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顔の汚れを取るだけじゃなく「今の自分を知ること」 

 四十過ぎのおじさんの決意表明を聞いたマサコは「そげに目ばキラキラさせんで!」と、面白いくらい困った顔をする。
「美容とかメイクって、誰かに褒めてもらうためにするもんじゃないからね。しょせん自己満でいいの。だから、やりたいようにやってみなさいよ」
 心の中で密かに思う。いつか、いい感じになった私をマサコに褒めてもらいたい。そして、あわよくばこいつともいい感じになりたい。

 帰宅してすぐに洗面所へと駆け込む。「化粧水もいいけど、まずは洗顔をちゃんとしないとダメ。ゴシゴシ洗いは絶対ダメ。細かい泡でやさしく洗う。それが基本ね」というマサコの助言に従い、帰り道のドンキで泡立てネットを購入。使っている化粧水に合わせ、洗顔料も豆乳イソフラボンシリーズのものに新調した。

 ああ、早く顔が洗いたくて仕方がない。

 いともたやすく掌の上に生み出されるモコモコの白い泡のかたまり。まるで豆腐を一丁作ったかのような達成感に打ち震える。洗顔ネットは魔法のアイテムだ。
「泡は当てるだけ。慣れないうちは声に出せばいいよ。その方がイメージしやすいと思う」
 マサコの教えを反芻し「プッシュ……プッシュ……シャワワ~」と呟きながら、泡を顔にやさしく押し付ける。
 常日頃、三十秒ぐらいで済ませていた洗顔を、時間をかけて丁寧に丁寧に執り行う。
 頬のたるみ、目のまわりの皺、大きな団子鼻、異様に脂っこい眉間の辺り、隆起したホクロ、若干後退した感のある生え際。ゆっくり顔を洗うだけで、自分の顔について気付いたことが山ほどある。そうか、洗顔って、顔の汚れを取るだけじゃなくて「自分で自分を知ること」でもあるんだな。

 たかが洗顔、されど洗顔。

 ちょっと化粧水をつけ始めたぐらいで、私は調子に乗っていた。これまで自分を大切にしてこなかった後悔の念が一気に押し寄せる。美容のことだけじゃない。人付き合いも恋も仕事も、大事なことを常に後回しにしてきた結果が、今のこの有様なのかもしれない。
 私の人生、まだやり直せるだろうか。
「プッシュ……プッシュ……シャワワ~」
 半べそをかきながら、私は呪文のようにそう唱え続けるのだった。

(イラスト/山田参助)
(イラスト/山田参助)

次回は8月28日(日)21時配信予定です。お楽しみに!

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爪切男

つめ・きりお●作家。1979年生まれ、香川県出身。
2018年『死にたい夜にかぎって』(扶桑社)にてデビュー。同作が賀来賢人主演でドラマ化されるなど話題を集める。21年2月から『もはや僕は人間じゃない』(中央公論新社)、『働きアリに花束を』(扶桑社)、『クラスメイトの女子、全員好きでした』(集英社)とデビュー2作目から3社横断3か月連続刊行され話題に。
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(撮影/江森丈晃)

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