2025.8.8
おしゃべりしながら編んで縫う。手芸が震災後の心のケアになる@能登半島・珠洲市「本町ステーション」【前編】
みんなが自分の好きなものを作る、それって嬉しいこと
3時間の部活動終了後、本町手芸部の一人、松下さち子さんに話を伺った。「手芸部に行くのは一番の楽しみ。私の充実した時間です。何も考えず無心になって作れるでしょう。皆さんとおしゃべりできるのもいいですね」。

生まれは島根県。嫁ぐ前は名古屋の美容専門学校に通い、美容師として働く間に着付けを学んだ。「珠洲のお寺に嫁いで、半世紀以上ここにおります。子供がちっちゃいときに機械編みを始めて、服を編んでやったりしたのがきっかけで、いろんなものを作ってきましたね」。北國新聞社のパッチワーク教室をきっかけにキルトに夢中になる。毎年東京ドームで開催される「キルト展」に足を運び、そこで美しい生地を購入するのも楽しみだった。
「母が手作業の仕事が好きで、子どもの時にそばで見ていたんでしょうね。私には12歳年上の姉がいて、ほとんど一緒に生活した記憶はないんですけど、姉もパッチワークとか編み物とか好きで。今はもう90歳近くですけど今もやってますから。私ら戦後まもない生まれで田舎で育ったので、服ではなくて、着物か、お人形さんが着せ替えする着物を作ってもらった覚えがありますね」。
結婚後、病院の事務や縫製会社に務めたこともあった。「退職してから母の介護を20年。お休みの時や合間に自分の好きなものを少しずつ作っていました」と振り返る。
能登半島地震では本堂と住宅が全壊し、昨年の夏、跡形もなく解体されたという話もうかがった。
「震災に遭った1月1日は、息子家族が東京から帰ってきていました。コロナ時期は帰ってくることができませんでしたから久しぶりで。その晩はみんな集まるからおせちとかいろんなごちそうを作っとったんですよね。今晩は能登牛ですき焼きでもしましょうって。準備をしようと、私ね、ねぎや大根、白菜とかを置いてある本堂の雪囲いの中に取りに行っとったんですよ。孫を連れて」。
そこへ一回目の地震が来た。外に出ることができなかったので孫を抱きしめて、上にかぶさり、揺れが収まるのを待った。「その時にちょっと見たら、もう本堂の柱がね、5センチぐらいずれてた。危ないので孫を連れて出て、もう一回私だけで野菜を取りに入ったの」。そこに2回目の大きい揺れが来た。
「どうやって出たかわからないんですけど、気がついたら、砂利を敷いてあった家の前で尻もちついて座っていたんです。おそらくどんっと飛び出たのでしょうね。その時圧迫骨折していました。大げさでなく、停まっていた車が私の横で1メートルぐらい行ったり来たりして、倒れてくるかと思った。後ろを見たら、本堂が後ろと前とに真っ二つに割れていて」。窓ガラスが全部割れ、斜めになった自宅から息子さんご家族が飛び出してきて、みんなで小中学校の4階へ避難したという。
その時、ちょうど法務で外出していたお寺の住職のご主人とは、数日間音信不通に。「住職さん大丈夫よ!元気でおいでますよ」という一報が入ったのは5日目のことだった。「その時はまあ、なんとも言われん、ほっとしました。皆さん心配してくださっていたから、手を叩いて喜んでくださいましたね。亡くなられた方には大変申し訳ないけど、また無事で会えてよかったです」。目に涙を浮かべる松下さんを見て、辛い記憶を思い出させてしまうようで申し訳なく思ったが、かけがえのない命や家族への思いがひしひしと伝わった。
松下さんは今、仮設住宅で暮らしている。「なにもしないでいると気が変になっちゃうから、本町ステーションに来て、好きな手芸をしながら違う人とも話しができるのは楽しい。こういう場所があってありがたいです」。
初回に作ったパッチワークのトイレット・カバーは家で使っている。2回目に作った帽子は編みかけだ。手芸部では県内外で作品を展示販売することもあり、20個以上作ったフクロウのブローチは完売した。今はベストを編んでいる。
「みんなそれぞれに好きなものを作って、他の人が作ったものがいいなと思えば、次は自分も作ればいい。わからなかったら、みんなに聞けばいいでしょ。肩肘張らず、和気あいあいです。あんまりこういう場所はないから、それがいいかもしれないですね」
これまで作ったキルト作品や、集めてきた布の多くは土砂に埋まってしまったという。 そんな中、自宅を解体する時にようやく取り出せた数少ない品々を見せてくれた。東京ドームのキルト展で購入したインド更紗で作ったキルト。大島紬や絣の残り布で作った小物入れ。手元に残った数は少ないけれど、松下さんが丹精込めて作ったものに宿る時間の豊かさが伝わる。


「今こうして趣味を活かせることは、生きがいってほどでもないですけど(と照れ笑いしながら)、自分のことができるということは嬉しいことですよね。好きでも家庭の事情でできないという方もいらっしゃいますもんね。させてもらえてるだけでもよかったかな」。
作ったものを失った悲しみも、余り布を見ればその時々のことを思い出してしまう気持ちも、手芸部に集う人たちとは、さして口に出さなくても分かち合うことができるのかもしれない。今は一人ではなく、そのことが伝わる人たちが傍らにいる。手芸という技術は生きる力であり、手仕事で新しくものを作り出す“再生”への手触りが、心のケアにつながっているのではないだろうか。
後編(8月22日公開予定)に続く
