2022.8.14
顔の汚れを取るだけじゃなく「今の自分を知ること」
ドラマ化もされた『死にたい夜にかぎって』で鮮烈デビュー。『クラスメイトの女子、全員好きでした』をふくむ3か月連続エッセイ刊行など、作家としての夢をかなえた著者が、いま思うのは「いい感じのおじさん」になりたいということ。これまでまったくその分野には興味がなかったのに、ひょんなことから健康と美容に目覚め……。
前回の初回は、連載タイトルの「午前三時の化粧水」に出合うことになるエピソードでした。
今回は化粧水と同様に大切な洗顔について、いろいろ学んだようです。
(イラスト/山田参助)
第2回 たかが洗顔、されど洗顔
「あんたさぁ……最近やけに肌がツヤツヤしとらん?」
午前一時のガールズバー、カウンター越しに立つ女が、私の顔を見るなり、そんなことを口走る。彼女の名はマサコ、私がこの店に通い出してからの付き合いなので、かれこれ四年来の腐れ縁になる。
いつかの松雪泰子を模したと思われるワンレンショートの髪形に、お手本のような美しいくびれを携えたクールビューティ。なぜか九州出身の男とばかり付き合う羽目になり、九州弁が体に染みついてしまった東京生まれ東京育ちの自称三十二歳。それがマサコだ。
「え? ほんなこつ?」と、こちらもぎこちない九州弁を返す。初めて付き合った恋人が長崎の女だったこともあり、私も九州弁には少しばかり思い入れがある。
九州出身ではない男と女が、かりそめの方言で、どうでもいいことを駄弁り合う。なんとも不毛で、そしてかけがえのない癒しのひとときに今宵も乾杯。
相も変わらずの昼夜逆転生活を送りながらも、就寝前の〝午前三時の化粧水〟だけは欠かさぬように心がけている。たったそれだけのことしかしていないのに、私の肌は以前とは見違えるようなモチモチ肌をキープしている。そう、ガールズバーの女が一目で気付いてしまうほどに。
両頬に手を当てニンマリする私を「なにぶりっ子かましとると? 気持ち悪かねえ!」とマサコが茶化す。
決して包容力のあるタイプではない。あらゆることに無頓着で適当がゆえに、この女の立ち居振る舞いと言動には噓偽りがない。適当に喋ることと嘘をつくことは、似ているようでまったく違う。マサコを見ていると、なんとなくわかる。
「実は最近、化粧水をつけだしてさ。そしたら肌の調子が全然違うのよ。俺、もっと美容のことを知りたくなってさ。いろいろ教えてくれない? どうかよろしくお願いします」
これは本気だなと、珍しく空気を読んだマサコは、スッと姿勢を正す。
「教えるのは全然いいよ、男も普通にメイクをする時代だしね。で、あんたはどうなりたいの。綺麗な男になりたい? それとも可愛い系? ダンディ系?」
不意に青春時代の光景がフラッシュバックする。
ひどいニキビに悩まされた中学時代。クラスで最初にバク転が出来るようになったのに、ニキビ面の私が宙返りをしても「妖怪ニキビ車」や「ニキビ大回転」といった変なあだ名をつけられそうで、ずっと黙っていたこと。
ヴィジュアル系バンドにハマり、化粧をして学校に通った高校時代。おばちゃん数学教師に「このクラスには男のくせに化粧をしとるアホがおる。そんな気持ち悪い奴がおるクラスでは何も教えとうない!」と授業をボイコットされ、トイレで泣きながら顔を洗ったあの日のこと。
美しくなりたいだなんて高望みはしない。ただ、もう少しだけマシにはなれそうな気がする。一本の化粧水がひとりの男の人生を変えた。そう、私は久しぶりに自分自身に期待しているのだ。
「俺は〝いい感じのおじさん〟になりたい」
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