2018.12.2
Jリーグ連覇! 川崎F中村憲剛の今を作った松坂大輔と中央大学時代
38歳にしてキラッキラに輝く中村憲剛があこがれた同世代選手
松坂大輔が、とにかくまばゆかった。
キラッキラッに輝いて見えた。
1998年夏、テレビにかじりついて観たフランスワールドカップが終わったばかりなのに、都立久留米高校3年生のサッカー少年はまたもブラウン管の前を離れられないでいた。
夏の甲子園。
同い年の怪物が騒がれていた。松坂大輔の“快投乱麻”に中村憲剛は胸を躍らせた。
「ハッキリ覚えていますよ。PL学園との準々決勝で延長17回を投げ切って、決勝の京都成章戦でノーヒットノーランで優勝ですからね。漫画か!と思いましたもん。すごいなって。同い年には到底思えなかったし雲の上の人だけど、すごいなと思うと同時に、オレももっと頑張らなきゃなって」
かたやスター、かたや無名。
あれから20年が経った。日本サッカーにおいて中村憲剛の名前を知らない者など、もはや誰もいなくなった。川崎フロンターレひと筋16年。川崎のバンディエラ(旗頭)はチームの中核を担い続け、日本代表としても活躍してきた。30代半ばからがまさにのぼり坂。2016年、36歳でのJリーグMVP獲得はギネス記録にも認定され、翌年の2017年には悲願のリーグ初優勝を達成。そして今年もリーグ2連覇。背番号14はトップ下に君臨してキラッキラに輝いてみせている。
松坂は38歳になり、中村も38歳になった。
同世代の野球人は2018年限りでの引退が相次いだ。村田修一、杉内俊哉、小谷野栄一、矢野謙次、そして松坂の横浜高校時代の同僚、後藤武敏までも。一方で世代の中心にいる松坂は中日ドラゴンズに移籍した今年、6勝を挙げて復活の狼煙を上げている。
種目は違えど、同世代の引退は寂しくもある。一方で松坂の活躍は嬉しくもある。
「実際松坂さんとは一度もお会いしたことないですけど、プロに入ってからもずっと見ていますよ。西武ライオンズの1年目で最多勝の16勝を挙げて新人王になって、WBC(ワールドベースボールクラシック)でも優勝して、メジャーに行って……。ヒジを痛めてからも野球を続けてきた。やることはやったから、辞めるっていう選択肢もあるのかなと勝手に思っていましたけど、とにかく野球が好きで、投げることが好きなんでしょうね。抗ってくれているのは、同世代の一人としてうれしいし、正直この人かっこいいなって思っています。僕自身、今も勝手にモチベーションに変えさせてもらっていますよ」
オレだって1980年生まれの松坂世代。
野球は注目された世代である一方、サッカーはむしろあまり注目されなかった世代だ。
1つ年上が、いわゆる黄金世代。小野伸二、稲本潤一、高原直泰ら日本代表でも中核を担うスターがいた。1つ下がアテネ五輪世代。大久保嘉人、田中マルクス闘莉王、松井大輔、阿部勇樹とこちらも後の日本代表の中心選手がそろう。
「アテネ世代は〝谷間〟なんて言われてましたけど、黄金世代とアテネ五輪世代に挟まれて、いわばオレらの世代は〝超谷間〟。オグリ(大黒将志)、タマ(玉田圭司)、マキ(巻誠一郎)……4年に1度の五輪もかかわれない世代だったし、上と下の世代と比べたらあまり注目もされなかった。だからコツコツ頑張るしかなかった。
同世代のみんなもそうだと思うんですけど、意外としんどいサッカー人生を送ってきましたから。学生時代、プロになれると信じる一方で、なれないんじゃなかって思う自分もいました。今のままじゃキツいだろうなっていう思い。自分は世代別の代表歴もないし、注目もされていない。何者でもないってことが本当に悔しかった」
彼はそう言って、遠い目をした。