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せきしろ「東京落物百景」
落とし物の数だけ、物語がある――。落とされたモノにも、そして落とした人にも。
『去年ルノアールで』『たとえる技術』などの著作で知られる作家せきしろが、東京の街の片隅で、本当に見つけたさまざまな落とし物について考える妄想ノンフィクション。
前回は、なんと「百万円の落とし物」を発見した著者。今回はガムの落とし物が呼び起こした少年時代のある記憶について。いつもとトーンが変わり、ちょっとせつないストーリーです。

今も記憶に残る、弟が落としたバニラ&チョコのミックスソフト

杉並区阿佐谷南の路上にて、ぶちまけられたままのガムの落とし物を発見! (写真/ダーシマ)
杉並区阿佐谷南の路上にて、ぶちまけられたままのガムの落とし物を発見! (写真/ダーシマ)

かすかに残ったバニラを弟と舐めたとき、憂鬱な感情はなくなっていた

まだ私が小学生の頃だから、30年以上も前の話だ。その頃に住んでいた小さな町にソフトクリームを売る店ができた。

ある日、弟が食べたいというので買いに行った。当時は今のようにソフトクリームにいろんな味はなく、バニラとチョコと、そのミックスの三つしかなかった。バニラも良いし、チョコも良い。私は選べなくていつもミックスにしたものだ。

弟は幼く、どうせ全部食べられないだろうから残りをもらおうと思い、ひとつだけ注文することにした。弟も選べなかったようでミックスを注文した。

店の人がコーンを持ち、機械から出てくるアイスを回転させながら載せていくのを見て、凄いなあと感心した。出来上がったソフトクリームを渡された弟は喜び、はしゃいで走り出した。そして私の方を振り返った瞬間、アイスが道路に落ちてしまった。

その姿を見て「何やってんだ」と呆れた。次に「ふざけるからだ」とか「せっかく買ったのに」と怒りがこみあげてきて怒鳴りたくなった。しかし、呆然と落ちたアイスを見続けている弟を見ているうちになんだか面白くなってしまった。手にはアイスがないコーンだけをしっかりと持っていて、私は笑いそうになった。

からかってやろうと近づくと、弟が泣きそうになっていることに気づいて、今までの感情はすべて消え去り、優しくしなければと思った。「しょうがないよ」と声をかけようとした時、知らない大人がやってきて「それを早く片づけろ」と強い口調で言った。

落としたのはこっちであり、後始末をしなければいけないのは当たり前で、それは頭でわかっていたが、まだ子どもの私は「大人は優しいもの」とどこかで思っていたために驚き、ショックを受けた。

「早くしろ!」とまた言われて、「ごめんなさい。片づけます」と答えたものの、片づけに使えるものを何も持っていなくて、私は溶けかかってミックスのバランスが崩れ始めたアイスを手ですくって、近くにあったゴミ箱に入れた。

「まだ残っている」と言われて、またすくって捨てた。「まだだ」とまた言われた時にはもうアイスはなく、湿った砂と土を救って捨てた。終わると知らない大人は何も言わずいなくなり、私は手を洗いに公園へ向かった。

水飲み場の蛇口から出てくる水で黒くなった手を洗っていると、なんだか親や先生にひどく怒られた後のような気持ちになり、鼻の奥が泣く前のようにツンと痛くなった。

弟はまだコーンの部分を持っていて、「アイスが少し残っているよ」と言った。見るとコーンの上部にバニラの白い部分がかろうじてあった。弟はそれを舐めて「おいしいよ」と言った。「兄ちゃんも半分食べなよ」と弟にコーンを渡され食べた。かすかにバニラの味がした時にはもうみじめで憂鬱な感情はなくなっていた。

道路に食べ物が散らばっているとその時のことを思い出す。このガムも然りだ。このガムの落とし主は子どもだろうか。それなら泣いていなければ良いなと思う。

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せきしろ

せきしろ●1970年北海道生まれ。主な著書に、映像化された『去年ルノアールで』や、映画化された『海辺の週刊大衆』、『1990年、何もないと思っていた私にハガキがあった』(共に双葉社)など。また、又吉直樹氏との共著『カキフライが無いなら来なかった』『まさかジープで来るとは』(幻冬舎)、西加奈子氏との共著『ダイオウイカは知らないでしょう』(マガジンハウス)も。
ツイッターhttps://twitter.com/sekishiro

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