2019.11.14
特別鼎談「ジェンダーバイアスと表現についての考察」~前編〝ジェンダーバイアスとはいったい何なのか〟
その数日後には、上野千鶴子さんが東京大学入学式の祝辞で、東京医科大の不正入試問題などを挙げ、大学入試や様々な局面に性差別が存在することを指摘(※3)、社会的にも大きなインパクトを与えるなど、ジェンダー格差に対する関心は今非常に高まってきています。その一方で、ジェンダーにまつわる話題はいつも批判、中傷の対象となりやすい傾向にもあり……。
なぜ今「ジェンダーバイアス」について考えるのか
小宮 私は楠本さんの問題提起をハフポストの記事で知ったのですが、あの記事はどういう経緯で掲載され、ジェンダーバイアスという言葉で問題提起されることになったのでしょうか。
楠本 最初に私がnoteに「エンパワメント。」という記事を書いたのをハフポストの方が読んで、インタビューをしたいという話になったんです。
小宮 なるほど。ジェンダーバイアスという言葉は、もともとその中で楠本さんが使われていたんですね。
楠本 はい。
宮川 私は楠本さんがご自身のTwitterで、漫画の登場人物がジェンダーバイアスを語るコマの載ったnote記事を紹介していたのを見て衝撃を受けて、すぐ『ココハナ』を買い「赤白つるばみ・裏」を読みました。家族、恋愛、結婚、仕事などが本当に自由に描かれ、それはジェンダーバイアスがないからこその多様な表現だと感じましたが、その後思いがけず論争になっていて驚きました。
この作品は、ジェンダーがテーマの作品ですね。
楠本 そうですね。「赤白つるばみ」本編の方ではジェンダーに限らず、今の社会でいろいろなところからはみ出して、またははみ出さざるを得ず生きている人たち、生きにくさを感じている人たちに向けて描いたつもりです。それであと何をし残したかと考えた時に、続編の「赤白つるばみ・裏」では、今まで真正面からは取り組んでいなかったジェンダーのことに焦点を置いて描いていこうと。
息苦しさ、あるいは、それこそ小宮さんが『世界』に書かれていた(※4)ところでいう「抑圧」を常日頃経験している側の人たちのための、スカッとするようなエンターテインメントにしたいと思ったんですね。
宮川 小宮先生、その「抑圧」についてご説明いただけますか。
小宮 「抑圧」という言葉は日常的にはあまり使わないかもしれないですね。「差別」という表現はちょっと強いので、自分が「差別されている」とはっきり意識するのは特別な場合だと思うんです。けれども、女性たちやセクシュアル・マイノリティの人たちは、なにがしかの形でマイノリティゆえの生きづらさを、日常のさまざまなところでちょこちょこ感じながら生活をしている。はっきりとした差別体験というわけではなく、明確に言語化できるわけではなくても、何かしらの苦しさを感じているということはあると思うんです。
そうした生きづらさの集合みたいなものを、とりあえず「抑圧」という言葉にしました。もちろんそういう小さな生きづらさの集まりも立派な差別現象です。
そういう表現に感じるところがあったとおっしゃっていただけるならば、それは何かしらそうした人々の経験を表現しているのかなと思います。
楠本 「抑圧」と言語化された時に、ああそれだ、と、霧が晴れたように感じました。しかもその抑圧経験は「累積」していくというのが、まさにその通りだなと。
ある表現を「抑圧」と感じる人と感じない人の間には深くて大きな隔たりがあるんですよね。そこを埋めるのが難しい。
小宮 やはり人によって置かれている状況が違っていて、たとえば圧倒的に女性の方が家事を分担させられていることに普段からなんらかの疑問を持っているとか、出産・育児で自分がキャリアを手放さなきゃいけなかったといった苦い経験を持っていると、メディアの中で女性が当然のように家庭的役割を担うものとして描かれることに関して、そうした経験がない人よりも嫌な思いを持つんじゃないかと思うんですよね。
男性は子どもができることがキャリアに悪影響を及ぼすという経験を女性に比べて持ちにくいので、「自分の経験とメディアの中での女性の描かれ方がつながって嫌な思いをする」といったことについても実感として想像しにくいということがあると思います。
女性でも、私も大学生に教えていますが、大学生くらいだとまだそういう経験はないのであまりピンとこない場合もあったりするんですけど。そのへんは性別はもちろん、年齢や社会的地位など、その人が置かれている状況で感じ方が変わってくるところがあるんだと思います。
逆に言えば、社会の中のさまざまな場面で多くの女性がどんなふうに「女性はこうあるべき」という考えに苦しめられているかを考えれば、表象の中にもその考えがあることがどんな意味を持つかということも考えられるようになる。
「ジェンダーバイアス」に気をつけるというのもそういうことだと思うのですが、この点ハフポストの記事に対しては、そもそもジェンダーバイアスという言葉に対する、勘違いにもとづく反応があったと思います。