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爪切男「クラスメイトの女子、全員好きでした」

囲碁のプリンセスが白石で作ったハートマーク

 一九九二年、私は中学生になった。少しだけ自分が大人になったような不思議な気分で迎えた入学式。学校に着いてすぐ、私はクラス分けの紙が張り出されている事務室前に駆け足で向かった。
 普通なら自分の名前を一番に探すはずなのに、私の目は「真鍋 千秋」という名前だけを追っていた。自分が何組なんてどうでもいい。そんなことは些細な問題だ。千秋ちゃんが同じ中学にいて、千秋ちゃんが何組にいるのかで、私の中学生活が決まる。

 ……町田。
 ……松浦。
 ……松本。
 ……真鍋!
 あった。

 しかも、私と同じ一年三組じゃないか。この世に神様っているんだなぁと感謝しながら、私は教室の自分の席に座り、千秋ちゃんの到着を今か今かと待った。

 しばらくして、おそらく校則違反かと思われるダボダボのロングスカートを履き、髪にもパーマをかけているスケバン風の女の子が教室に入ってきた。中学校の入学式でこんな恰好をしてくるなんてどれだけ育ちが悪い女なんだと、私はそいつの顔を見た。
 千秋ちゃんだった。
 あの純粋無垢で可愛らしかった千秋ちゃんが見事なヤンキー娘に変身を遂げていた。アゲハ蝶のサナギが孵化して、中からカブトムシが生まれてきたぐらいの変わりっぷりである。私はかける言葉もなく、茫然と座っていることしかできなかった。

 千秋ちゃんの周りには、常にヤンキー仲間がたむろしており、容易に近づける雰囲気ではなかった。そこで私は、ホームルームで行われる自己紹介の時間にいちかばちかの勝負に出ることにした。
「真鍋千秋で~す。特にありませ~ん。よろしくお願しや~す」と、千秋ちゃんの自己紹介はいかにもヤンキーらしい無気力な感じで終わった。千秋ちゃん、囲碁で学んだ礼儀作法を忘れてしまったのか。
 自分の順番が回ってきた私は、「僕の趣味は囲碁です! 多分このクラスの誰にも負けません! もし囲碁ができる人がいたら勝負しましょう!」と啖呵を切った。横目でチラリと千秋ちゃんの様子を窺うと、こっちを見てニヤッと笑っているのが見えた……気がした。
 
 ホームルーム終わりの休み時間、私の背中にパンチをしてくる女がいた。千秋ちゃんだった。

「ヒロキくん、久しぶりやね」
「チアキちゃん、俺のこと忘れてたでしょ」
「うん、ごめんね、覚えてたんやけど、声かけん方がいいかなって思ってさ。本当にごめん」
「いいよいいよ、あのさ、まだ碁はやってる?」
「え? やってるわけないじゃん。 もう飽きちゃったよ。今はXのHIDE命よ!」
「HIDE……」

「私と会わなくなった小学校四年生からの三年間で何が君に起きたんだ!」と問い詰めたくなる気持ちを抑え、私は「まぁねぇ、碁ってつまんないしね」と笑った。「んだんだ!」と千秋ちゃんも笑った。ちくしょう、可愛い女はヤンキーになっても可愛いから卑怯だな。
 
 次の日のホームルームでのこと。毎週火曜日の五時間目は文化クラブ活動という選択科目があるらしい。選べる科目は五つ。
「茶道」
「将棋」
「切り絵」
「編み物」
「囲碁」
 私は一抹の望みを込めて囲碁に丸を付けて提出した。
 
 一年三組の四十人の中で囲碁を希望した生徒は、私を含めてうだつの上がらなそうな地味な男六人だけだった。
 千秋ちゃんは茶道を選んでいた。
 あいつ、きっとお茶菓子目当てだなと思い、私は笑った。
 私の相手ができる奴はその六人の中にはいなかった。好敵手がいないことが、こんなにも寂しいなんて初めて知った。

 千秋ちゃんは高校生の時に子供が出来て、学校を中退してヤンママになった。今は大阪でスナック経営をしているらしい。真鍋のお爺ちゃんが私に教えてくれた。
 諦めの悪い私は、お互いにジジイとババアになったら、もう一度一緒に囲碁を打てるんじゃないかと期待している。それぐらいの希望を持つことぐらいは許して欲しい。

 囲碁が好きな人には怒られるかもしれないが言わせてもらう。
 私には囲碁の面白さなんて正直わかっていない。
 そもそも白と黒の石を交互に置き合う意味が分からない。
 でも、好きな女の子となら、そんな意味の分からないことをしてても楽しいのだ。
 私にそのことを教えてくれたのは真鍋千秋という可愛い女の子でした。
 そして今ならハッキリと言える。
 私は囲碁なんて好きじゃない。
 真鍋千秋さん、私はあなたのことが好きでした。

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爪切男

つめ・きりお●作家。東京都中野区在住。2018年1月、『死にたい夜にかぎって』(扶桑社)にてデビュー。現在、週刊SPA!にて勤労エッセイ『働きアリに花束を』を連載中。2019年11月末に扶桑社より文庫版『死にたい夜にかぎって』発売予定。また、中央公論新社BOCにて好評を博した『男じゃない女じゃない仏じゃない』も来年書籍化予定。トークショー、物言わぬ変人役でのドラマ出演、サウナコンテストの審査員など、作家以外の活動も多種にわたって迷走中。

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