よみタイ

ほのぼのとしたお店に出会いたい

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 それからもお付き合いのある担当編集者の方々と、様々な場所で会食をした。ふだんではなく特別なときに行くようなちょっと贅沢なお店が多かった。しかしちょうど「グルメ」などという言葉がはやりはじめて、趣味が食べ歩きという人も現れはじめ、私自身はそういう風潮が好きになれなかったので、
(グルメって何さ)
 と苦々しく思っていた。
 それまではそんなことはなかったのに、「予約が取れない店」「有名シェフの店」などがもてはやされ、予約が取れない店に予約が取れたり、有名シェフの店に行くことがすごい、高いワインを飲むのがすごいといわれるようになった。私としては、ひと言でいえば、
「くだらん!」
 だったのだが、世の中は珍しかったり新しかったりする食べ物を、血眼になって探すようになった。それに乗り遅れると恥ずかしいような雰囲気もいやだった。
 それに対抗して出てきたB級グルメのほうがまだ好感が持てた。しかし今度はB級グルメに群がる人たちが出てきて、みんなもうちょっと落ち着いて食に向き合えないものかと嘆いた。食事の基本の自分で御飯を炊き、味噌汁を作るということすらできない人が、グルメだ何だと騒いでいるのがとても滑稽だった。
 会食相手の方々が、いろいろと心を砕いて、店を決めてくださるのはありがたかったし、料理もおいしい店が多かったと記憶している。しかし世の中の飲食関係の感覚は、私が求めているのとは違う方向に行っているような気がするようになった。ちまたの評価ではとてもおいしいと聞いたのに、
「あれっ?」
 と思った店は何軒もあったし、あまりにいい評判とはかけ離れているので、みなさん、だまされていませんかと首を傾げた。味覚の基準は個人で異なるので、おいしいと思う人もそうでない人もいるのは当然なのだが、店の雰囲気にごまかされているのではと感じたことも多い。値段のうちの多くが場所代のような気がする店もあった。
 最近感じるのは、ちょっと贅沢なレストランで提供される食事の価格が、とても高くなったことである。ある個人経営の庶民的な店は、物価の上昇分を料理の値段には上乗せできないので、店主がじっと我慢していた。しかしそれにも限界があり、一年間我慢した結果、泣く泣く値上げしたと話しているのをテレビで観た。それは値上げをしても仕方がない。客のためにという気持ちはわかるけれども、仕入れ値などの上昇分をすべて個人経営の店が背負い込むのは気の毒でしかない。しかし個人経営ではない、ちょっと贅沢なレストランの料理の値段が、想像を超えて上がっていると、便乗値上げをしているのではないかと疑いたくなる。
 会食が決まると、担当編集者がそのレストランのサイトをメールで教えてくれる。私は方向音痴なので、店までのルートを確認するために、必ずサイトをチェックするのだけれど、メニューも掲載されているので、いくらぐらいの価格帯の料理を提供するのかがわかる。交際費として会社が支払ってくれるとはいえ、出版不況の折、あまり負担をかけては申し訳ないと思う。以前は、
「このくらいなら大丈夫かな」
 と納得できたけれど、最近は、
「ええっ、そんなに」
 とじっと値段を見てしまう。なかには値段が表記されていない店もあって、
「きっと高いから隠しているのだな」
 と疑いながらメニューを眺めている。編集者も会食がたまの息抜きになるのだろうけれど、フレンチ、和食などを含めて、以前は夜の食事の値段といわれていたものが、現在のランチの値段になっている感覚なのだ。
 食べるのが好きで、様々な店に足を運ぶ友だちに聞くと、
「行くたびに料理の値段が上がった店があるのよ。ひと月ごとに二千円、また二千円っていう具合なの。長い間通っていたのだけれど、素材もいまひとつになったし、前よりおいしくなくなったからもう行くのはやめた」
 と顔をしかめた。
 彼女は常々、
「何万円も支払っておいしいのは当たり前で、そうではないおいしい店がなくてはだめ」
 といっていたのだが、最近は大枚をはたいても、「手抜きをしてないですか」といいたくなる店が多くなったという。料理が得意なので、私よりももっと厳しい目を持っているのだろう。彼女は料理の内容と値段について、あまりに納得できないと、それをきっちりと店の人に伝える。なかには「貴重なご意見をありがとうございます」という店もあるが、ほとんどは、「はあ?」という表情で黙っているそうだ。それもまた気にくわないと彼女は怒っている。
 ここ何年かは新型コロナウイルスの感染拡大があり、飲食店は相当な打撃を受けた。それがやっと落ち着いてきて、その分を取り戻そうとしているのかもしれないが、そんなに値段をつり上げて、いったい誰に食べてもらいたいのかと思う。それともインバウンドの影響で外国人の客が来てくれればよく、価格設定がドル建てになっているのだろうか。店側も「この店に来る客は金を持っているから、多少の値上げなんて何とも感じないだろうし、そんなことを気にする客には来てもらわなくてもいい」と考えているのか。それでうっとりするくらいおいしいのなら、「まあ、いいか」と思えるが、それほどでもないのだったら、「何これ」と呆れるのも当然なのだ。
 私は代金を払っていないので、財布は痛まないけれど、支払ってくれた人に対して心が痛む。豪勢なところじゃなくていい、ほどほどのところでいいです、といいたいが、そういう店ではスタッフの態度がいまひとつで、殺伐とした雰囲気の店も多くなったという話も聞くので難しい。
 普通においしい料理が食べられて、価格も料理に見合った納得できる範囲、スタッフも感じがいいといった、それらを持ち合わせている、行ってよかった、食べてよかったとほのぼのするような店はあるのだろうか。食べ歩きの趣味がなく、新規開拓をする気もない私だが、いつか偶然、そんな店と出会いますようにと、願うしかないのだった。

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次回は1月8日(水)公開予定です。

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群ようこ

むれ・ようこ●1954年東京都生まれ。日本大学藝術学部卒業。広告会社などを経て、78年「本の雑誌社」入社。84年にエッセイ『午前零時の玄米パン』で作家としてデビューし、同年に専業作家となる。小説に『無印結婚物語』などの<無印>シリーズ、『しあわせの輪 れんげ荘物語』などの<れんげ荘>シリーズ、『今日もお疲れさま パンとスープとネコ日和』などの<パンとスープとネコ日和>シリーズの他、『かもめ食堂』『また明日』、エッセイに『ゆるい生活』『欲と収納』『還暦着物日記』『この先には、何がある?』『じじばばのるつぼ』『きものが着たい』『たべる生活』『小福ときどき災難』『今日は、これをしました』『スマホになじんでおりません』『たりる生活』『老いとお金』『こんな感じで書いてます』『捨てたい人捨てたくない人』『老いてお茶を習う』『六十路通過道中』、評伝に『贅沢貧乏のマリア』『妖精と妖怪のあいだ 評伝・平林たい子』など著書多数。

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