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「“メジャー”という言葉が嫌いなんです」。80年代、ラフィンノーズのデビューを手掛けた人物が語る、熱狂と挫折とインディーズ精神。 【トイズファクトリー代表取締役 CEO 稲葉貢一インタビュー前編】

佐藤(左)の多くの質問に、稲葉は当時を懐かしみながら真摯に回答してくれた。
佐藤(左)の多くの質問に、稲葉は当時を懐かしみながら真摯に回答してくれた。

野音での雑踏事故が残した衝撃と独立への決意

1986年4月19日の東京・日比谷野外音楽堂。バップからメジャー第二弾となるフルアルバム『ラフィン・ロール』を発表した数ヶ月後で、ラフィンノーズの人気は名実ともに最高潮の頃だった。
ラフィンノーズにとって、キャリアの中で初めて大規模なライブをおこなった日比谷野外音楽堂は聖地。他の会場のときにも増してメンバーに気合が入っているのはファンの目からも明らかだった。ラフィンの野音ライブは常にソールドアウトの超満員で、客席も異様なほどの熱気と興奮に包まれていた。

そんな中で、死者3人、重軽傷者20人を出す雑踏事故が発生した。

当時、高校3年生でラフィンノーズに夢中だった僕は、このライブの観客だった。
しかも死傷者が多数出た前方の雑踏の中にいて、死と隣り合わせの恐怖を味わうことになった。

――僕もあの雑踏の中に、客としていたんですよ。

「え! そうなんですか!? どの辺にいたんですか?」

――本当に一番前のモッシュの中です。よく“将棋倒し”というけどそんな感じではなく、人に揉まれてどうしようもなく倒れ込んでしまった人の上に、どんどん人が乗ってしまって、踏んでいる方も身動きできない状況でした。足下から「踏むなー!」という叫び声が聞こえてきたりしたけどどうにもできなくて。そうしたら、4曲目で演奏がぴたっと止まったんです。バップ社内ではどういう話になったんですか?

「今後についての緊急会議が何度も開かれました。アーティストの制作担当者として、僕もその会議に出席する中で、心に残っているのは、ラフィンノーズに関しては無期限活動中止。もうレコードを出さなくていいという話になっていきました。僕はなんとも受け止められない思いでした」

――事故後、メンバーとはなにか話しましたか?

「みんな呆然としていて、話らしい話はしませんでしたが、当時、メンバーは皆、高円寺駅近辺に住んでいたので、彼らを守らないといけないと思いました。スポーツ新聞がメンバーの自宅へ直接行ってしまう可能性があると思ったので、僕が新宿のビジネスホテルの部屋をメンバー分予約し、そこにしばらく泊まってもらうことにしました。それが正解だったのか不正解だったのか分からないけど、突撃されて、事実じゃないことを引き出されたり、発言を切り取られたりするのは避けたかったので。ホテルには一週間くらい滞在してもらいました。亡くなられた方の告別式には、そのホテルからメンバー全員正装して向かいました」

――ラフィンノーズのメンバーには、会社の方針は伝えたんですか?

「新高円寺の居酒屋で、メンバーと話しました。こういうことがあったので、『バップでは難しい状況ではあるけれど、絶対復帰できたらいい』というようなことを言いました。そうしたらメンバーが全員『いや、僕たちは稲葉さんと一緒にやりたいんです』と言ってくれたんです。僕はそれをものすごく重く受け止めて、バップに辞表を出す決意を固めました」

――メンバーの想いに応えた、重大な決心ですね。

「辞表はすぐに出しました。メンバーが一緒にやりたいと言ってくれたのだから、自分の今後の身の振り方はちょっと置いておいて、今後は個人でラフィンノーズに関わろうと思いました。そしてラフィンノーズの事務所・オフィスグローリーの代表の方に、新高円寺近くのとんかつ屋さんで、バップをやめることになったと報告しました。『だからこれからも、ラフィンノーズと一緒にやれます!』って。そうしたらその方が『……いや、ちょっと、それはあれだな、うん、無理だろうな……』って、口を濁すんですよ。

――どうしたんですか。何があったんです?

「バップの宣伝部の先輩の方とオフィスグローリーの代表の方が動いて、ラフィンノーズの他社への移籍を水面下で決めていたんです。先方の偉い人にも話が通っていて全部決まっていると。そうなると、僕がバップを辞めてもラフィンノーズについていくことはできないわけです。そんな僕の人生の中でもトップクラスな出来事があったんですが、あまりにもショックだったためか、その後の記憶が曖昧なんです。
結局、僕はバップに残ることになり、その後、ラフィンノーズのメンバーに会うこともしばらくありませんでした。いま考えると、うん、なんでなんだろう? 当時はスマホもないし、簡単に連絡できないからでしょうね。泣く泣く、ラフィンノーズとは離れてしまったんです」

――志半ばにして、という感じですね。

「アーティストが音楽を作り、その音楽を好きになってくれる方がいる。アーティストはパンクの素晴らしさを伝え、お客さんは彼らから勇気をもらう。僕は単純にそういうことがやりたかっただけですけど、突然断ち切られた感じがしましたね」

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佐藤誠二朗

さとう・せいじろう●児童書出版社を経て宝島社へ入社。雑誌「宝島」「smart」の編集に携わる。2000~2009年は「smart」編集長。2010年に独立し、フリーの編集者、ライターとしてファッション、カルチャーから健康、家庭医学に至るまで幅広いジャンルで編集・執筆活動を行う。初の書き下ろし著書『ストリート・トラッド~メンズファッションは温故知新』はメンズストリートスタイルへのこだわりと愛が溢れる力作で、業界を問わず話題を呼び、ロングセラーに。他『オフィシャル・サブカル・ハンドブック』『日本懐かしスニーカー大全』『ビジネス着こなしの教科書』『ベストドレッサー・スタイルブック』『DROPtokyo 2007-2017』『ボンちゃんがいく☆』など、編集・著作物多数。

ツイッター@satoseijiro

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