわ」
 などと、抱っこさせてもらったりする私。子ナシ・孫ナシ族のために、猫カフェならぬ赤ちゃんカフェがあってもいいのかも、と思うのです。そこはワンオペ育児に悩む親御さん達が集う場でもあり、子ナシ・孫ナシ族、はたまた、そうでなくとも赤ちゃんが身近にいない人達が赤ちゃんを抱っこさせてもらっている間に、親御さん達は一休みする。‥‥って、どうですかね。
 レンタル家族というお商売が、実際にあるのだそうです。結婚式の時など、ワンポイントリリーフの形で、家族役を借りるのだそう。また「おっさんレンタル」というシステムも話題になり、今は「パパ」でもお金を儲けることができるようにもなっている模様。
 人がほとんど結婚していた時代は、家族は「いて当たり前」の存在でした。しかし結婚難の時代が続くと、家族は贅沢ぜいたく品に。同時に家族は、ただいればいいというものでも、なくなっています。昔のように、父親が強権を振りかざして妻子を殴ったり、母親が子供に密着しすぎたりしたら、途端に「毒親」などと言われてしまいますから、家族の質も問われるようになりました。
 家族が、いない。家族に、不満がある。そんな人は、外の世界に家族的な存在を求めるようになるのでしょう。職場で。酒場で。ネットで。妄想で。‥‥と、様々な場所で疑似家族の切れ端を集めてパッチワークのように縫い合わせ、私達は家族気分を充足させているのではないか。
 ‥‥などと考えていた時、そんな面倒臭いことをしなくても家族気分を味わうことができるシステムを思い出したのであって、それがキリスト教です。有名な「主の祈り」は、
「天にましますわれらの父よ‥‥」
 と始まるわけですが、キリスト教の神さまこそ、皆のお父さん役。レンタルなどしなくとも、理想の父は天におられるのです。
 キリスト教における「ママ」役は、もちろんマリア様。マリア様はキリストのお母さんですが、処女のまま懐胎したということで、聖女でもある(出産後の性行為の有無についてはよく知りませんが)。酒場のママにお金をしぼり取られながら話を聞いてもらわなくとも、いつ何時でも、人々の話を無料で受け止めてくださるのが、マリア様なのです。
 人間は大昔から、本当の親が生きていても別のパパやママを必要とする生き物だったのでしょう。そうでなければ、キリスト教のような宗教は生まれなかったのではないか。
 ちなみに私が会社父として慕っていた人は、私の実の父が他界した後、しばらくしてから亡くなりました。実の父と会社父を失い、気がつけば父親的な年齢の男性達は、こちらを庇護してくれる相手ではなく、こちらが庇護するべき対象になっていました。
 お寿司屋さんで自分でお金を払う度に、
「ああ、昔はお寿司って、お父さんもしくはお父さん的な人が当然、支払ってくれる食べ物だったなぁ」
 と、少し寂しくなる私。しかし、だからといって天の父なる神様を信じる気持ちに全くならないのは、神様は寿司をおごってくれないからではなく、私がもう十分に大人だからなのだと思います。

※この連載は、集英社学芸編集部ウェブサイトに掲載された「パパ愛してる」「火宅」「心配」「家事」の4章(現在サイト上で読むことはできません)とあわせて、加筆修正の上、2019年前半に単行本化の予定です。

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酒井順子

さかい・じゅんこ●1966年東京生まれ。高校在学中から雑誌にコラムを発表。広告会社勤務を経て執筆専業。
2004年『負け犬の遠吠え』で婦人公論文芸賞、講談社エッセイ賞を受賞。著書に『おばさん未満』『男尊女子』『女子と鉄道』『源氏姉妹』『an・anの噓』『百年の女「婦人公論」が見た大正、昭和、平成』『駄目な世代』など、現代世相の分析から古典エッセイまで多数。

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