2023.2.25
F・マリノスで3度のリーグ優勝に貢献した遠藤彰弘。 「強いF・マリノスでいてくれるのは本当に嬉しいし、誇りでもある」
F・マリノス30年の歴史で、主力選手としてリーグ制覇を3度経験したのは松田直樹と遠藤彰弘だけ
遠藤に対するクラブの期待も膨らんだ。2004シーズンは中村俊輔がイタリアに旅立って以来、空き番号になっていた10番を打診された。
「中村俊輔にかなう選手はいない。近くでプレーしていたから誰よりその凄さが分かる」今でもそう語る遠藤にとって、中村の後は荷が重く、何度も断ったが、引き受けざるを得なかった。この年はボランチのみならず、左右問わず中盤全般どこでも起用された。
「望んでいないポジションであっても、それはやらなくちゃいけないと思っていました。プロはゲームに出ないとやっぱり評価されない。このクラブでは1試合でも休んでしまったら、ポジションを奪われてしまう。いくら過去の実績があったところでマリノスでは関係ないですから」
1994年に加入して以来、スタメンに定着するまでに4年以上を要した。かつパフォーマンスが悪ければ、その座を失ってしまうというプレッシャーとも戦ってきた。
「2004シーズンのある試合で僕のプレーがあまり良くなかったらしいんです。次の試合前の紅白戦でレギュラー組にも入っていたなかで、岡田さんから呼ばれて、『1週間休め。練習に来なくていい。サッカーも観るな』って言われたんですよ。この時は、さすがにびっくりしましたね」
ポジションを失ってもおかしくないと覚悟した。
岡田の言うとおりにリフレッシュして1週間後にチームに合流すると、すぐに先発に戻った。ACL(AFCチャンピオンズリーグ)も組み込まれた過密日程のなかで、指揮官は遠藤のコンディションを配慮してくれたのだ。ローテーションという発想はまだ浸透していないころ。休んだことでコンディションを戻すことができた。
だが、ファーストステージ覇者としてチャンピオンシップの準備をしていたなか、セカンドステージ最終節(対東京ヴェルディ、11月28日・味の素スタジアム)で試合中にケガをして前半終盤に交代してしまう。チャンピオンシップ出場は絶望的だった。
岡田は最後まで起用を模索してくれたという。
「ケガはショックでした。これはもう無理だなって自分でも思いましたから。それでもチャンピオンシップに向けた合宿に呼んでくれて、ギリギリまで判断を粘ってくれました。結局、チャンピオンシップには出られなかったけど、チームが勝ってくれて本当に良かった。外から見ていてもいいチームだなって心の底から思うことができました」
F・マリノスの30年の歴史のなかで、主力選手としてリーグ戦に出場し、リーグ制覇を3度経験したのは松田直樹と遠藤彰弘、この2人しかいない。言うまでもなく、クラブが誇るレジェンドである。
その後は2005シーズン途中に、盟友・三浦淳宏の存在もあってヴィッセル神戸に完全移籍し、2008シーズンの契約満了後に引退する。
47歳になった現在は故郷の鹿児島に戻って、地元サッカーの育成、後進の指導にあたっている。現役の大半を過ごしたF・マリノス時代のことは「いい思い出しかない」と言う。
「本当に感謝しかないです。僕のポテンシャルを引き上げてもらえたし、思うようなサッカーができる環境をクラブはつくってくれました。サポーターも素晴らしかったし、何一つと言っていいほど嫌な思い出がないんです(笑)。昨年もリーグ優勝してくれたし、強いF・マリノスでいてくれるのは本当に嬉しいし、誇りでもあります。
これからの僕の役目で言えば鹿児島全体のサッカー熱をさらに高めていきたいということ。J3の鹿児島ユナイテッドもあるし、子どもたちが夢をあきらめないように自分が培ったものを教えていきたいし、後押ししていきたいですね」
(終わり)
【プロフィール】
えんどう・あきひろ/1975年9月18日生まれ、鹿児島県出身。
遠藤三兄弟の次男として、鹿児島実業で活躍。高校卒業後の1994年に横浜マリノス加入。
2004年には10番を背負う。マリノスでは1995年、2003年、2004年と3度の優勝を経験。
2005年7月にヴィッセル神戸に完全移籍。2008年、引退。
1996年のアトランタオリンピックでも10番を背負いブラジル代表に勝利。
Jリーグ229試合出場14得点(F・マリノス在籍時210試合出場14得点)
●第2回 引退覚悟で臨んだアトランタ五輪の10番。 遠藤彰弘が語る、マリノス初優勝と上野良治
●第3回 F・マリノスで3度のリーグ優勝に貢献した遠藤彰弘。 「強いF・マリノスでいてくれるのは本当に嬉しいし、誇りでもある」
●第4回 兵藤慎剛 前編(3月1日9時配信予定)
●第5回 兵藤慎剛 後編(3月2日9時配信予定)
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Jリーグ創設以来、リーグ制覇5回、一度の降格もないトップクラブとして存在し続ける「伝統と革新」の理由を、選手、監督、コーチなどチームスタッフはもちろん、社長をはじめクラブスタッフまで30名を超える人物に徹底取材。「マリノスに関わる人たちの物語」を通じて描きだすノンフィクション。
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