2024.12.11
ほのぼのとしたお店に出会いたい
群ようこさんが小説の中で描く食べ物は、文面から美味しさが伝わってきます。
調理師の母のもとに育ち、今も健康的な食生活を心がける群さんの、幼少期から現在に至るまでの「食」をめぐるエッセイです。
イラスト/佐々木一澄
ちゃぶ台ぐるぐる 第12回 ほのぼのとしたお店に出会いたい
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こういう仕事をしていると、ありがたいことに、会食にお誘いいただくことがある。そのほとんどがはじめての店ばかりで、私は会食が気分転換になるし、
「こんなお店があるのか」
といつも新鮮な気持ちにさせてもらっている。
私が三十歳前後の頃、年長の編集者の方々に連れていってもらったお店は比較的庶民的なお店ばかりだった。なかでも私が気に入っていたのは、勤め帰りのサラリーマンが立ち寄るような、古い木造のお店で、お酒が主にはなるのだが、ご夫婦と息子さんの体格のいい三人で作ってくれる料理がとてもおいしかった。店の家族は全員、相撲取りのようなあんこ型の体で、三人が調理カウンターの中に入ったときは、腹と腹がぶつかって、ぶつかり稽古みたいになっていた。三人は注文したときに復唱する以外は、ほとんど会話をせずに黙々と料理を作っている印象だった。広い店ではなかったが、客が騒いでうるさいという印象はまったくなかった。大人数ではなく、一人か二人で来ている客がほとんどだったと記憶している。
緑色の野菜が足りないと感じていたので、緑黄色野菜だけの炒め物を注文した。ニラ、小松菜、シシトウ、ホウレンソウ、サヤエンドウ、ピーマンのうち、いずれか三種類がさっと炒められていて、味付けは塩のみだった。それでも野菜それぞれの味わいがあって、その店に連れていってもらうと必ず注文した。
緑黄色野菜といっても、ニンジンは入っておらず、すべてが緑色なので、お客さんたちはそれを「オールグリーン」と呼んでいるようだった。麻雀で「緑一色」という役があり、英語では「オールグリーン」と呼ぶそうだ。当時のサラリーマンには麻雀がつきものだったから、それもかけていたのだろう。
焼き魚を注文すると、奥さんがうちわと七輪を持って店の前に出ていった。注文があるたびに、店の外で七輪で焼いてくれるのである。それもまたおいしかった。あるとき外にいた彼女が、
「わっ」
と声をあげた。すると調理カウンターの中にいた店主が、
「やられたのか?」
とのんびりと声をかけた。
「うん」
彼女は苦笑しながら戻ってきて、カウンターの中でごそごそしていたと思ったら、また外に出ていった。どうしたのかと見ていたら、連れていってくれた人が、
「魚を焼いていると隙を見てネコが持っていっちゃうんですよ」
と教えてくれた。いい匂いが漂ってきたら、外を歩いているネコが寄ってくるのは間違いない。しかし店の人たちは盗人のネコを大声で追い払ったり、策を講じたりするわけでもなく、盗られたら仕方がないと考えているようだった。ネコ好きだったのかもしれない。
私はその店で、女性が一人でお酒を飲んでいるのをはじめて見た。当時の私よりも年上で、四十代後半に見えた。ジャケットにタイトスカートという、きちんとしたお勤めといった姿で、徳利を傾けていた。カウンターの隅で、淡々と酒を飲み、煮物などをつまんでいる姿を見て、私はお酒は飲めないけれど、ああいう女の人は格好いい、一人で静かに日本酒が飲める人はいいなと思った。客は男性がほとんどで、男性と一緒に来ている女性はちらほらいたが、一人で来ている女性を見かけたのははじめてだった。その後、何度かその店に連れていってもらったけれど、彼女を見たのはその一回だけだった。
その後、担当編集者が代わり、その店に行くことはなくなったのだが、数年ぶりで以前の担当者に会い、どこかで食事をしようということになって、その店の話をしたら、
「あの店はなくなったんですよ。お父さんが倒れてしまって」
と教えてくれた。そういう事情ならあきらめるしかなく、どこかほのぼのしている店がなくなったのはショックだった。
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