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四十二歳にして迎えたDV親父への反抗期 

 さて、洗顔のち化粧水という単純なスキンケアしか習得していない私だが、もうそろそろ新弟子の域を脱し、フェイスパックに手を出してもいい頃ではないか。お顔にペタッと貼り付けるアレである。
 毎度おなじみ深夜のドンキの美容コーナーにて人生初のフェイスパックを物色。万引きよりもドキドキしてセックスよりも恥ずかしい。長距離ランナーの孤独など知る由もないが、おじさんが美容コーナーに一人佇む気持ちはよくわかる。
 韓国で人気のもの、メンズ専用の大きめサイズのもの、有名モデルがおススメするもの、とにかく量が多くてお得なもの。さまざまなフェイスパックが陳列された光景を眺めていると、子供のときに親父に連れて行ってもらった縁日のお面屋さんを思い出す。

 クラスメイトの女の子たちの浴衣姿、提灯の灯りに照らされて怪しく光る神社の境内。いつもと違うお祭りの光景に胸を高鳴らせながらも、自分の容姿に自信がない私は、人の目ばかり気にして、心の底からお祭りを楽しめない。
 そこで私は通りがかったお面屋さんで仮面ライダーBLACK RXのお面をおねだり。自分の醜い顔さえ隠してしまえば、心置きなくお祭りを楽しめると考えたわけだ。
 そんな私の魂胆をやすやすと見抜いた親父は、薄ら笑いを浮かべながらこう言い放つ。
「やめとけやめとけ、お面を付けてる間は楽しいやろけど、お面を取ったら虚しくなるだけやぞ」
 子供だと思って舐めやがって。そんなことは言われなくてもわかっている。たとえ耐えがたいような虚しさに襲われることがわかっていても、私はひとときの安らぎが欲しかっただけなのに。

 十歳の私はお面を買ってもらうことを諦めてしまったが、四十二歳の私は一味違う。さっきまでの恥ずかしさはどこへやら、あの日の郷愁と親父への憎しみと共に、私はフェイスパックをこれでもかと大人買い。
 丁寧な洗顔と化粧水を済ませ、いよいよフェイスパックデビューのときがやってきた。ところが、メンズ専用のやや大きめサイズでも、私の顔を覆うにはいささか小さいみたいだ。はなまるうどんで、かけうどんの中を頼んだのにお腹がいっぱいにならなかったときの虚しさと似ている。恥ずかしがらずに特大サイズのフェイスパックを買えばよかったのに。

 ひんやりとしたフェイスパックを伝い、皮膚の奥底まで染みわたる保湿成分。なんて心地いいんだ。もっと奥へ、もっと深くまで浸透し、どうか私の心のマントルまで癒しておくれ。ああ、萬福なり萬福なり。
 しかし困ったことに、顔にパックをした状態では、ほかごとが何もできないという事実に私は気付く。そういえば、昔同棲していた女は、パックをしたままで料理をやったり掃除をやったりしていたっけか。とにかくズボラな女だったが、パックをつけたままでのあの身のこなしが、拳法の達人のような洗練された体さばきに思えてきた。

 よし、ここはジタバタせずに瞑想にでも耽ろう。知り合いの小説家は、近所の公園に鎮座する一本の大木を、毎日違う表現で書き表すことを日課としているらしい。私にはそんな高尚なことはできやしないが、こうしてパックをしている間だけでも思想を巡らしてみようじゃないか。

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爪切男

つめ・きりお●作家。1979年生まれ、香川県出身。
2018年『死にたい夜にかぎって』(扶桑社)にてデビュー。同作が賀来賢人主演でドラマ化されるなど話題を集める。21年2月から『もはや僕は人間じゃない』(中央公論新社)、『働きアリに花束を』(扶桑社)、『クラスメイトの女子、全員好きでした』(集英社)とデビュー2作目から3社横断3か月連続刊行され話題に。
最新エッセイ『きょうも延長ナリ』(扶桑社)発売中!

公式ツイッター@tsumekiriman
(撮影/江森丈晃)

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